- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309206325
作品紹介・あらすじ
無に向かって広がる声の万華鏡。読めば読むほどふかみにはまる。タブッキに惚れたってことよ。――小池昌代(詩人)こうして小説になったこれらの手紙の性質はどんなものか話せと言われたら、恋文だと規定してみせるかもしれない。それは相当広い意味において、つまり広大な愛の領域と同じくらい広くて、怨恨、憤慨、郷愁、後悔といった、愛の領域とは無縁に見える未知の領域にまで広がっている。――A・T「あとがき」より
感想・レビュー・書評
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手紙は常に時間にうまく着陸できない。そもそもこれらの書簡は届けられたのかさえ怪しいものもある。とはいえ、言葉は祈りだ。届くことを前提として書かれた言葉は傲慢だ。うるさくてかなわない。では、タブッキのこの本は謙虚なのだろうか。まさかね。
これらも傲慢なんだ、届かないって分かってるから。それにもかかわらず書かなきゃならなかったんだから。ただし、その傲慢さは魅惑的でときに幻想的ですらある。
書簡短編集。あとがきおよび訳者あとがきもよい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『まず考えさせられるのは、その時代が僕らにあたえる過剰が、どんなに過剰かってことだ』ー『海にあずけたチケット』
初めて「供述によるとペレイラは…」を読んだ時から、タブッキの小説は、文体や様式の違いはあっても、いつも同じ印象を自分に与える。それは、海で偶然拾ったボトルに封入された手紙を読んだら感じるであろう心持ち、とでも言ったらよいかも知れない。そのボトルの中身は、決して自分に宛てられた手紙ではない。けれど、特定の誰かに宛てられた手紙とも思えない。結局のところ、受け取る人のない手紙のようにも思える。そんなものを読むことの意味が有るのか、と問われると答えに窮する。
『人生は、気づかないうちに少しずついっぱいにふくれ上がるものだけれど、その腫れ物はちょっとでも余分になると、嚢胞や混沌と同じで、上限を超えれば、そうして詰めこまれたモノ、物体も記憶も物音も、夢もまどろみも、そのすべてがまったく無意味な集合体と化す』ー『川』
にも拘らず、誰に宛てたものでもないが、確かに誰かに託されたに違いない手紙の中で、ひどくしっくりとくる言葉に出会う。それは物語として立ち上がるものを情緒的に感じるということとは全く異質な経験。むしろ、どのような物語が表面的にせよ成立しているのかということなど、一切問われることを想定していない言葉の連なりを読んでいるというのに、物語の裏側に潜んでいる事情に直接心が奪われるような、そんな言葉に、自分個人の思いが見透かされたような言葉に、唐突に出会うのだ。
『ぼくの物語では、ひとつのことがもうひとつのことと噛み合わず、物語の一部分が別の部分とは噛み合わい。すべてがこんなふうなんだ。人生みたいに』ー『会いにいったけれどきみはいかった』
溢れる言葉の中を迷子のように、自分自身の身体が言葉の慣性力によって振り回されるのを感じて困惑し右往左往しながら、頭の中を空っぽにして、ニュートラルに心を保つことしか、タブッキの読み方の選択肢は許されていない、そう自分には思えてならない。それが果たして読書と呼べるのかどうかは分からないけれど、タブッキを読むことは特別なことだと、やはり思う。 -
一読意味不明の難解な短編もいくつかあるが(読者にとって良くないことに前半に集中しているから、本を途中で投げ出したくなる)、死別するなどして今はもう会えないかつての愛する人に語りかけるような様々な書簡で構成された、やや感傷的なショート・ストーリー。「わが家からの朗報」は妻が自殺し、精神障害のある息子とともに残された夫が亡き妻に書き送る手紙。母を弁護し正当化しようとしてメンタルが追い詰められる息子。何年も過ぎても、ぼくらは何一つ忘れることなく憶えていると語る夫。なんて辛い話なんだろうか。「仮面を疲れて」はシェイクスピア俳優のカップルの話。ハムレットとオフィーリアを演じていた2人だが、何が芝居の話なのか、どれが現実の話なのか、境界が曖昧なままハムレット俳優は、芝居と同じように自殺してしまったオフィーリア俳優を回想していく。現実には存在しなかった2人の孫に鉄道のおもちゃを買ってやる話は涙なしには読めない。「わが淡い瞳、蜜のような髪」も「きみを欲し、きみをもとめ、きみの名を呼び…」も男心が切ない。
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久しぶりのタブッキ。書簡小説。
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安定のタブッキ
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これまで知っていると思っていたタブッキとは違うタブッキを発見。
おそらく壮年期も過ぎたであろう人物達は皆、人間臭く、ダメ男だったり、ちょっと嫌なヤツだったりしながらも、受け入れるほかない喪失感と消えない情熱に憑かれて、今はもうここにいない愛する女性にひたすら語りかける。
切なくて愛しい。 -
日本経済新聞(2013/11/10)の書評欄にて作家の中島京子さんが紹介。