- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784272331031
感想・レビュー・書評
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――隣国と日本は同じ道をたどっている。
――しかも、そのことに気づいてもいない。
まず私が思ったのはそんなことでした。
・男女差別、逆差別だという声が上がること
・LGBT法案についての賛否
・オールジェンダートイレの設置
・バリアフリーの問題点
・非正規雇用の扱い
・海外からの移住者の扱い
などなど、今の日本でも本当にタイムリーな問題について書かれており、食い入るように読み耽りました。
私は「女性」で「非正規」という点では差別を感じ取ることができるけれど、LGBTや身体障害、海外移住者の差別については疎い。
誰もがそうして自分に関連する差別には気づくけれど、自分が知らないうちに他人を差別しているなんて思いもしない。そういうことを具体例を交えて説明した本です。
最近、個人的に気になっていた「男尊女卑が逆転して女尊男卑になっている」という発言のメカニズム(≒意図)もとてもよく理解できました。
既得権益を手放すということ、それを惜しいと思うことは、すでに特権階級にいたということで、そう考えると「女性優遇措置」「ジェンダー平等」「ジェンダーマイノリティへの配慮」は全て、男性にとっては不平等に映ってしまうということなんですね(当の男性は気付いていないけど)。
私のレビューをここまで読んで「フェミニズムの本なのかな?」と思った方もおられるかもしれませんが、この本は女性差別だけを扱ったものではなく、「差別そのもの」について語った本です。
著者のキム・ジヘ氏は大学教授(マイノリティ、人権、差別論を研究)で、自身も差別された経験があり、また、差別したこともあると冒頭のエピソードで語っています。
「特権階級」というと、つい王族や貴族のような「ごく一部の人」のようなイメージを抱いてしまいがちですが、著者は「誰もが何らかの特権を持ち、他人を差別しうる」と言います。
それは「もうすっかりお箸の使い方もマスターしたね」とか「日本語お上手ですね」「日本人みたいですね」というような(話し手からすれば)何気ないものであっても差別になるということ。お笑い芸人が一部の人を揶揄するネタを披露したなら、それはそこに属する人を差別しているということになる。
そう考えると、差別は本当に身近なところにあるのだなと考えさせられます。それと同時に、この本を読みながら「私の〇〇は差別だったんだ」と、自分のされたことは自覚しつつも、自分がしたことについては透明なままになっている思考にも気づきます。
相手から指摘されて初めて気付く(自分のしている)差別は、指摘されない限り本人が気づくことはないのだと知りました(ちょうど冒頭のシンポジウムでの体験と同じですね)。
「差別はいけないこと」という言葉も思想も、知らない人、聞いたことのない人は恐らくいないでしょう。
しかし、その一方で差別に気づくこと、自覚する可能性については、我々は空中に溶け込んだ透明な物体を見つけようとするようなもので、まったく教えられてこなかったし、具体的にどうすれば良いか考えたことも少ないのです。
差別したとしても、した側にはそれが見えない。だからこそ、「差別に感じた・差別をされた」ということをある程度安心して示せる場が必要だし、それを相互理解として前向きに捉える気持ちが大切なのだなと感じました(簡単なことではありません)。
著者の言うように、我々は「既得権益を守るために不平等な社会を容認する」もしくは「平等な社会を実現するために、自分の持つものを手放す」という二つの選択肢を持ち、そのどちらかを選ばなければならないのです。
今、立っている地面の下に、踏みつけられている人がいるかもしれない。その人を助けることは、自分のこれまでの「当たり前」を覆すことかもしれない。この選択を迫られたとき、即答できる人はいないと感じました。
そして同時に、この問題に正解はなく、この先もずっと考え続けなければならないとも感じました。
本当に権利はゼロサムゲームなのでしょうか。
我々は大いなる勘違いをしているように思えてならないのです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分も間違いなく「意図せずに」…うーん、やはり気づいてたか。いや、気づいてたと言うか「差別」とは全く思わず、ある一面だけを見て思い込んだり、理解しようとしないことがあった。それは「差別」だった。
<心に留めたい言葉>
しかし、差別は私たちが思うよりも平凡で日常的なものである。固定観念を持つことも、他の集団に敵愾心を持つことも、きわめて容易なことだ。誰かを差別しない可能性なんて、実はほとんど存在しない。
不平等な社会が息苦しい理由は、構造的な問題を、個人の努力で解決するよう不当に誘いかけているからだ。不平等という社会的不正義に対する責任を、差別を受ける個人に負わせる。そのため個人の人生は不安になる。病気になったり、失敗したり、いかなる理由であれ、マイノリティの位置に置かれないよう、たえず注意を払わなければならない。
私たちが生涯にわたって努力して磨かなければならない内容を、「差別されないための努力」から「差別しないための努力」に変えるのだ。
みんなが少しずつ緊張をほどき、少しゆるんではいても、馴染みのない存在をも包みこむことができる、余裕のある関係をつくってみようと提案したかった。 -
