ファッションフード、あります。: はやりの食べ物クロニクル1970-2010
- 紀伊國屋書店 (2013年3月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (380ページ)
- / ISBN・EAN: 9784314010979
作品紹介・あらすじ
「食」はだれもが参加できるポップカルチャーになった。戦後、日本人はいかに食を楽しみ、果ては消費するようになったのか?痛快な文化史。年表付。
感想・レビュー・書評
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どうせ、あんなの流行ったよねー、というあるあるネタな本でしょ、と期待せずに読んだら意外なほど面白かった。
ボードリヤールによれば、機能的価値を超えた価値で消費されるとき、そのモノはガジェットとなる。(うろおぼえ)
そして高級なモノ(熟練された技術で作られる)が、産業化さ誰でも手に入れられるようになったモノをキッチュとした。(これまたうろおぼえ)
で、その記号論的文脈から読むと、ファッションフードの歴史は、まさに食品のガジェット化の歴史であり、キッチュ化である。
ティラミスが「私を天国に連れてって」という意味深な名前と「流行」というだけで消費され、チョコからコロッケにいたるまでティラミスの名前を被せられたキッチュとなっていった。
・・・とか、いろんなことを考えてしまう刺激的な本。
日本の伝統食回帰やスローフードなどに対して、「だれが作る?」と疑問を呈し、「「おふくろの味」が女の手から企業に渡った中食惣菜のほうが、よっぽど社会を変革するだろう。」(P277)とする。
また、男の料理がブームになったかららといって、総務庁の統計で、夫の家事時間は増えたわけではない、ときっぱり。
情報として消費されるということは、情報は他者と共有しなけらば意味がなく、さらにブログや、ツイッターで共有される「ネタ」へと成り下がっていく。
筆者が「食べ物を通して世界が広がるように思えた、あの感動とときめきをもう一度味わってみたいのである。」(P348)と過去のファッションフードを懐かしむのもわかる。
伝統食回帰や、食育に、そこはかと封建主義の復活の匂いを感じていたのだが、この本でも触れられていた。そのあたり、もっと突っ込んでほしいところ。
あと、「彼ごはん」のSHIORIの登場と人気について、料理本編集者としての意見を聞きたかった。
最近読んだ「ナチスのキッチン」(http://booklog.jp/item/1/4891769009)ほど気張ってないが、非常によく似た本。
「食を義務から趣味や娯楽にしたファッションフードは良妻賢母イデオロギーに対するレジスタンスだ!」
なんていう勇ましい言葉も出てくるしね。(食に関して語るとき、人は大げさになるのか??)
一番驚いたのは、パスタ屋の「壁の穴」が初代CIA東京支局長ブルームの執事が退職後、退職金とブルームからの提供された資金で創業されたこと。
さて、装丁は”やりすぎ”祖父江慎。アイスクリームのコーンを模したエンボス加工に変形特殊折りの紙を被せた表紙、ラデュレのメニューを模した(?)折込の目次、昔の宝島社の本のようなページ下部の荒い写真、読みやすがぎりぎりのところで担保されるアクロバチックな装丁でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
〈ファッションフード〉とは、モノとしての質よりも情報を消費する目的で選ばれる食べ物のこと。文明開花と共に牛鍋が流行った明治の時代から、トレンドを象徴するファッションフードとそれに熱狂する人びとがいた。急速に舶来の生活様式を取り入れ食文化も欧米化していった日本は、戦後の高度経済成長期を迎えると狂騒的なまでに食の流行り廃りが激しい国になっていく。58年生まれでフード雑誌の編集長も務めた筆者の当事者目線を交えて語られる、ポップカルチャーとしての食文化史。
本文デザインから用紙とインクの組み合わせまで、コズフィッシュのポップなのにチープでキッチュな装幀が内容とぴったり合っている。一応ファッションフード縁起として江戸時代から語り起こしているけどメインは70年代から。筆者自身の記憶と深く結びついた食べ物がさながらプルーストのマドレーヌのように時代を織りなす大事なピースとして語られていく70、80年代の章はかなりの読みごたえがある。
