縄文文化が日本人の未来を拓く

著者 :
  • 徳間書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784198645953

作品紹介・あらすじ

考古学のその先へ――縄文人の思考に迫る面白さ。学校では教えてくれない縄文文化の魅力、縄文人のすごさ。日本人の精神性のルーツがここにあります!
・なぜ富士山を神々しく思い、太陽に手を合わせるのか
・世界で一番古い土器は縄文土器、器の存在も超えた
・俳句は、縄文の自然との共感共鳴を伝えている
・フグを食べ、ウニはおいしい旬に食べていた
・縄文人は「数」を認識していた縄文人、他

感想・レビュー・書評

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  • 縄文は素晴らしい文化を持っており現代日本の文化や日本人の思想に大きな影響を及ぼしているというのが本書の主張。

    ここからは私の主張。
    文化に優劣はないが、文明に優劣はあり、残念ながら進んだ文明が遅れた文明を征服してきたのは歴史的事実。

    銃病原菌鉄のジャレドダイアモンドの説から考えて、縄文人は農耕民族弥生人に征服された、あるいは追いやられた。その過程で混血が進んだという説が有力なのだと思う。

    もちろん縄文文化も残ったとは思うが、狩猟採集民と農耕民の文化は全く違うので農耕民の文化が中心となったはず。
    弥生文化をベースとして日本列島の環境の中で育まれたのが今の日本の文化であるというのが私の意見。
    なので、縄文には素晴らしい文化があったのだとしても、それが現代の日本人のベースになっているというのはロマンチック過ぎると私は感じる。

  • ふむ

  • 15000年もの間日本で育まれていた縄文文化。

    社会歴史の本では、我々の時代は、

    弥生のそれが進んでて、縄文は軽んじられていたし、

    文字がなかったことで、日本の言葉の文化も

    なかったのでは、大陸から?と思われていた。

    今でも、そう思われている学者が多い。

    縄文土器は、世界規模で見ても、

    日本独特の文化で、詳しく調べれば調べるほど、

    農耕文化の前にすでに、日本人は、自然の中にあって、

    社会を構成し、村を作り、定住を始め、定住することで

    身近な自然の洞察が深まり、夏至、冬至を生活に取り込み、

    世界では軽んじられる春分、秋分をも生活に。



    生活集団を形成する場所の他に、

    夏至、冬至、春分、秋分に

    美しい太陽と山の稜線が作るダイヤモンドフラッシュを

    意識的に見られる場所を神聖な場所として

    イベントを行なっていたのだ。



    自然を観察し、定住したことにより、

    狩や採取に出掛けられない老人などが

    文化を次の世代の子供達に伝え、脈々と文化を伝承。



    読めば、読むほど面白い!!

  • 縄文の概要を掴むには最適。
    寒川神社州編に集落があったとは知らず、行ってみたが、史跡の看板しかなく周辺は団地になっていた。仕方ないとは思うが、縄文を感じる何かが欲しい。

  • 小林達雄氏(1937年~)は、縄文文化を専門とする考古学者で、國學院大学名誉教授。新潟県立歴史博物館名誉館長。
    私は日本の人類史についての特段の専門知識は持たないが、縄文時代・文化に対する解釈は専門家の間でも見解が分かれているらしく、著者はそうした点も踏まえて自らの考えであることを断りつつも、強い自信と信念をもって筆を進めている。
    著者は本書で、縄文時代の、集落、記念物(ストーンサークル等)、縄文火焔土器、土偶、大和言葉、狩猟採集生活などがどのようなもので、よって縄文文化が他の文化と如何に異なる特徴を持っていたのかについて様々な分析をしているが、一貫して強調しているのは、縄文時代がヨーロッパや中国大陸の新石器時代とほぼ同年代にありながら、大陸の新石器時代が「農耕」を伴っていたのに対し、縄文時代は1万年以上に亘り農耕ではなく「狩猟・採集」を行っていたという点で、更に以下のように展開している。
    ◆大陸の新石器時代では、農耕とともに定住するようになった人々は、自然と共生せずに自然を征服しようとしてきた。人工的に作られた集落(ムラ)の外側には人工的な機能を持つ耕作地(ノラ)があり、ムラの周りの自然は開墾すべき対象だった。一方、縄文時代では、人々は狩猟・漁労・採集(更に、土器の発明により煮炊きが可能となったこと)によって定住を果たし、自然と共存共生してきた。ムラの周りには自然(ハラ)を温存し、自然の秩序を保ちながら、自然の恵みをそのまま利用してきた。
    ◆人類の歴史で重要なことは、第一段階の遊動的生活から第二段階の定住的生活への変革であり、その基盤が農耕か狩猟・採集かで優劣はない。日本がその後弥生文化の農耕を受け入れることになるのは、遅れた縄文文化が進んだ弥生文化に移行したということではなく、二つの文化の対立の結果、何らかの歴史的事件があったと考えられる。
    ◆日本的観念、日本的姿勢とは、縄文文化に始まる「自然との共生」をベースとしており、「自然との対決」をベースとするヨーロッパ的、中国的観念・姿勢とは根本的に異なる。
    ◆大陸的な「自然との対決」の姿勢は、いずれ「自然の征服」となり、それが正しい人類の歴史であるとする西洋的な歴史観につながってきて、今や後戻りのできない深刻な局面を迎えている。今こそ縄文文化の発想から我々の生き方を照らし出していく必要がある。
    著者の主張する「自然との共存」は、サステイナブルな社会を実現していくために不可欠の考え方として世界中でかなり浸透してきているものの、一方で、政治家や成功した実業家のような社会的影響力の大きい人々の中にも(だからこそ?)、経済成長の呪縛から逃れられない輩が少なくない。
    我々には縄文文化の「自然との共存共生」が遺伝子として刷り込まれているのであり、それを呼び覚まして、そうした取り組みをリードしていかなければならないと強く思う。そして、それこそが「日本人の(更には、世界の人々の)未来を拓く」ことになるのだ。
    (2019年1月了)

  • ◆「自然と共生」した文化◆
    日本人のやさしさのルーツを探っていると、縄文文化に辿り着きました。稲作が始まる前、約1万年間続いた縄文時代、人々は定住しながら自然を大切にする生活を営みました。すなわち、自然を克服するのではなく、自然をそのままの形で利用するという生活形態です。人々は様々な技術や情報を蓄積し、住居や食料を確保しました。それは今も記念物や縄文土器・土偶・言葉として日本全国に残っています。現代人が縄文時代の日本人に学ぶところは大きいですね。

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著者プロフィール

1937年新潟県生まれ。國學院大學大学院博士課程修了。博士(歴史学)。
東京都教育庁文化課、文化庁文化財調査官、國學院大學文学部助教授・教授を経て、
現在、國學院大學名誉教授、新潟県立歴史博物館名誉館長。縄文文化の総合的研究により浜田青陵賞を受賞。
主な著書に『縄文土器の研究』(小学館・学生社)、『縄文人の世界』(朝日選書)、
『縄文人の文化力』(新書館)、『縄文の思考』(ちくま新書)、『縄文人追跡』(ちくま文庫)、
編著に『縄文土器大観』(小学館)、『縄文ランドスケープ』(アム・プロモーション)、
『考古学ハンドブック』(新書館)、『総覧縄文土器』(アム・プロモーション)、『世界遺産縄文遺跡』(同成社)、
共著に『世界史の中の縄文』(新書館)ほか多数。

「2012年 『縄文土器を読む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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