行動学入門 (文春文庫 み 4-1)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167124014

作品紹介・あらすじ

行動は肉体の芸術である。にもかかわらず行動を忘れ、弁舌だけが横行する風潮を憂えて、男としての爽快な生き方のモデルを示したエッセイ集。死の直前に刊行された。(虫明亜呂無)

感想・レビュー・書評

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  • 初めての三島作品にしては、少しニッチな部類を手に取ってしまったか…?
    すごく平易な文章で、あまり頭を使わなくても読める章がほとんど。
    「結婚の終わり」「OLの終わり」など、終わりについて述べている章が特に面白かった。
    時に同意できる部分、少し過激な部分もあり。
    三島も「ぶちかます」とか使うのか〜。

  • 前1/3は三島由紀夫らしい理屈張った感じだが、中程から不道徳教育講座よろしくブラックユーモアとウィットに富んでたいへん面白い。
    旅行の終わり という章があるが、男の勝手な理論ですが、さもありなんと思ってしまった。

  • 面白い
    おわりシリーズは三島由紀夫という人の魅力がある

  • 「行動学入門」は知行合一の考えがベースにあるのだろう。「終わりについて」は今の時代と合わない。

    わからないということが、行動の不安の大半。
    空間的・時間的な間合い。
    行動をすることで状況を作り出す。
    合理的計算と計画の行き詰まりを打破するのが偶然性。

  • 質が良く、最高の行動を行うちょどよい時まで待機する大切さ。思想を完成させるのは、その思想を行動に移して初めて表現され、完成される。本や卓上で学んで知識があるだけの頭でっかち人間にはならないように気を付ける。

    p11
    目的のない行動はありえないから、目的のない思考、あるいは目的のない感覚に生きている人たちは行動をおそれて身をよける。思想や論理がある目的を持っていて動き出す時には、最終的にはことばや言論ではなく、肉体行動に帰着しなければならない。

  • 行動学入門と革命哲学としての陽明学が読みにくかったし、三島由紀夫の死が近いことをよく示している...
    陽明学のパートで引用される大塩平八郎が自死したのが45歳、三島由紀夫も45歳...

    おわりの美学はそれなりに面白かったな
    意外や「学校のおわり」に納得した

  • ただの私の感情の書留

    結婚、なあなあで何となくまあ生き延びるために一緒にいるかあみたいな感じなのは今も昔も同じ
    学校は頭のヘンなやつのあつまりで、頭がヘンだったと気づいた時が卒業の時だ

    美貌のおわりについての文章まさにその通りで、男は社会的に地位を築き上げれば年取ってもいい感じだが、女は若く美しくなくなっていくというただ歳とるだけで終わり感...これのせいで私は男が嫌いだし女という事実を利用したいと思う。
    この時代は「女は結婚したら仕事即やめ」みたいな風潮が根強かったが、いまは、謎に男女平等が掲げられていて、でもその実はたいして平等でもなくて、すごく中途半端だと思う。女は仕事やらなくていい側に振るか、全部まじで平等側に振るかしてほしい、中途半端な状態が女にとっていちばんダルいと思う。

    自分の長所に過去形を使うな。バルザックの台詞、希望は過去にしかない、そんな生き方するなら生きる意味なし。
    (典型的な)女と男はマジで相性悪いんじゃないか?よく結婚とか恋愛とかするよな。

    旅の終わり
    感傷に浸ったり昔を懐かしんだりする老人キモ過ぎるので死ぬまで失踪する人になりたい

    個性とは、弱味を知り、それを強みに転じる居直り。世間が良いと認めるまで戦いに戦い抜け。

  • 行動は肉体の芸術である。にもかかわらず行動を忘れ、いたずらに弁舌だけが横行する現代の風潮を憂えて、男としての爽快な生き方のモデルを示したエッセイ集。死の直前に刊行された。(e-honより)

  • 行動学入門より 行動の心理、行動に先立ち人間特有の不安を感ずることを読んで練習って大事だなって思った。

    終わりの美学は面白おかしく読めた。
    流行は思い出と共に消え、学校は精神病院だということがなんとも胸を打った。
    個性とは弱みを知り、これを強味に転じる居直りです。