特に雑誌ananとnon-noの凌ぎ合いと、後からやってきていまだにフード系のトレンドセッターであるHanakoの三者三様に景気のいい文章をまとめて摂取すると最高にハイな気分になって笑いが止まらない。伊丹十三がサラダを語るエッセイ面白すぎる。バブルに間に合わなかった世代だからこの手の文章を読むと体が痒くなってきてしまうんだけど、不安や焦燥よりも純粋な憧れが消費活動を推し進めていた時代が眩しくもある。あたかもアメリカにいるかのような写真を撮るための道具立てにまつわる裏話なども雑誌づくりの現場にいた人ならでは。アメリカへの憧れと〈ディスカバージャパン〉キャンペーンによる国内旅行ブームが同時進行した辺りの話は橋本倫史の『ドライブイン探訪』ともリンクする。
本書はフードをもっぱら可愛さやオシャレさ基準で評価しファッション的に消費するというネガティブに語られやすい行為を、「お前らは作る側でいろ」というジェンダーロールの押し付けに対する軽やかな抵抗手段として定義しなおす試みでもある。畠中さんはファッションフードを語るにあたってまず女性たちが反応したものを優先し、美味しんぼ的なウンチク垂れのオタクやラーメンブーム・蕎麦打ちブームなどに触れつつも「そちらは殿方がご自分でおやりなさいな」といなしているかのよう。手作りのホビー化と女性の精神的解放を綴った箇所は、今は亡き「東京マガジン」の「やってTRY」的な価値観に断固たるNOを突きつけている。
ただ、90年代以降はファッションフードのサイクルが早くなりすぎ、畑中さんの世代的に当事者性が薄れてきたのもあるのだろうが少しピントがズレている論も多いように思う。特にコンビニのトレンド牽引力を過小評価している気がする。ミニストップのハロハロとかロコモコ丼とかの話もしてほしい。CM(広告)の影響力についてもあまり触れられてなかったなぁ。憧れが消費を促す時代が終わり、安心や癒しを経て節約や時短がブームになる時代を語るのは面白くないというのはよくわかるんだけども(笑)。雑誌というメディアが力を失っていく20年でもあったわけだし。「男の料理」観が変わっていく一つの通過点として「ビストロSMAP」がでてくるのは嬉しかった。
単に流行り廃りを思いだして懐かしむというのではない、食がポップカルチャーになっていった20〜21世紀の消費文化史である。その点で三品輝起の『すべての雑貨』『雑貨の終わり』と共通する歴史観を持っていると思う。ファッションフードを「食の雑貨化」と言い換えることもできるだろう。三品さんが書いていた"あたかも息子と母がやっているかのように見せかけておばちゃんはパートで雇われているコンセプト小料理屋"みたいな、劇場であることを隠した劇場型コンセプトを提供するのが派手な〈映え〉を通過したあとの20年代フードカルチャーなのかも、と平野紗季子の『味な店』も思い浮かべながら考える。 -
阿古真理さんの日本の食の歴史本が好きな私は、これもそのタイプの本で、面白く読めました。
マクドナルド、ケンタッキー、ミスタードーナツ、サーティワンなどの日本上陸は、子どもながらにワクワクでした。今はもう当たり前のようにあるけれど。
食生活がどんどん健康志向になり、子どもの頃は炭酸飲料ばかり飲んでいたのが、今ではペットボトルのお茶やミネラルウォーターを選ぶようになったのも時代だな。
あと、SNSの映えを意識して、飲食店に入るのも、昔じゃ考えられなかったなー。 -
メシバナなんかを読むような感覚で、見知らぬ時代の食文化についても食以外の部分含めて、結構な紙幅がありながら好事家にはあっさり読めるような密度で。
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桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPACへ↓
https://indus.andrew.ac.jp/opac/book/550110 -
流行りの食べ物から日本文化を見た一冊。ナタデココ,ティラミス,パンナコッタ…ああ,流行ったなあと時代を感じるとともに,当時の思い出もよみがえりますね。現在は第3次タピオカブームだそうですが,次は何が流行るのでしょうか。楽しみですね。
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食
社会 -
ファッションフード前史
第1部 加速するファッションフード―1970年代
第2部 拡大するファッションフード―1980年代
第3部 自己増殖するファッションフード―1990年代
第4部 拡散するファッションフード―2000年代 -
アイスクリームのコーンを模した表紙。中のデザインもユニークでめっちゃかわいいなと思って買ってみたら担当は祖父江慎さんだったようです。これからじっくり読みます。