石のささやき (文春文庫 ク 6-16)

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  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167705558

感想・レビュー・書評

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  • 弁護士デヴィッドの姉が壊れはじめたのは、幼い息子が亡くなってからだった・・・。家族と夫婦間の不審と疑惑が徐々に充満し、破滅の予兆をはらみながら展開する悲劇の物語。 殺人課刑事ピートリ-とデヴィッドとの回想によって、事故から事件へと変貌し、胸が締め付けられる衝撃の真相へと突きすすんでゆく、 前作『緋色の迷宮』の流れをくむ因縁深いサスペンス・スリラ-です。

  • アメリカの作家「トマス・H・クック」の長篇ミステリ作品『石のささやき(原題:The Cloud Of Unknowing、英国版:The Murmur of Stones)』を読みました。

    ここのところ、アメリカの作家の作品が続いていますね、、、

    「トマス・H・クック」は以前から気になっていた作家なんですが、これまで読む機会がなく、本作品が初めて読む作品です。

    -----story-------------
    名作『緋色の記憶』を超える静かな悲劇。名手の最高傑作
    息子を事故で亡くし狂気の淵に沈む姉。
    その周囲に渦巻く悪意の源を探る弟。
    犯罪文学の名手が人間の魂の深奥を静かに描く最新作

    姉が壊れはじめたのは、幼い息子を亡くしてからだった。
    すべてが取り返しのつかない悲劇で幕を下ろしたあと、私は刑事を前に顛末を語りはじめる……。
    破滅の予兆をはらみながら静かに語られる一人の女性の悲劇。
    やがて明かされる衝撃の真相。
    人の心のもろさと悲しみを、名手が繊細に痛切に描き出した傑作。
    解説「池上冬樹」
    -----------------------

    2006年(平成18年)に発表された作品… 独特の筆致で描かれる暗くて重くい世界観や、繊細で緻密に描かれた心理描写が印象的でした、、、

    好き嫌いが別れる作品でしょうね… ジャンルはミステリというよりも、現代文学っぽい感じでしたね。


    「おまえ」と語られる現在と、「わたし」が振り返って語る過去の回想という二重の構成で進むストーリーも独特でしたね、、、

    精神を病んだ父から解放され、自由に、幸せになるはずだった姉「ダイアナ」… しかし、その息子「ジェイソン」が池で溺死したことをきっかけに、悲劇が幕を開ける。

    「ジェイソン」の死は事故だったのか、それとも事件… 統合失調症だった「ジェイソン」は、恐れていた池に自ら近付くことはなかったことから、「ダイアナ」は夫「マーク」が殺したに違いないと疑いを持つ、、、

    そして、亡き父の死に疑惑を持ち、当時の「ダイアナ」の行動を疑う「デイヴィッド」… すべてが終わってしまった今、刑事の取調べを受けつつ、「デイヴィッド」は家系に流れる忌まわしい血について、静かに回想を始める。


    悲劇の発端からエピソードが順々に語られるのですが… 私の読解力が足りないのかもしれませんが、真相は何だったのかは最後まで理解できなかったですねぇ、、、

    消化不良な感じはしましたが、心が揺さぶられる何かがあるのも事実… 不思議な魅力を持った作品でした。


    以下、主な登場人物です。

    「わたし」
     デイヴィッド・シアーズ。弁護士

    「ダイアナ・シアーズ」
     わたしの姉

    「マーク・リーガン」
     ダイアナの前夫。生化学者

    「ジェイソン」
     ダイアナの息子

    「ピートリー」
     刑事

    「アビー」
     わたしの妻

    「パティ」
     わたしの娘。高校生

    「チャーリー」
     わたしの事務所の共同経営者

    「ニーナ」
     チャーリーの娘

    「エド・リアリー」
     わたしのクライアント。離婚調停中

    「エセル」
     エドの妻

    「スチュアート・グレース」
     高名な刑事専門弁護士

    「ダグラス・プライス」
     石のつぶやきについての冊子を書いた男

  • 静かに気が狂ってくる小説です。

    「わたし」の姉ダイアナは四歳の息子を水難事故で亡くして以来、
    奇妙な行動をとるようになる。
    どうやら前夫マークが息子を殺したと思っているらしい。
    ダイアナの不気味な考えに「わたし」の娘も共鳴するようになる。
    危険を感じた「わたし」は姉と対決するが……。

    「わたし」は姉の行動を追ってゆくたびに
    狂人だった父親のことを思い出します。
    姉は狂っているのか?
    それとも真実をつかんでいるのか?
    多くを語らない姉との駆け引きが読ませます。

    この物語は「わたし」の一人称のあいだに
    「おまえ」の二人称がはさまる構成になっています。
    「わたし」と「おまえ」は同一人物で、
    刑事に取り調べられている「おまえ」の供述にあたるのが
    「わたし」の章だということを、読者はあらかじめ知っています。
    つまり読者はすでに破滅が訪れたことは知っているけれども、
    その破滅がなんなのかは分らないまま、
    破滅までの道のりを聞かされる破目になるのです。