差別とはなんなのか、
またナチスやKKKのような「わかりやすい悪」ではなく、あなたや私のような「善良な市民」が差別主義者になりうるということを、わかりやすい言葉と豊富な事例で教えてくれる。
人権や差別が難しい、とっつきづらい、「政治的」と思う人に読んでほしい本、
インターセクショナリティ(属性の組み合わせ)次第で差別者にも被差別者にもなりうるということや、「特権」の概念などやや専門的な内容にも踏み込んでおり、折に触れて見返したい。
ラストの解説で韓国の人権や差別における進展・後退の歴史がかんたんに解説されており、保守政権および保守派宗教団体によるバックラッシュなど、今の日本と非常に似た状況だとわかり驚いた。
日本にしろ韓国にしろ、人権や権利は思いやりや道徳ではなく、国家で守っていかないといけない概念であり、それを政治と市民社会にただしく浸透させ、包括的な差別禁止法を実現させるかがこれからの課題だと改めて認識できた。 -
自分も知らないうちに、差別してたりされてたりすることに気付かされました。
当たり前すぎて、女性で産まれたことが劣勢からスタートしてると考えたことも無かった。 -
障害者として生きる自分。困難さ、不便さに慣れてしまっている。感覚が麻痺してしまっている。差別に気づかないふりをしてその場をやり過ごしてしまっていると言った方が正しいのかも。これはある種、マイノリティとしての生きる術(処世術)なのかもしれない。
聴覚障害者の完全参加と平等を理念とした某団体は、鳥の目で社会構造を見ているからこそ、世の中の不平等さに気づけるのかもしれない。また、個ではなく集団だからこそ、権利を求めて闘えるのかもしれない。
“そんなつもりはなかった”というのもよくある話。受け取る側がどう感じたか?が大事だろうけど、無意識の差別がある、相手に悪気はないということを知っておくだけでも救われる部分はあるのでは。また、適当な対応を考えることもできる。こちら側(差別を受ける側)にも学びは必要。
そして、私自身も気づかないうちに多くの人を差別しているのかもしれない。自分の「特権」に気づかずに。だって、立ち位置が変われば風景が変わるのだから。省察を繰り返すことを心がけたい。
なかなか奥深くて学びの多い内容。とても濃かった。今後の自分の生き方の指針にもなった。 -
題名の通り、善良で差別しようと考えていない人が、無意識に差別してしまう様は身に覚えがありました。
かといってそんな事言ってたら何言えないし出来ない!NGワードが多すぎる!などと考えるのをやめて認めない人には心からなりたくないので、いつも未熟であり、知らぬ間に身近な人や大切な人を傷つけていないか、気をつけながら生涯努力し、勉強するしかないと思います。 -
気軽に、一般市民が知らずしらずのうちに行ってしまっている差別について、事例とともに気付かせてくれる本だと想像していた。
実際、そのような面もあるのだが、それは始めの1/3程度であり、残りのパートは、しっかりと各論が論じられる、硬派な本だった。
日本と韓国は大変、文化的・思想的に似ていることがよく分かった。 -
何かの表現や対応で燃えているのを見て「これって、でも問題ないんじゃないの?」と思った時に読んでみるといいかなという「差別」についての導入本。
「良い人だから差別することなんてない」ではなく、「誰もがだれかを差別する可能性がある」「それは当人の性格等ではなく、社会の構造的に起こり得るものである」というのを前提としていて、その辺りを実際の事件などをもとに丁寧に解説されている。
韓国を舞台にしているものの、今の日本に通じる部分も多く、想像がしやすいので学びやすい。また、用いる単語も、専門用語やカタカナが少なくて読みやすかった。
まだ価値観変動が起きたばかりでしっかりした方向性が確立していない今、「これってセクハラ?」「パワハラにあたるの?」といった不安を抱えている人にぜひおすすめしたい。
差別というのは「快・不快」の問題ではない。自分が実は「力を持っている側」で、無意識の内に相手に圧力を与える立場にあるということを自覚しながら行動していきたい、と思える本。 -
人はお互いを差別し、また差別される。差別する方は意識はしないし、差別される側も無意識に、それを維持することに加担してしまう場合がある。歴史的に、構造的に当たり前と思っていることが、差別につながることは多々ある。ただその見えなかった問題が見えるようになり、考えられるようになった。おとなり韓国では、歴史的な経過もあるが、社会で、そのような流れを変えようという運動が起こっている。本書はそのような韓国の歴史や文化も含めて書かれているので、その理解がないと少し難しいかもしれないが、それを差し引いても、日常的に差別はあるし、それは誰の日常にもあり、そのためには差別を受けている人達の状況を知り、共に戦うプロセスが差別を解消していくことにつながるのだろう。
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差別なんてよくない、みんな平等に。だれひとり取り残さずに。そう、多くの人は本気でそう思っている。KKKのような排外主義者と相見えることは実世界においてそうそうないことだ。
にもかかわらず、差別というものがなくならないのはなぜか。アンコンシャス・バイアスしかり、そこに悪意はない。その無自覚さこそが、無自覚であるがゆえに修正が難しい差別の源泉となってしまう。
一人ひとりが自らの偏りに気づき、認め、ことなるものさしを理解するー。そういった地道なつながりの先にあるのが差別のない世界なのだろう。