新装版 テロルの決算 (文春文庫) (文春文庫 さ 2-14)
- 文藝春秋 (2008年11月7日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (373ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167209148
作品紹介・あらすじ
ひたすら歩むことでようやく辿り着いた晴れの舞台で、61歳の野党政治家は、生き急ぎ死に急ぎ閃光のように駆け抜けてきた17歳のテロリストと、激しく交錯する。社会党委員長の浅沼稲次郎と右翼の少年山口二矢。1960年、政治の季節に邂逅する二人のその一瞬を描くノンフィクションの金字塔。新装版「あとがき」を追加執筆。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。
感想・レビュー・書評
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社会党 浅沼委員長刺殺事件のノンフィクション作品。
受賞作だけあり 引き込まれる。
若い世代にも一度読んでほしい。
テロでは解決できない問題 社会問題 にどう立ち向かうか。
詳細をみるコメント1件をすべて表示-
piccolo33さん若い世代には、神話の世界の出来事かも知れません。彼らに読んで欲しいというのは、同感です。若い世代には、神話の世界の出来事かも知れません。彼らに読んで欲しいというのは、同感です。2021/05/14
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私が生まれて間も無くの事件だった。
短刀を構えた青年が、壇上の浅沼氏に襲いかかる映像も何度も目にした。
子供心に公衆の面前で浅沼氏が刺殺されるというショッキングな事件を覚えている。
この作品で山口二矢という青年を知り、彼の思考を知り、あたかも鞘を持たない抜き身の刃物のような存在に思えたこともある。
純粋さやひたむきな正義感は直情的な行動に移行すると凶器になってしまう事があると改めて感じた。
(発売当時の月刊文藝春秋で読んだと記憶す) -
もう、三十年も前に読み終えた
ルポルタージュの名作、
本屋さんの棚に並んでいたので
懐かしく思い、奥付を見ると
「新装版」とある
これは 今一度 と…
やはり どきどき しながら
最期まで 読んでしまいました
「一瞬の物語」が
その時代の雰囲気と有り様を
見事に語ってくれる
あとがき、
それも
Ⅰ~Ⅲまで
それも また 興味深い -
個人的な価値観として、生命を奪ってまで成し遂げるべき理想や革命がある、という向きには賛同できかねるのだけれど、そういった個人の価値観を超越したところにある何か、何かはよくわからないけれど、何か。
そういうものの存在を強く感じざるを得ないドキュメンタリー。
沢木氏が後書きにていう、
「私は 、少年時代から夭折した者に惹かれつづけていた 。しかし 、私が何人かの夭折者に心を動かされていたのは 、必ずしも彼らが 「若くして死んだ 」からではなく 、彼らが 「完璧な瞬間 」を味わったことがあるからだったのではないか 。」
という感覚には、ある程度シンパシーを覚えた。
もし生きていたら、という仮定を鋭く撥ね返す夭折者。
なるほどねえ。 -
刺す方、刺される方、両者に等しい眼差しをあて、イデオロギー的に立場を取らず、クールに、しかし情熱的に文章を編んでいく。実に素晴らしいドキュメンタリーだ。ちょっとした一文が優しく、かつ重い。
浅沼は幼少の一時期を除いて、血のつながった人間との「狎れ合った」関係の中で生活したことがなかった。義母という他人、友人という他人。結婚しても子供が生まれなかったから、彼の身の回りには妻という他人、幼女という他人、秘書という他人しかいなかった。234ページ。
みたいな、ちょろっとでてくる、どきりとする文章が。 -
ずっと前に買ってあったが、全く読めておらず本棚に眠っていた。さすがにノンフィクションの金字塔といわれる作品。読み応え十分。目のつけどころもすごいし、事件が事件だけに、取材するのが相当に大変だったと思われる。インタヴューを重ね丁寧に文章を紡ぐ。こんなことはなかなかできないことだと思う。この人にはかなわないと改めて思ってしまう。
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現実は時にフィクションよりも劇的なことがある。
1960年代に日本で起こった1つのテロについてまとめたノンフィクション作品がこの本だ。
この著者を知らない人に説明するとしたら、「奇跡体験アンビリーバボー」の小説版とでも言おうか。
丹念な取材と登場人物の心理描写の推測が見事である。
取り上げた事件自体は過去に撮られた写真がピリッツァー賞を取ったことでも有名である。ネットで検索したら、すぐ写真が出てくるだろう。
ただ、ここまで犯行への動機を推察し文章におこしているのには驚かされた。人があまり理解しないであろう1人のテロリストの心情が明らかになっていくのは筆舌に尽くし難いほど素晴らしい。
取材をこれから仕事としていく身として、手元に置いておきたい一冊。 -
ノンフィクションの金字塔と言われているらしいが、その通りだと思う。
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山口二矢の父は、生きるため、稼ぐためにさまざまな職を転々とした
家庭用インターネットなど影も形もない時代
二矢少年は転居のたびに友人関係のリセットを余儀なくされ
新たな人脈の構築に苦労するハメとなった
それでも、お父さんが働いてくれているから生きていけるんだと
そんな思いで押し殺した鬱屈が
やがて政治的な感情にすり替わっていったのではないか
お国あってこそ我々日本人は生きていかれるというのに
左翼の連中はわがまま放題、好き勝手なこと言いやがって
許せん
だがそんな二矢を、父もまた全面的に理解してくれるわけではなかった
その寂しさが彼を先鋭的に駆り立てていった
二矢の幼い頃、父は農地改革や投資促進のための啓発演劇を
生業として行っていた
二矢も子役に駆り出された
その頃浴びた喝采と、父に誉められた記憶を
もう一度取り戻したかったというのは、ありそうな話だ
そんな少年に襲撃されたことは
浅沼稲次郎にとってはまさに晴天の霹靂であった
とばっちり、八つ当たりもいいとこだが
しかし社会党委員長の浅沼にとって山口二矢は
運よく政治家として生き延びてきた大戦時代からの
遅れて来た死神のようでもあった
生前、なあなあ居士と揶揄されることもあった浅沼は
大正~昭和~戦中~戦後と変化する日本社会に
迎合することで生き延びた人だったが
生き延びるための変節
その無責任を通すことこそ政治の本質と考えているフシがあった
そんな浅沼稲次郎もやはり、孤独な少年時代を過ごしていた
まあそれはよくある偶然だろう -
事件としては一瞬で終わる話なのに、全ての登場人物の背景を深掘りしていって、ここまでの話にまとめたのはすごいと思う。
当時の世相などもわかって良かった。