保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである: コロナ禍「名店再訪」から保守再起動へ
- 河出書房新社 (2023年4月15日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309031033
感想・レビュー・書評
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これは完全にタイトルで選んだ笑
コロナ禍で閉店の危機に悩まされた名店を訪ね歩くという企画で、「サンデー毎日」にて不定期連載されたコラムを加筆・再構成している。些かハードボイルドな文体ながらも、著者ゆかりの名店(飲食店がメインだが他に理髪店や書店も取り上げられている)にかける慈しみが節々で伝わってきた。
また食とは関係ないが、故角川春樹氏・石原慎太郎氏との懐旧談も収められている。
本を開くまで、著者のことはお顔どころかお名前すら知らなかった。
「批評家」「健啖家だった頃とは見違えるほどに痩せて老いて見える」
読後他の方のレビューやネットの情報を確認しても、イマイチ分かった気がしない。ただ言葉の端々に棘があるのは、さすが批評家だと思った。文中で時の政治家に物申す書き手なんて初めてお目にかかる。こんなの、呼ばれた本人じゃなくてもドギマギするではないか…。
中学生から飲酒を始め、高校時代は遊ぶ金欲しさに父親の蔵書を古本屋に売却。健啖家時代から30キロ以上痩せてしまったのも、長年の不摂生な生活のツケが回ってきたから。
戦後の若者特有の(と言うべきか?)ギラギラした経歴。文体も含め苦手なタイプだと直感しながらも、彼が人生をかけて選び「取り替えの効かない」とまで言わしめた名店はどれも興味深かったし、どれか一店舗でも訪れてみたいと思わせた。
それに「食レポ中」は、心なしか文体も頬も緩んでいる感じがした。良い店の前では人間素直になるもんだな。
「靖国神社よりもキッチン南海(東京都 神保町の洋食屋)を守る」
またもやオーバーな文言だが、お気持ちはまぁ分からなくもない。
「日本がこれまで続いてきたのは、普通の街や村に住んでいる人たちの、その普通の暮らしが文化であったということにある。しかしコロナ禍によって、古来日本人が守り続けてきた日常を大切にし、それを文化とする心を現代の我々が失っていることを露呈させた」
著者は冒頭でそう語っている。著者にとって本書の名店は「文化」と結びついており、それは飲食を提供するだけの存在ではない。
タイトルは劇作家 福田恆存(つねあり)の受け売りだが、ここでの「保守」とは日常を守ること、生活に関する文化に対して敏感でいることを指す。「保守」という言葉のせいで堅固な印象が滲み出てしまうけど、日常生活やその中で見つけた良いお店が変わらず在って欲しいと願うのは自分も同じだ。
本書の名店においても、誰ひとり解雇せずに営業を続けたお店があった。それもまた店側にとっての「保守」なのかもしれない。
ロックダウンやら酒類提供禁止やらの非常事態は切り抜けたものの、未だ疫病禍は終息していない。
日常を守るために日常を見つめ直す。あの頃に抱いた意識を久々に思い出した。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイトルに惹かれ手に取った。
ちなみに、このタイトルは劇作家の福田恒存作。市井の人々の平素の営みこそが国を支えているという意味。
保守の定義を蛮勇に走らず、粋な気風を感じるタイトル。しかしながら、その感じ入りも一瞬。表紙カバーに写る著者の近影を目の当たりにして、えっ、あの丸顔に丸メガネで小太りの…傲岸不遜の福田和也?あまりの面相の変わりぶりに、しばし呆然。同姓同名の作家と思った方も多いのでは…。
フレンチやイタリアンを平らげた後に平気でカツカレーを食べてた30〜40代の頃は優に80キロあった体重が、還暦を過ぎた今は長年の不摂生がたたり30キロ以上落ちたと語る。現に本書の初出であるサンデー毎日連載時の1年半に3回も緊急搬送されたという。