  • 最初の行動学入門は面白かったが、最後の陽明学の箇所はよく分からないので読んでいない。

  • 「おわりの美学」以外わかんなかった。

    その分「おわりの美学」の痛快さ、世間を穿って見るその視点が楽しかった。
    当時の男女観なども垣間見える。おすすめ。

  • ”「時間生産性高く仕事ができるようになる!」をテーマとしてダイレクト・ラーニングで読んだ一冊。”

  • 書店で見つけて目を引かれた。書籍名は「行動学入門」。そして著者名はなんと「三島由紀夫」。
    三島由紀夫が書く行動学の入門とは一体どんな本なのか、気になって買ってみた。

    本書は3部から構成されているので、各論にて書評。

    ○行動学入門
    表題作。正直言うと、ほぼ理解できなかった。
    時代背景も違えば、思想背景も違うためなのか、書いてあることが頭に入ってこなかった…。
    そんな状態なのに断定口調が多いので、圧倒的な置き去り感。

    ○おわりの美学
    これこれ!こういうのが読みたかったんです。
    当時の「女性自身」に連載されたというエッセイ。まさしくゲイが書くコラム、その元祖といった感じ。痛快ながらも、冴え渡る文章。読み物としてなかなか楽しめた。
    特に「個性のおわり」が好みだった。
    三島由紀夫が当時の世の中をどう見ていたのか、少し垣間見えたような気がした。

    ○革命哲学としての陽明学
    またまた難しい感じ、だけど、表題作よりは親しめたと思う。
    大塩平八郎を軸に、陽明学について論じる、というとお硬い感じだけど、確実に現代に通ずるものがあった。

    「社会は肉体の安全を保証するが、魂の安全を保証しはしない。心の死ぬことを恐れず、肉体の死ぬことばかり恐れている人で日本中が占めらているならば、無事安泰であり平和である。しかし、そこに肉体の生死をものともせず、ただ心の死んでいくことを恐れる人があるからこそ、この社会には緊張が生じ、革新の意欲が底流することになるのである。」

    なるほど。
    「君たちはどう生きるか」のような、個人の生き方に関する根源的な問いを投げかけられたような読後感。

  • 普通の小説も書けるし、こういうエッセイも書ける。
    あんな極端な死に方をする人には思えないけれど、所々にその片鱗を見せています。

  • 朗読 序文

  • 本書に収録されている、「革命哲学としての陽明学」に三島自死の理論的背景を垣間見る。
    中国で生まれた陽明学が大塩、松蔭、西郷、乃木と日本で濾過されてきたことを根拠に、陽明学のナショナリズム化を図っている……と、この小論を単純化することは易しいだろう。いずれにせよ反時代性を貫くことのできる純粋な理論であれば、それは何ものであろうとも三島的であったのだと思う。たまたま先の大戦をまさに戦中世代として経験したが故に、平和な時代の空気やポリティカルコレクトネスとなったた左派思想に大衆社会的な欺瞞性や醜悪さを感じていたのではないだろうか。
    理念の未達を前提とした政治、それでも極めて有効的な政治。それらに対する、精神的な闘いの手法として陽明学を提示する。しかし陽明学はそれ自身が現実的には無効であるが故に価値をもつ思想である。有効に対する無効。にもかかわらずなぜ三島は迷わず無効を選択することができるのか。それはニヒリズムを通過した上で価値の選択しているからだ。
    その闘いには敗北が運命付けられているように見える。また三島も確信していたのではないだろか。しかし、行動への衝動を抑えることはできなかった。時代の欺瞞性を看過することのできなかった三島が、いかに潔癖なまでに行動を重視したか。そんなことをあらためて思い知らされる。

  •  
    ── 三島 由紀夫《行動学入門 19741025 文春文庫》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4167124017
     
    (20170326)
     

  • 明るい時の三島由紀夫・・・好きだー!読んでいて、なんだか興奮してくる感じが面白かった表題のエッセイ「行動学入門」も好きだけど「おわりの美学」が個人的には好きだった。文章の硬さと内容の軽さのバランスがちょうどよかった。

