- Amazon.co.jp ・本 (421ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309464275
感想・レビュー・書評
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ルネ・クレマンとアラン・ドロンの映画「太陽がいっぱい」は封切られた時に観た。映画全盛時代ゆえ鮮明に覚えている。テーマ音楽と明るい青い海とドロンの美貌が強烈な印象だった。
マット・ディモンのリメイク「リプリー」はTVで観た。これはこれで「トム」と「ディッキー」の関係を同性愛的に色濃く描いていて陰影があった。マット・ディモンの雰囲気があずかりあるのかもしれない。
パトリシア・ハイスミスの原作「太陽がいっぱい」を読んでまた異なった感想を持った。「トム」が「ディッキー」を殺すに到る心理が丁寧に描いてあり、犯罪の良し悪しでなく、わかってくるものがある。
「トム」の不幸な生い立ちとあがいても上昇しない人生が、人は出自によってどうしても決まってくるという不条理をはねのけたくなった時、どういうことが起こるのか。他人の人生とを取り替えられるのか、夢のような変身は可能か。
「トム」が雇われ友人として「ディッキー」をアメリカに連れ帰る役目よりも、優雅に暮らしている「ディッキー」のようになりたいと思った時、愛すればこそ同化出来ると濃く近づくが、それが同性愛的友情(同性愛ではない)になってもおかしくない。
やはり原作は読んでみるものだ。パトリシア・ハイスミスのミステリータッチの中にも冷徹な人間観察が感動する。どうしようもない人間個の欲望の強さ、哀しさを呼び覚まされる。
情景にイタリア、特にベネッツアの風景がたくさんあって懐かしい(観光したので)こんなに出てきたんだっけ?とあらためて驚いた。が、それもこの小説の象徴であり、強調する脇でもある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
リプリーがとにかく気持ち悪い。生理的に無理。
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どうもアラン・ドロンの映画の印象が強すぎて途中でやめてしまった。
随分前にしかも多分中学生の頃みたので覚えているのは、アラン・ドロンが船に乗り背中を日焼けした所と、サインをまねしているところ、そして最後のスクリューの所のみ。だが活字のリプリーはしたたかだ。対してアラン・ドロンのあの上目遣いの目、したたかさではなく屈折。この違いを噛み込めなかった。
1955発表
2016.5.20発行 図書館 -
ミステリー小説、という事前情報だけで読み進めた。
主人公リプリーはクズと評されることも多いけれど、誰もが持っている側面の一つを演じているに過ぎないように思う。
彼は偶然にも機会と、閃きがあった。
きっとそれだけなのだ。
そのように思う私もまた、クズの素質があるということなのだろうか。
犯人視点の小説は久しぶりで、いつ捕まってしまうのか、いつ罪が露見するのか、最初から最後までドキドキが止まらなかった。
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映画と違うラスト。
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ヘルニアの手術で整形外科入院していました。
暇でした・・・中古で拾って来たこの本を読みました。
読了してから同室のリーマンに差し上げました。