勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版 (文春文庫) [Kindle]

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  • 「勉強が気になっているすべての人に向けて」という書き出し始めの言葉となっている。勉強が深まると周りとの共感性のノリが悪くなりバカができなくなり、今までの自分を喪失し、最終的に新たなノリを獲得するという。
    英語を勉強し始めてちょっとしゃべれるようになったときに、英語も日本語もかえって下手になる感じを言語化してくれているよう。
    言語習得とは、ある環境において、ものをどう考えるかの根っこのレベルで「洗脳」を受けるようなことということ、ユーモアは何か新たな「見方」をその場に導入するコード変換という指摘にはうなずける。教師は勉強の有限化をしてくれる存在、読書は知らない部屋にバッと入って他の位置関係を把握するようなイメージ、勉強とは別の考え方=言い方をする環境へ引っ越すなど心躍る表現で前向きになれる。
    自己分析の方法として「欲望年表」、他人に見られたら不審に思われるコンテンポラリーダンスみたいな動きもやってみよう。
    言葉をリズム的に扱うことを面白さとして、俳句は絶妙な瞬間をとらえるスナップ写真、短歌は主観的、心情的な性格が強いとし、リズムと意味の両面で言葉選びができる、詩は言語それ自体を自由にしようとするジャンルであること、日常生活を小説的にとらえるということ、などを実践編で紹介している。言語と欲望の問題に踏み込む内容とあとがきで触れており、読みきれていない部分もあるので何回か読み直す必要がある良書。

  • 勉強はオモロい。自分の知恵・知識が更新されてモノの見方が変わる、モノの見方が変わるとそこにあるものが別の様相を為す。そこにあるものだけで勝手に自分なりに楽しめるから。
    でも本著を読んでからさらにおもろさに対する解像度が高くなったように思う。
    楽しむためには仮固定が大事である、アイロニーとユーモアは原理上無限遠にまで発散しうる。そこで自分なりのこだわり(ここでのこだわりは強くて積極的なというよりなんとなくであり、能力の限界など消極的ともいえるものだと思う。)によってその「つながりすぎ」を切断する。どこまでも繋がれることを引き受けたうえで、一旦現時点での解釈をする。その仮固定した状態はまた新たな知識・情報・経験によって更新される。つまり我々は常に途中である。
    今まではある正解や答えがあるように思えて、意思の表明を行えていなかったように思う。常に途中であることを踏まえると、もう少し軽く考えて、遊べばいいのかもしれないと感じた。
    今まではエンジニアであり、読書家であるとなかなか表明することができなかった。いくらでも上がいるし、何をもってそう言えるのかもわからない(エンジニアと言ってもコードが書けなかったり、流行りの技術に追いついていなかったりする)。ただ、言語自体現実から分離しており、必ず言語と現実の間には差異がある。なんとかその差異を言語に押し込める、享楽的に、マゾ的に。言語化こそが行動である。
    その享楽的なこだわり、つまり自分のコアは行動によって更新される、それこそが来るべきバカとのことだが、すでに成っているバカであり、まだ見ぬバカでもあるのだ。

  • 初めて千葉雅也さんの本を読んだ。小難しい内容がかなり分かりやすく嚙み砕いて書かれてあり、文章のうまさに感心した。

    単に新しい知識を身につけるという意味の勉強ではなく、世界を捉えなおし、自己を変革し得るような勉強方法を指南した本である。
    求人によくある「大卒程度」というのは、こういう勉強の方法が身についているということ、身を置く環境(コード)を絶対視せず、ほかの可能性を念頭におけるということなのだと思った。

    批判屋で反骨精神が過大なところが私にはあるので、コードにケチをつけるのは得意だし、いろいろな可能性を考えるのも嫌いではないが、相対主義の罠に陥り、すべて無意味でむなしく感じられたあげく、考えすぎて行為できない嫌いがある。そんなキモくて浮いているだけで、来るべきバカには達しない読者に本書は一番刺さるのではないかと思う(私には刺さった。いたたまれないほどに)。

    素直なところもあるので、さっそく著者のおすすめに従い、自分の欲望年表を作成したところ、私は「世界観・設計思想が見えること」に享楽的なこだわりを覚えているらしいことが分かった。それを刃にとりあえずは相対主義を断ち切ろうと思うけど、具体的にどうすればいいかは分からないし、そもそもこのこだわりからも解放されるのが勉強というものだし、さて…とまた考え込んでしまった。

