太陽がいっぱい (河出文庫 ハ 2-13)

  • 河出書房新社
4.07
  • (15)
  • (29)
  • (11)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 350
感想 : 32
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (421ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309464275

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ルネ・クレマンとアラン・ドロンの映画「太陽がいっぱい」は封切られた時に観た。映画全盛時代ゆえ鮮明に覚えている。テーマ音楽と明るい青い海とドロンの美貌が強烈な印象だった。

    マット・ディモンのリメイク「リプリー」はTVで観た。これはこれで「トム」と「ディッキー」の関係を同性愛的に色濃く描いていて陰影があった。マット・ディモンの雰囲気があずかりあるのかもしれない。

    パトリシア・ハイスミスの原作「太陽がいっぱい」を読んでまた異なった感想を持った。「トム」が「ディッキー」を殺すに到る心理が丁寧に描いてあり、犯罪の良し悪しでなく、わかってくるものがある。

    「トム」の不幸な生い立ちとあがいても上昇しない人生が、人は出自によってどうしても決まってくるという不条理をはねのけたくなった時、どういうことが起こるのか。他人の人生とを取り替えられるのか、夢のような変身は可能か。

    「トム」が雇われ友人として「ディッキー」をアメリカに連れ帰る役目よりも、優雅に暮らしている「ディッキー」のようになりたいと思った時、愛すればこそ同化出来ると濃く近づくが、それが同性愛的友情(同性愛ではない)になってもおかしくない。

    やはり原作は読んでみるものだ。パトリシア・ハイスミスのミステリータッチの中にも冷徹な人間観察が感動する。どうしようもない人間個の欲望の強さ、哀しさを呼び覚まされる。

    情景にイタリア、特にベネッツアの風景がたくさんあって懐かしい(観光したので)こんなに出てきたんだっけ?とあらためて驚いた。が、それもこの小説の象徴であり、強調する脇でもある。

  • 三人称で書かれているけど 気分は犯人目線なので
    すっかり犯人気分になり ハラハラしながら進んでいった。最後は予想外

  • リプリーがとにかく気持ち悪い。生理的に無理。

  • 読み終えて改めて目にする原題の皮肉っぽさに思わずひどい、と声に出して呟いてしまう。「才能のあるリプリー氏」。トムは器用な人間だけれど、世界をあっと言わせるような才能なんてない。
    クレバーではあっても臆病で小心者、器の小ささは自分が一番よくわかっている。だから自分が焦がれた特別な相手、新しい誰かに成り代わることで新たな人生を始めようとするのだ。

    「要するに、自分を非凡な人間と考えたがるごく普通な若者ですよ」
    ディッキーを評するトムの言葉はそのまま自分に跳ね返る。たしかにふたりは似ていたかもしれない。絵はうまくないけれど善良で、気分屋なところはあっても自信と無邪気な明るさに満ちていたディッキー。
    そんなディッキーと、よい友人として仲のいいまま暮らしていく未来もあったかもしれない。イタリア語を少しずつ覚えて、モンジベロで仕事を見つける人生。けれど自分を置いてディッキーとマージの距離が近付いていくことに我慢できなかったトムは、結局殺人という道を選んでしまう。
    トムは決して優秀な犯人ではない。作中で行われた犯罪だってすべてが場当たり的で、最後は殺人という決定的な罪を犯す前に軽い気持ちで続けていた税金詐欺まで見つかってしまう。そこにきて読者は、この物語の冒頭でもまた警官の姿に怯えてバーで体を強張らせていたトムの姿を思い出す。長い物語の始まりと終わりにおいて、トムはありもしない追っ手の影に怯えていた。
    トムリプリーはディッキーを殺したことで犯罪の道に転げ落ちた人間ではなくて、もとより非合法なことに手を染めずにはいられない、そのくせ悲観的でいて、けれど同時に根拠のない自信を持ち合わせた人物なのだ。そんなパーソナリティそのものが「犯罪者向き」なのだとしたら、たしかにトムには犯罪の才能があるのかもしれない。パーフェクトにスマートに犯罪を犯すのではなく、何度危険を冒しても決して普通には生きられないという才能が。
    わたしは有名な映画版を見たことはないけれど、映画のラストシーンではトムの殺人が露見するらしい。それはなんだかこの小説の余韻というか、なんともいえない悲しみを損なってしまっていると思う。
    運よく危機を逃れ、失敗だったはずの過去の行動にも助けられてディッキーの遺産すら手に入れたトムは、さっきまでの怯えようが嘘のようにハイになって最高級のホテルを目指す。トムという人は、これからもこうして生きていくしかないのだ。致命的なミスを犯して追い詰められ、自分の計画が完璧に破綻するまでは無茶とも言える犯罪に手を染めて生きていくのだと思わされる結末は、ある意味で罪が発覚するよりもとても切ない。
    映画を見ずに言うのは無責任な気がするけれど、トムというキャラクターのどうしようもなさがこれでもかと伝わる原作のラストシーンを改変したのは悪手ではないかなあと感じずにはいられない。

  • どうもアラン・ドロンの映画の印象が強すぎて途中でやめてしまった。

    随分前にしかも多分中学生の頃みたので覚えているのは、アラン・ドロンが船に乗り背中を日焼けした所と、サインをまねしているところ、そして最後のスクリューの所のみ。だが活字のリプリーはしたたかだ。対してアラン・ドロンのあの上目遣いの目、したたかさではなく屈折。この違いを噛み込めなかった。


    1955発表
    2016.5.20発行 図書館

  • 昔映画の『リプリー』を観たことがあったけどほとんど記憶がなかったので新鮮な気持ちで読めた。

    リプリーが二件の殺人を犯すまではとても面白く読めたけどそれ以降は少し冗長に感じたかな。
    追い込まれるスリルはあったけど。

    特にディッキーと仲良くなってから次第に憎悪に気持ちが流れていくあたりは圧巻だった。
    リプリーはどうしようもなく身勝手で運が良いだけの犯罪者だとはおもうけど、ディッキーの同性愛嫌悪の態度も読んでいて気分が悪かった。
    あんな態度をとられ続ければ辛くなって憎むのも当然だと思えた。
    だからといって殺すなんてのはどう考えても許されないことだけど。

    フレディが階段を引き返してくるときのハラハラ感もよかった。

    最後は映画とはちがって逃げきるので、好き嫌いがわかれそうなところではあるけど、これはこれで物語としては好きだな。

  • ミステリー小説、という事前情報だけで読み進めた。
    主人公リプリーはクズと評されることも多いけれど、誰もが持っている側面の一つを演じているに過ぎないように思う。
    彼は偶然にも機会と、閃きがあった。
    きっとそれだけなのだ。
    そのように思う私もまた、クズの素質があるということなのだろうか。
    犯人視点の小説は久しぶりで、いつ捕まってしまうのか、いつ罪が露見するのか、最初から最後までドキドキが止まらなかった。

  • 映画と違うラスト。

  • ヘルニアの手術で整形外科入院していました。
    暇でした・・・中古で拾って来たこの本を読みました。
    読了してから同室のリーマンに差し上げました。

全32件中 11 - 20件を表示

著者プロフィール

1921-1995年。テキサス州生まれ。『見知らぬ乗客』『太陽がいっぱい』が映画化され、人気作家に。『太陽がいっぱい』でフランス推理小説大賞、『殺意の迷宮』で英国推理作家協会(CWA)賞を受賞。

「2022年 『水の墓碑銘』 で使われていた紹介文から引用しています。」

パトリシア・ハイスミスの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×