動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 (河出文庫 ち 6-1)
- 河出書房新社 (2017年9月6日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309415628
感想・レビュー・書評
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檜垣さんの「ドゥルーズ―解けない問いを生きる 」が、面白かったので、勢いでこちらも読んでみました。
檜垣さんの本は、ベルクソンの後継者として、何か時間の中で継続しつつ、生成し、差異を生み出していくというイメージでドゥルーズを読んでいた。
このドゥルーズ像は、これまで私がわからないなりに読んできたドゥルーズとは結構違うイメージで驚いた。私は何を読んできたのかな?これまで読んだのが、どっちかというとドゥルーズ=ガタリだったからなのかな?など、考え込んでしまった。
で、こちらは、私のこれまでのドゥルーズ理解との共通性が多い気がした。つまり、ドゥルーズ=ガタリのリゾームとか、機械とか、器官なき身体とか、そういう部分がしっかりと論じられている。で、そちらだけでなく、檜垣さん的な時間の中での生成という側面とそれが対比、統合されている感じかな?
それが、ドゥルーズの多くの主著の解釈を読み解きながら、議論が進められつつ、さらにはドゥルーズから現代的な意味を生成していくような感じでスリリングであった。
とは言っても、読み進めていくと議論はだんだん難しくなって、何を言っているのかわからなくなる。
修行が足らんなと思い、自分の理解度に応じて、評価は3つにしてみた。この本自体の評価ではない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
切断と接続、という対立項を提示し、切断性により重心を寄せつつその間に留まることで、ドゥルーズの思考を包括してみせた本。すばらしい仕事。
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所々、非常に難解。上方、下方の全体性に逢着せずに、連続性と切断、イロニーとユーモア(ツッコミとボケ)の間でいかにバランスを取るかがテーマで、そういう意味ではネット社会の接続過剰、それか醸すある種の多様性、相対主義の仮面をした全体性についてアクチュアルな議論。売れたのもわかる。ただ、やはり物凄く思弁的で、こうした哲学的議論がいかほどの意味を持ちうるのかについては、面白く読みながらも一抹の疑念が頭を指すめる昨今。色んな煌めきや刺激されるセンテンスがたくさんあって、読み物としてはおもしろいんですけどね。メタファー的な表現が多く科学関係の書籍を読んだ時の明晰さからくるワンダーとは違った面白さがあるんだが、それがどういう意味を持つのかは。。著書にとっては今を理解するため、対峙する為のやむにやまれぬ関心のありからしいことは伝わってきたが、この議論の価値がどこにあるかはなかなか評価しにくい。
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動きすぎてはいけない:ジル・ドゥルーズと生成の変化の哲学