  • 2022/04/09
    面白すぎる!もっと早く読めば良かった〜

  • 一言で言うと言語を使って他者と上手く距離を取る方法を書いた本。

    私はプログラマーだ。
    つまりコンピュータがわかるほど厳密で、常に一意な結果を返す文章を書く職業と言える。
    一方この本では「背骨に音色を尋ねる」のような、一般的でない単語の使い方をした文章が例示される。
    これを見て、自分がいかに文学的な表現と隔たりのある人生を歩んできたかを実感させられた。

    一方でこのような『ボケ』はプログラミングの世界にはないのかというと、そうではないとは思う。
    ある種の正しいコードの書き方が『環境のコード』として存在し、無批判にそれにノってるのがほとんどだ。
    たまに批判的な概念が新たに生まれ、人々はモダンと言いながらそれにノり変えてるだけとも言える。
    無批判にノってる限り『ITの世界は変化が早く勉強が大変』となっていくのだろう。

    また有限性の話も日常の感覚と近く、自分が『諦め』と捉えているものだった。
    プログラマーはものを作る仕事だが、『Googleのベストプラクティス』など情報を追い続けると永遠に何か足りないと感じ完成しない。
    どこかで「動いたからオッケ!」と思える諦めが必要になる。

    『享楽的こだわり』『決断主義』など普段ふんわり感じてることが言語化されて読後は視界がくっきりする感覚を覚える本だった。
    最近は全くアウトプットをしていなかったので、久々に「書きながら考える」ことで思考をまとめていきたいと思う。

  • 自由連想法として文章を箇条書きでもいいから書いてみようかと思わせてくれた。

    ツッコミとボケの対比は分かりやすかった。そしてボケの優位を言っていると感じた。ボケは探索の一つの方法だと思った。その点、ツッコミはそこだけを掘り下げていくというような。

    読書も中途半端がいいと著者は言う。というよりは完璧はないのだ。ただ一つ反論させていただくなら、読書は途中では結論と異なる可能性があるということだ。しかし、その本の批判者にならないのであれば、善なる誤解とも言えよう。

    私は今、精神分析と社会学と戯曲に興味をもっている。本を読んで、変身していくのは怖いけど、おそらく、それでいいのだと思う。

    学校は有限性のためであることは納得した。

  • 勉強とは「自己破壊である」という。「場の空気」をあえて無視した先に学びや発見がある。

    「なんでやねん!」「それ、ホンマに必要?」と根拠(Why?)を問うツッコミが千葉さんの言うところの「アイロニー」で、変な見方をあえてしてポンポンとボケにボケを重ねるのが「ユーモア」だそうな。つまり本書は「勉強する」を哲学的なアプローチで解説し直そうと試みている。そう言えば、松本人志と島田紳助が「哲学」という本を出していた。「お笑い」と哲学は、実はそのアプローチの仕方であったり、思考に思考を重ねて新たな境地を披露する志向が似ている。

    サブタイトルの「来るべきバカ」にも長い説明が必要だ。根拠を問い続けるアイロニー(縦への動き)は禅問答のようにキリがない。だからどこかで横展開のユーモアに転じるわけだが、その横方向のボケ(連想)もボケ倒すと誰もついて来れない。つまり「そろそろこの辺でやめよか」とする力が働く。これを千葉さんは「こだわり」と呼ぶ。というのも、このツッコミの深さとボケの広さの「ほどほど感」にその人の好みやしばしば享楽的な性癖が絡むため、「享楽的なこだわり」と表している。
    長い前置きになったが、本書は「勉強する」を哲学的に説明するにあたってまず言語論から出発し、享楽論に着地する。この「享楽的なこだわり」こそが「自分の中のバカな部分」であると説く。学ぶことでこの「自分のバカな部分」が変質してまた「別のバカ」になり直すというのだ。だから「来るべきバカ」のための本、という。

    本書は「勉強」という行為を分析するだけでも大変なのに、これを哲学的にアプローチするために用語をあれこれ個別に説明する手間を挟んでいる。これが読者を突き落としまくってる。例えるなら「化学変化」を説明するためにわざわざ分子物理学などより高度な知識で中学生に説明を試みるようなものだ。

    千葉さんの専門であるフランス現代哲学でいうところの「秩序と逸脱」の二項対立を指している。この逸脱しようとする行為が勉強なんだと理解した。この辺りの詳細は千葉さんの「現代思想入門」に譲るが、この本もツッコミとボケの範囲が広大過ぎて、概念の解像度が高すぎて僕は何度もついていけなくなって突き落とされました。
    https://booklog.jp/users/kuwataka/archives/1/B09V1134H7
    それでも千葉さんの文章は、「享楽的なこだわり」は好きなんだなぁ。

