- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334045982
感想・レビュー・書評
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四百ページを超える新書。
ずっしりと感じるのはページ数だけが理由ではないだろう。
永遠を望んだかはひとまずおいておいて、その思想を一時的に文字として残すことを選択した人たち。
読みながら、その背後にいる大多数の、残すことを選択しなかった、あるいは残しえなかった人々の存在が、なぜだか頭を離れなかった。
いつまでもネット空間に漂流し続けるものがある一方で、あっけなく消え去ってしまうものもあるデジタルのはかなさ。思っていたより無常な世界。
参考文献として挙げられているものをネット通販サイトで検索したが、ヒットしないものもあった。紙媒体とて確かではない。
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ブログに闘病日記などの自分の死までの日々を残した人々を追う。
闘病だけでなく自死や老衰も並列して載せているのは非常に意味のあることだと思う。
本人のブログだけでなく、死後にブログがどの様に保存されてきたのかまでが書かれている。
中には書籍化されたものもあるが、ネットの中の今際の記録は死後も残るがいつかは消えてしまう。この様な本が出たことの意義は大きい。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/803359 -
2024/01/18読了
とてもよかった、会社読書会で紹介済み。 -
2023.11.17 社内読書部で紹介を受ける。
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前々から、自分自身が偶然「既に故人となった方のHPやブログ」に遭遇した際に心がザワザワする感じがあって、少しでもそのザワザワの解明に繋がれば、という思いから手に取った。
そもそもがインターネット上の記事というのがどこまで真実であるかは分からないし、そこに加えて、そのHPなりブログなりSNSなりに投稿された所謂「死亡報告」の「その後」が実際どうであったかは、第三者はもう知る術を持たない。
それなのに、どうしてそういった死を意識させるサイトというのはこんなに人の心をざわつかせるのだろうというシンプルな疑問があった。
基本的には、自分と地続きの誰かのつぶやきだから、自分に還ってくる感じがあってザワザワするのかもしれないと思った。
「生死」の「生」に近い側にいられるというのは本当にただ運が良いだけにすぎないし、いつその状況がひっくり返るかも分からない。だから、なんというか、先行研究者のささやかなレポートでも読むような気持ちで、自分と繋がるどこかの話として、時に恐怖や安堵や感心を覚えながら、ついつい読み耽ってしまうのだと思う。
人によってはデリケートな分野の話題なのでは、と感じることもあるだろうが、デリケートな要素を含むからこそ、本来はもっと日常的に触れてその感覚に馴染んでおくべきなのだ。身近な人や自分がその状態になってから情報を求めるのでも決して遅くはないけれど、先に知っておくことで、もう少し冷静に歩んでいけそうな気がする。
この本で紹介されている15の例はあくまで「点」であって、それらを「線」としてまとめた総合的な「結論」は出されていない。だからこそ生々しい。まだ生成途中にある熱を持った何か、といった趣だ。こういったものに日常で触れる機会はあまりない。だから読み進めるのにはエネルギーを使うが、読了後はまさに「良い経験を積めた」気持ちになる。 -
癌患者、自殺願望者、90代のおばあちゃんなど様々な15人の故人がインターネット上に遺した記録を辿りながら、人が死を目前に控えた時の心境を疑似体験できる一冊。プロではない一般人が紡ぐ言葉はどれもリアルで、あえてネット上に遺そうとした悲痛な気持ちを想像できる。
遺された時代や形態も98年頃の個人運営HPからつい最近のnoteまで幅広く、日本のインターネット史を懐かしく振り返る意味でも楽しめる。
死後サイトがどうなったかも調べてあり、遺族によって維持されたり書籍化されているケースもあればブログサービス終了によりあっけなく全消去されたケースも。自分の死後のSNSの扱いについて考えさせられた。
紹介者:マツ子
企画開催日:2022/12/04
企画名:「2022年に読んでよかった私の1冊」 -
摂南大学図書館OPACへ⇒
https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50280719