まぁ、この暴飲暴食のもたらす高揚なエネルギーを執筆に変換し、石炭をくべて走る蒸気機関車よろしくエッセイ・時事評論・文芸評論等の原稿を月産300枚書き飛ばし、合間に対談・テレビのコメンテーターをこなし、夜は文壇バーで痛飲…、そら身体壊しますわ。
著者は坦懐する。どんなに暴飲暴食しようが、いざ原稿に向かえば、本で得た知識や数多の人との会話、自身の体験談等から言葉の大群がたちどころに押し寄せ、後はそれを交通整理するだけでよかったと…。
所謂『ゾーン』の渦中に長らくいた著者も、ついに肉体は悲鳴を上げる。言葉はどこからもやって来ず、いくら言葉を探しても見つからず、追いかけてもつかまらず、原稿量は激減。ひどい時には人を会話をしていて言葉が出てこないことさえも。
ところが、食えなくなり書けなくなったことが、逆に食べたい!書きたい!という欲求がもたげはじめ、ならば、コロナ禍で営業もままならない長年贔屓にしている飲食店-とんかつ屋・蕎麦屋・おでん屋・居酒屋・割烹・バー-18軒をピックアップし訪ねてみようと横臥から立ち上がる。
訪ねた1軒目は大好物のとんかつ屋。カウンターに腰掛け、ハムサラダを肴に生ビールを飲りつつロースカツの揚がりを待つ。かつてはポークソテーでロースカツだったが、もうそれはきついと言う。
病に冒され尋常じゃない痩せ方をしている割には、とんかつ屋に限らずいずれの店でも、中々どうしての健啖ぶり。引退して久しいのにOB戦でマウンドに上がれば130キロの速球を投げて見せる往年のエースみたいで驚く。
とは言え、その料理の描写や食レポ、パンデミックにあえぐ飲食店の窮状のレポートについては、凡庸で落胆。
著者は前書きで、村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』の一節を引用し、文章は目を背けたくなるような人間の醜い部分も扱う。書き手に基礎体力がなければ負のパワーにやられてしまう…。
まさにそうで、著者は保守派の論客でありながら、安倍晋三氏を称して〈ボンボンで考えが浅く、とにかく勉強をしたことがなく、常に安全運転…〉の見方にあるように、慶大仏文出身も手伝ってか、所謂ゴリゴリの右派が張りがちな論陣に与しない。
高貴と時に諧謔に交えた論評に快哉を叫んだ者のひとりとして、とにかく健康を取り戻し、再び艶のある文章にお目にかかりたいと切に願うばかり。
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昔とは別人のように痩せて老いた、表紙の著者近影――それが話題になった最新著作である。
内容は、批評家としての復活にはほど遠い、単なるグルメ記事集だ(ほかに角川春樹、石原慎太郎についての短文を収録しているが、何ともチグハグ)。
副題の「保守再起動」に当たる内容も、皆無に等しい。
140ページ程度と薄く、内容も薄い。カバーそでには「福田和也、万感のラストメッセージ。」とあって、驚く。「ラスト」? そんなに体調が悪いのだろうか。
コロナ禍真っ只中の名店を探訪したグルメ記事集として読めば、内容は悪くはない。
が、誰も福田和也に「単なるグルメ記事」など期待していないだろう。値段に値しない一冊。 -
自分が保守なのかどうかは不明だが、日々の生活を大切に思う点はよくわかる。
しかし、健啖家だった著者の変貌ぶりに驚く。 -
タイトルに興味を持って手にしたが、普通にグルメ本でちょっと肩透かしを食らった感じ。
なにより著者の激ヤセ変貌振りに驚いた。 -
京都 千花は良いお店でした。
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面白かった。
この人が活躍していたころを知っている身からすると、まず現在の写真だけでびっくりする。
かつては「言葉はどんどんやってきた」「それを交通整理するだけでよかった」という。それが「探しても見つからず」「言葉が出てこないことさえある」(p13)のだという。
そんな著者が巡る名店のなんとおいしそうなこと。とくに神保町のキッチン南海!まさに食は文化だ。これを守ることが「保守」なんだと。
保守とは政治というより文化、日常を守ことだ。そのとおり。