  • 勉強すればするほど、ノリが悪くなる。ノリをよくする行為は、視野を狭くその狭い領域に持っているエネルギーを集中させて爆発させる行為だ。

    この言葉がすごく腑に落ちた。

    飲み会やライブなど、集団で盛り上がっている場に行くと、どうしても入り込めない自分がいつもいた。

    ありのままの自分でいることができず、今を楽しむことができない自分として、少しでもしんどくない方法はないのかと頭を巡らせ続ける自分は、目の前のことに集中できていないだけだった。

    ノリよく盛り上がっている人たちを見て、なぜ意味のないことに対して盛り上がれるのか不思議だったけれど、意味なんてなく、単にマインドフルネス的に目の前のことに集中して全力投球しているだけだったのだ。

    そういう行為を小馬鹿にしていた自分に気づいて、とても反省した。

    自分は視野が広いのではなくただ単に逃避していただけ。目の前に没入して楽しむお力をこれからは鍛えていきたい。

  • 以前読んだ後、しばらく読書ログを作成してなかったので、再読してまとめてみました。

    【要約】
    勉強とは何か?について解説した本。

    人間は環境=他者関係に依存している。
    環境には、その環境における方向づけやお約束=コードがある「こういうときはこうするもんだ」

    人間はコードから逃れられないが、別のコードに引っ越すことはできる。その方法は二つ
    ・コードの前提を疑うツッコミ=アイロニー「それってホント?」「そもそも・・・」
    やりすぎると、何もかもを疑うことができて、議論が破綻する。
    ・コードの見方を変えるボケ=(拡張的)ユーモア「こういう見方もあるよね」
    やりすぎると、見方が増えすぎて崩壊する。ミスチルのイノセントワールド的状態?「♪様々な角度から物事を見ていたら自分を見失ってた♪」

    ユーモアの行き過ぎを止める方法は、享楽=縮減的ユーモア。自分の中にあるこだわりポイントを見つけ、深堀りしていく。
    こだわる理由を突き詰めすぎると言語化できなくなり、他者と共有できなくなる。
    それを止めるには、そもそも論=アイロニーに立ち戻ることが必要。「なぜ自分はここにこだわるのか?」
    *自分のこだわりを見つけるための方法として、精神分析、自己分析(欲望年表の作成)などがある。

    そのため、勉強するためにはアイロニー→ユーモア→享楽→アイロニー・・・を繰り返す作業が必要。
    勉強に終わりはなく、絶対的な結論に到達することはない。

    【感想】
    アイロニー→ユーモア→享楽の三角形を実際に試してみた。

    「生きることに意味はあるのか?」

    (アイロニー)
    生きることに意味はあるのか?と問うのはなぜか? 
    自分の人生には意味がある、と思いたいから。

    (ユーモア)
    個人にフォーカスすれば、一つの生命が生まれ、死んでいく、そんなことには何の意味もないのかもしれない。
    集団にフォーカスすれば、自分という人間の存在は、良かれ悪しかれ確実に周りに影響を与えてしまう。そういった意味で「無意味」ではありえない。

    (享楽)
    自分の家族(特に子供)にどんな影響を与えるか、ということにこだわりたい。
    ただ、歴史を見れば、誰かの行為が後世にどんな影響を与えるのかは、誰にもわからないことは明らかだ。
    どんな影響を与えるかはわからないが、それでも、私は、私の両親や周りの人がそうしてくれたように、自分の子どもに愛を伝えたい、と思う。

    (アイロニー)
    じゃあそもそも愛って何?愛ってどうやったら伝わるの?愛を伝えることのデメリットは?
    もし不幸にも家族を失ったらどうするの?

    ・・・こんな感じだろうか?深堀りするなら、哲学や家族論、教育論なんかが対象になるかもしれない。

  • 読了日 2021/07/03

    あさ料理をしながら読み上げで読了。1週間くらいかかった。

    後で一章ずつまとめたいが、
    この本に関しては巻末の「結論」が十分に要約されているので、
    まとめる→著者の観点でのまとめと比べるvという作業が有用そうだ。

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著者プロフィール

1978年生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。
著書に『意味がない無意味』(河出書房新社、2018)、『思弁的実在論と現代について 千葉雅也対談集』(青土社、2018)他

「2019年 『談 no.115』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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