    気のめいる体験です。
    でもこの絶望は、決して嫌じゃない。
    解説の池上冬樹の言葉を借りれば
    「うちひしがれた情況にある者は小説にみなぎる重く苦しい絶望感に慰めを覚えるだろうし(自分の絶望を知る者がここにいると嬉しく思うはずだ)、いま幸福と思いこんでいる者には(皮肉な言い方になるけれど)いずれ訪れるだろう絶望のレッスンになるだろう」
    この言葉はただのかっこつけじゃない。
    読み終えた後、実感として強く迫ってきます。
    これも解説によると、前作『緋色の迷宮』も
    「わたし」と「おまえ」が入り交じる構成になっているらしい。

    唐突ですが、トマス・H・クックの小説を読んでいると、
    私はW・G・ゼーバルトのことを思い出します。
    国籍も分野も違いますが、どちらの文章にも
    人間のむなしさを追及し尽くしたが故の慰安がある。
    ゼーバルトはもっと無責任というか茫洋としていて
    「絶望のレッスン」というよりは
    「あきらめの共有」かもしれませんが。
    日本でいえば、池上冬樹が挙げている佐伯一麦や福永武彦(またかよ)
    よりもむしろ南木佳士ではないでしょうか。

    人は皆死ぬということ。
    人は皆苦しむということ。
    そんな当り前のことを、トマス・H・クックの小説は
    あらためて教えてくれます。

    追伸:作中に出てきたキンセッタ・タブーという
    歌手の曲が聴きたくなったので検索したところ、
    2ちゃんねるのトマス・H・クックスレしかヒットしない……
    どうやら創作だったようです。残念!

  • しょっぱなから肉を骨からこそげとられて食われた痕跡のある人骨の写真をFAXしてくるダイアナが壊れすぎ。「この壊れっぷりで序盤か!」と恐れ慄いた。

    親父が統合失調症で暴れまくり、幼い主人公は震え、頭のいい姉のダイアナがなだめる役割だった。親父の介護から解放され、結婚して息子もできたが、その息子も統合失調症だった。その息子が池でおぼれ死ぬ。そこからダイアナは壊れ始めた。

    一番怖いのは引用と引用元だけで会話を成り立たせると言うところ。今まで読んだクックの作品の中で一番怖い。非人間的なまでに狂気全開。たぶん統合失調症について相当取材したんだと思う。

    文中「ちゃんとした目的をもって行動しているのに、他人からは狂気以外の何物にも見えないことがある」とダイアナは言っている。それはまさにダイアナのことで、主人公だけでなく読者も最後まで気づかない。

    親父もダイアナもダイアナの息子ジェイソンも、そして主人公も声が聞こえていた。それを踏まえると、挿入されている二人称部分は最初は他の作品でもあったクックの演出だと思っていたが、そこの視点は「声」じゃないかと気づいた。

  • この世界観、読後感はクックならでは。

  • 半分以上読んでも何がどうなってこの先どうなるのかがはっきり見えてこず、なかばイライラして読んでしまいました。主人公の語り(回想)についつられて登場人物がそれぞれ不気味に怪しく感じられ、いつも私は騙されるのでした。悲しくて、ひしひしと怖かったです。

  • ひどくつまらなくてガックリな作品。いままで当たり外れがなかっただけに(そしてミステリ翻訳の鉄板・村松潔が手がけていただけに)、残念。断捨離本。

  •  …姉が壊れ始めたのは、幼い息子をなくしてからだった…。

     「緋色の記憶」「夜の記憶」のトマス・H・クックの描く家族の愛憎。

     時間軸的には、既に物語りは終っている。
     弟デイビットが、刑事ピートリーに何が起こったのか話しているシーンと、デイビットの語る過去が交錯している。
     この辺の構成は、相変わらず上手い。
     クックは、構成で読ませる作家だよな、と再確認。
     一体何が起こったのか、よくわからないもどかしさ焦燥が、ページを繰る手を休ませてくれない。職人です。
     
     二人の姉弟は、精神を病んだ父によって育てられたのだけど、この家族背景が決して抜け出せない底なし沼のようで怖い。語っているデイビットが、淡々としているので、怖さが倍増する。
     でも、子供を捨てたり殺したりする親はいるけど、親を捨てる子供はほとんどいないんだよね。
     姉弟の「いつか父のようになってしまうのではないか」という恐怖にかんじがらめになってしまっている様は、悲しい。
     「家族は愛憎を煮詰める大鍋」といったのは、ジョナサン・ケラーマンだ。
     父が、自分の病に向き合い、姉弟を自分の元から手放していたら、この悲劇は回避できたのかもしれない。切ない。本当に切ない。

     姉に危険なまでにひかれていく娘(姪)の父への反発や、それに対する不安。そして、姉の息子の死への疑問など、語るべきものは沢山ある。
     けれど、本は閉じられた。
     読み終わって、ふいに強くそう思った。
     「本は閉じられた」のだと。

     失うということは、このように「無」なのだ。

  • うーん、伏線が見え見えだったことと、主人公の姉にあまり魅力を感じ得なかったことが残念。

  • 壊れていったのは本当に姉なのか
    わたしとおまえ

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