  • 革命の哲学としての陽明学、のみ読了。/「良知」とは、単に認識の良知を意味するものではなく、「太虚」に入って創造と行動の原動力をなすものであり、また一見、武士的な行動原理と思われる知行合一は、認識と行動の関係にひそむもっとも危険な消息を伝えるものであった。/「身の死するを恨まず、心の死するを恨む」(大塩平八郎「洗心洞?記」)/肉体の生死をものともせず、ただ心の死んでいくことを恐れる人があるからこそ、この社会には緊張が生じ、革新の意欲が底流することになるのである。/

  • 〈われわれの肉体的行動は、男である以上戦いなしにはあり得ない〉

    三島由紀夫が全力でエッセイ書いたらこうなった。マッチョすぎる。心臓に毛が生えてる。

    Ⅰ 行動学入門
    Ⅱ おわりの美学
    Ⅲ 革命哲学としての陽明学
    正直Ⅲは難しくて分からなかった。出直します。

    Ⅱ おわりの美学 が傑作で、結婚、見合い、流行、仕事をバッサバッサと終わらせまくります。
    童貞学校ってなんだよ……。

  • 学校とは、だれしも少し気のヘンになる思春期の精神病院なのです。これは実に巧みに運営されていて入院患者(学生)たちには、決して「私は頭がヘンだ」などとは気づかせない仕組みになっている。試験とは、この頭がヘンな連中に「私は正気だ」と確信させるための手続きであって、答案を書けば自分は正気だという安心をいだける仕組みになっている。学校では完全な羞恥心の欠如がゆるされる。本当の卒業とは、「学校時代の私は頭がヘンだったんだ」と気がつくことです。「大学をでたから私はインテリだ」と思っている人はいまだに頭がヘンなのであり、学校は一向に終わっていないのだというほかありません。

  • 読書のおわり。

  • 三島氏の文章は毎度のこと読みにくいんですけれども、これは著者があとがきにも述べていたように「軽い読み物」に分類される著作だと思います! ですので、割かし読みやすかったです…内容もあんまし色あせているとは思いませんでしたし、現代にも通用すると思います!

    ヽ(・ω・)/ズコー

    まあ、そんなわけでこのエッセイが書かれた時代よりさらに「頭でっかち」になっていると思われる現代にこの書物は打ってつけなんじゃないでしょうか…

    ま、あらゆる情報で頭ん中を埋め尽くして身動き取れない…みたいなことにならないように、何事も行動が肝心ということで…さよなラーメン。

    ヽ(・ω・)/ズコー

  • I 行動学入門、II おわりの美学、III 革命哲学としての陽明学
    の3部構成。
    気軽に読めるIIに対し、晩年の三島由紀夫の政治色の濃さが滲み出る。
    当時の時代背景を飛び越え、その先見性たるや作者が当時憂いていた通りに現在の日本がなってしまっていると思えてならない。あとがきが昭和45年となっており、かの三島事件の直前に書かれたもの。
    頭脳明晰であるが故、他の人には分からない将来についていろんなものが鋭く見えてしまう分、その憂い、危機感が大きかったんだろうと思う。もう少し三島由紀夫を勉強してみたい。

  • 革命哲学としての陽明学は難しかったが、調べながら読んだらとても奥深く、三島の真意が汲み取れる部分が多分に有った。
    終わりの美学は読みやすく面白い

  • 以下引用。

    清潔なものは必ず汚され、白いシャツは必ず鼠色になる。人々は、残酷にも、この世の中では、新鮮、清潔、真白、などというものが永保ちしないことを知っている。だから大いそぎで、熱狂的にこれを愛し、愛するから忽ち手垢で汚してしまう。

  • 三島由紀夫が最後に行った「行動」の裏にある思想が三島由紀夫自身の3つのエッセイによって描かれています。
    3つの内の「革命哲学としての陽明学」は難解な内容でしたが、陽明学とはどのようなものなのかなんとなく知ることが出来ました。

  • これは三島の中でも名著だと思う。小説での三島がとっつきにくい人にはオススメ。人が行動を起こすまでの思考や目的意識、そのあり方を鋭い視点と多彩な表現を駆使して書かれている。

