- Amazon.co.jp ・本 (445ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309460062
感想・レビュー・書評
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今更ケルアック。やっぱりこれはもっと若い頃に読んだほうが良かったかな。気ままなヒッチハイクの旅、奇人変人な友人たち、そんな友人たちの破天荒エピソードの数々など、自由で楽しそうだけれど、すでにおばちゃんになった私は「それはただの犯罪ではないか」「あかんではないか(町田康風に)」と、時々眉をひそめてしまったりもする。20年ぶりに『トレインスポッティング』を観たときの感想に近い。
登場人物は主人公のサル・パラダイス=ケルアック自身であるのをはじめ、ディーン・モリアーティ=ニール・キャサディ、オールド・ブル・リー=ウィリアム・バロウズ、カーロ・マルクス=アレン・ギンズバーグのことだそうで、なんとなく頭に入れておくとバロウズってこんな感じだったのか~等と違った楽しみ方もできる。
基本的にはディーン・モリアーティ=ニール・キャサディについての思い出、なのだろう。記録者ではなく体現者だった彼の破天荒な生き様は、個人的には羨ましくもないしできれば友達にもなりたくないし遠くから眺めるだけで十分だけれど、彼の友人たちにとってはそうではなかったのだろうなと思うとちょっとセンチメンタルな気持ちにはなるけれど。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大学に入って、すぐ仲良くなった子が、ジーンズの後ろポケットに、入れてたケルアックの文庫本。あーもう、それだけでやられちゃう感じ。
その子は財布も持たずに小銭をジャラジャラポッケに入れてる無頓着なタイプで、色々することなすこと想定外で、本や映画や音楽の話をしてるのを聞いているのが好きだった。
ずいぶんと影響されて、ケルアックにギンズバーグ、ビートニクに憧れて、「吠える」とか「麻薬書簡」とか積読。細身のパンツに黒のタートルネックでタバコにジャズ。私のは聞きかじりのただのファッション。ああ、懐かしい。黒のタートルには今でも萌える。
十代の終わりから20代の初め、今思えば短いこの期間に出会ったいろんなものや事や人が今でも良くも悪くも、自分を作ってる一部だなと思うに至る、私の文化的体験初期の思い出の一冊。内容はおいといて。ファッションなんで。
後ろポケットにペーパーバック‼︎ っていいよね〜。それって手ぶらってこと?
買った覚えがないけどうちにあるケルアックは、その子のか、姉さんのか、旦那のか?
うちに二冊あったかな。 -
<50年代のアメリカ。青年サル・パラダイスはディーン・モリアーティに導かれ、西部へ放浪の旅に出る・・・>
ビート・ジェネレーションのバイブル、“On The Road”の福田訳。
「ビートジェネレーション」とは既成の価値―物質文明、体制、権威など―をふきとばし、
新しい価値観を求めた人々のことであり、そのような文学を送り出してきた文学世代のこと。
ヘミングウェイやフィッツジェラルド、フォークナーの「ロスト・ジェネレーション」は知っていたけど、
ちょっとこれは知らなかった。なのでこれがヒッピー文化の前身だったのか~と納得。
それにしてもここでいう「ビート」の意味は何なのか、どこにもはっきり述べられてない。
ビート=Beatで単純に考えれば、「撃つ」=既成の文化をふきとばす・・・とも思ったけれど、
「路上」を読むと「うちひしがれる」という意味に感じた。Beatedじゃないけれど・・・
それほどこの本にでてくる人は、ディーンを中心に刹那的な人々ばかり。
セックスにドラッグ、アルコール。一瞬の中を生きているような彼らは、現実を見れば、
定職がないにもかかわらず、子供や妻がいて、それを気にすることもなく各地を放浪する。
しかしそこには今をどうにもできない苦しみがある。
そんな彼らの仲間でありながらも、半歩下がったところから見ているのが主人公サル。
彼はたぶん作者ジャック・ケルアック自身である一方で、読者自身の姿でもあり、
彼を通してビート達の苦しみ、哀しみ、孤独を間近に感じ取ることが出来る。
それにしても、これほどまでに人が旅にひきつけられるのは何なのか。
ディーンは文中でサルに言う。
「おれたちは時間を知ってるんだ。時間を遅らせ、歩き、理解するやり方を知ってるんだ。」
そしてケルアックはこう書いている。
「生活の内側はすべて、終わりもなく始まりもなくむなしかった。」
たぶん彼らにとって旅=青春だったのだ。だから何度も旅に出た。
青春を終わらせたくなかったのだ。
それはラストのパラグラフ、あまりに美しく、寂寥感に溢れたホイットマンばりの文章に集約されていると思う。
でも旅=青春ではないはず。
旅=人生だ!!
沢木耕太郎の「深夜特急」と並んで、旅のバイブルになるだろう作品。
名文が多いこの本のBGMはもちろんジャズで♪ -
ずいぶん前に「荒涼天使たち」を読んだ時はちょっと楽しそうだなと思ったものだが、いま「路上」を読むと風紀の乱れが気になり、自分でもおどろき。コンプライアンスに毒されてしまったのかもしれない。
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アメリカの古いカルチャーが好きで、地名や描写
が魅力的でした。20代半ば、実際にアメリカ横断
したくなり、一人で行った思い出もあります。
物語としては淡々として、登場人物も覚えられず、
読むのを止めたりまた読んだり、一度手放したり
買い直したり、不思議な存在の本です。
最近、知人女性からスクロール版を読んだ話を
聞きました。自分もいつか読んでみたい。 -
放浪への飽くなき憧れ…というより強烈な衝動が読みとれますね。
どこかで読んだアメリカの開拓精神…「西へ西へ」という意識は、我々が想像する以上のものがありそうです。
(どんづまりの西海岸に着いた後は、ハワイへ、そして日本へと版図を増やしているわけですが)
さて、少々頭のネジの外れた友人と出合ったことから、この「旅」は始まります。
北アメリカ大陸を西へ、東へ、やがて南へと車で疾駆し、酒と女とジャズに胸打たれ、夜をはしゃぎ回る。まさにロード・ノベルです。
まるで浅い眠りの中で見る悪夢のようにはっきりしない前後の脈絡、熱に浮かされているような論理の危うさ、その意味で息をつかせぬスピード感あふれる展開。
これが当時の「ビート」というムーブメントの発露であるらしい。(「ビート」は知らなかったけど、ヒッピーと重なるようだ)
なにしろ、若いうちに読む本でしょうな。
展開の早さ(危うさ)には目がまわるほどだし、中学の頃や、学生時代や、社会人になって間もない…血気はあったが不安定な頃を思い出してかなわんかった。
1983年、文庫版の際に改訳を施したそうですが、それにしても文体古いっすね。まぁ終戦直後の話だからいいんだけど。
表紙イラストは懐かしき鈴木英人氏。 -
(408)
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長い路だった・・・。たしかにJazzの即興のような文章。でも人物の勢いにはスゴイものがある。走り出したら止まらないぜ(by横浜銀蝿)ってカンジ。それがまた文章にもアドリブ的な印象を加えている。
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新書文庫
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読むジャズ