  • 第三章の「革命哲学としての陽明学」を読みたくて買った。申し訳ないが一章、二章は軽く読み飛ばさせてもらった。三島の陽明学には偏りがある、知行合一という事にこだわり過ぎている。三島のとった行動が到良知だったのかを考える必要がある。

  • Ⅰ行動学入門

    行動は迅速であり、思索的な仕事、芸術的な仕事には非常に長い時間がかかる。しかし生はある意味では長い時間がかかり、死は瞬間的に終るのに、人々はどっちを重んじるのだろうか。

    待機は、行動における「機」というものと深くつながっている。機とは煮詰まることであり、最高の有効性を発揮することであり、そこにこそ賭けの本当の姿が形をあらわす。賭けとは全身全霊の行為であるが、百万円持っていた人間が、百万円を賭け切るときにしか、賭けの真価はあらわれない。なしくずしに賭けていったのでは、賭けではない。その全身をかけに賭けた瞬間のためには、機が熟し、行動と意志が最高度にまで煮詰められねばならない。そこまでいくと行動とは、ほとんど忍耐の別語である。

    行動における計画は、合理性の極致を常に詰めた上で、ある非合理的な力で突破されなければならないというところに行動の本質があるのではないか。しかも、そこでいつも働くのは偶然・偶発性の神秘な働きである。


    Ⅱおわりの美学

    先生たちも何割か、学生時代のまま頭がヘンな人たちがそろっていて、こういう先生は学生たちとよくウマが合う。何千人という人間のいる学校のなかで、ほんの何人かの先生がこの秘密を知っていて、この秘密を決して洩らさぬように学校経営をやってゆく。いまさら東大生の何割かが精神病だなどと発表されて、おどろくことは何もありません。

    個性とは何か?
    弱味を知り、これを強みに転じる居直りです。鼻が大きすぎたら、世間をして「花が大きいほど魅力的だ」と言わせるまで、戦いに戦い抜くことです。整形美容の病院へ飛び込んだりするのは、個性のない人間のやることとして、恥ずかしいうしろめたいことと思われている。

    「仕事がすんだ朝は、男なんか要らないという感じだ」
    というのが印象にのこっている。男の作家なら、「女なんか要らない」と言い直すべきだろうが、「セックスなんか要らない」というのは、人生よほどの充実感というべきで、人間は九割九分まで満たされていても、あとの一分でセックスのたのしみを追う動物だからです。

    ところで人間にも、自然に近い人間と、自然から遠い人間がある。悪いとわかっていながらやめられない、という人は前者であり、悪いとわかっていることは絶対に意志の力でやめる、という人は後者です。だいたい全人類の九十九パーセントが前者で、のこりの一パーセントが後者だと思ってまちがいがありますまい。

    Ⅲ革命哲学としての陽明学

    大塩平八郎はその非常な意志力と行動の決断力において、一学派を立てたほどの学者らしくもなかった。かれは東大の教授とはもっとも遠いタイプの学者であった。

    「身の死するを恨まず、心の死するを恨む」

    「山中の賊を敗るは易く、心中の賊を敗るは難し」


    あとがき

    もしこの三つのエッセイの共通点を、強引に引き出すとすれば、「何かによってしか証明されないものを、別の不適当な方法、すなわち言語手段によって証明しようとしたもの」と概括されるであろう。

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著者プロフィール

本名平岡公威。東京四谷生まれ。学習院中等科在学中、〈三島由紀夫〉のペンネームで「花ざかりの森」を書き、早熟の才をうたわれる。東大法科を経て大蔵省に入るが、まもなく退職。『仮面の告白』によって文壇の地位を確立。以後、『愛の渇き』『金閣寺』『潮騒』『憂国』『豊饒の海』など、次々話題作を発表、たえずジャーナリズムの渦中にあった。ちくま文庫に『三島由紀夫レター教室』『命売ります』『肉体の学校』『反貞女大学』『恋の都』『私の遍歴時代』『文化防衛論』『三島由紀夫の美学講座』などがある。

「1998年 『命売ります』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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