ポイズンドーター・ホーリーマザー (光文社文庫)

著者 :
  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (291ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334776961

感想・レビュー・書評

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  • いやぁ。
    いやいやぁ。
    いやいやいやぁ。

    もう読みたくないけど、また読みたくなる。
    著者は本当にすごいなと思う。

    誰も信じれないし誰も救われないけど、
    ありそうなんだよね。

    表も裏も自分だから、
    自分の力で進んでいける人でありたいね。

  • 表題作2作を含む6作の短編集。

    母と娘、加害者と被害者、ライバル同士、それぞれの立場で相手を思う正義や善意が、不義や悪意と化してしまうが故の結末が描かれていて、どれも突き刺さる物語だった。特に【優しい人】は印象的で、深く感情移入させられた。

    解説を見て納得したのだが、他の作品も含め、著者が登場人物に吹き込ませるリアルなメッセージは『あんたにも言ってんだよ』と、同時に読み手にも放たれていると思う。

    そして私はそのメッセージを、いつも確かに受け取っている。

  • わたしはまさしくポイズンドーター側にいて、そしてマザーでもないので、ストーリーの中にいる間は、ただただひたすらホーリーマザーに怯えていた。
    わたしはいつからか、母親になることを拒んで生きるようになった。母親になったら、わたしもホーリーマザーになってしまうのだろうか。

    ここに出てくるホーリーマザー達は皆、娘を支配しているつもりなんてまったくない。
    「優しい子に育ってほしい」親なら誰もが思う。思うのは勝手だ。
    そもそも優しいってなんだ。分かりやすいのは、自分より相手を優先しろ、っていうソレだ。自分の気持ちより、親の気持ちを汲み取って行動する子どもが、「優しいね」と、褒められる。『優しい人』が怖すぎて、優しいって呪いだ、と思っていたら、最後は秀逸にしめてくれました。
    親が見えないレールを敷くことは支配の入口であり、言葉にはしなくても、残念な表情をすれば、子どもは「親の期待を裏切ってしまった」と、酷く傷つく。そして、もうその残念な顔は見たくない!と、親の期待を裏切らないよう、見えないレールに従って、生きていくことを決める。大概は、それが支配だとは気づかない。
    最終章のラスト、理穂は前章と異なりとても恐ろしく、だけど、理穂はきっと、自分がポイズンドーターであり、自分の母親がホーリーマザーであったことに、ちゃんと気づいていた。でも、今の人生を肯定するために、その気づきに蓋をしているだけ。きっと、こういう選択をしている人は多いと思う。
    弓香の言うことは本当にそうで、他と比べてどう、とかではなくて、自分が親に対してどう思っているかであって、その気持ちは、絶対に誰かに脅かされてはいけないもの。だから、自分が「うちの親は毒親だった」と言うならそれでいいと思った。解説では、「無意識に【毒親】というワードを利用する毒娘になっているのでは?という投げかけ」について書いてあったけれど、わたしは親子関係というすでに子どもの方が絶対的に立場が弱く、さらにとても濃密な関わりから始まる人間関係の中で、それでは子どもの気持ちはどうなってしまうのか、と、思ってしまった。

    子どもは社会を知り、親以外の考え方を知り、いずれ親となり、正義や価値観が変わってゆく。
    「子どもは思い通りにならない、元気ならそれでいい」「子どもが幸せであるならそれでいい」「どんな子になるのかな」
    そんな風に、親の敷いたレールではなく、子どもが親とは違う存在であることを肯定してくれるような、そんな親であれたらな、とドーター側のわたしは思ったものです。

  • 人間自分の都合の良いように解釈すると言うのが1番感じた事。
    さらに湊かなえさんは、あなたは大丈夫ですか?あなたもあり得ますよ?みたいに問いかけてきているような物語の進め方で、ハッと思わされる自分がいたり不思議な恐怖感!

    次の本で、気持ちリセットしよう!
    今日も暑い〜38度、、やばい。ミステリー並みの衝撃。。

  • 母娘のこじれた距離感が見事に描かれている。

    母の立場と娘の立場では
    また読んだ感想が違うんだろうな…とも思った。

    イヤミスとはわかっていながらも
    母になるのが怖いと思ってしまった。

  • TVドラマで同性の親子がケンカをしているシーンに出くわした時、親の方を、もしくは子どもの方を応援していることに、ふと気付く時があるように思います。年齢が近いのは親の方なのに、応援しているのは子どもの方だったり、もしくはその逆だったり。TVドラマの一場面というような第三者的立場に立つと、知らず知らずのうちに自分をその場面に自然と映し込んで見るようなところがあるのだと思います。だからこそ、無意識のうちに今の自分が立っていると感じている場所を基準にして、応援する側を選んでしまうのだと思います。

    6つの短編から構成されたこの作品。2作目以外は母と娘の関係を描いた物語が展開していきます。興味深く感じたのは〈ポイズンドーター〉と〈ホーリーマザー〉という実質二つで一つの物語でした。

    副題そのままだと『毒娘』と『聖母』という感じになるのでしょうか。でも娘の視点から描かれた〈ポイズン〉から読み始めるとこの印象は真逆になります。『あの人はいつも、澱みなく言葉を発する。相手に口を挟むすきを与えない。反論をシャットアウトするのだ。』と嘆く娘。娘の読む本、娘の将来の夢など娘が選ぶものにことごとく口を出し、自分の意見を押し付ける母親。『毒親 』、子どもを支配する、特に、娘を支配する母親に多いと言われている親を指す俗的概念。親に支配される24時間、逃げ出すことのできない息苦しい毎日。娘は、『子どもが家を出ていけないことを前提に、抑圧するのは保護者として一番ズルい手段だ。』と嘆きます。そして大人になって家を出て女優になった娘は、ある場面で戦いに打って出ます。

    一方、次の〈ホーリー〉では、逆の視点から見たこれまでの時間が語られます。ここで上手いと思ったのは、視点を相手方、つまり母親とするのではなく、母親の友人とその娘というある意味第三者的視点からの語りとして描いているところです。もしこれが母親視点だったとしたら、冒頭に書いたように読者が立っている場所に引きずられる面も出てきますが、第三者の語りとなると随分と冷静に母と娘を見ることができます。そして、『親は子どもに、本を読め、と言ってはいけないのでしょうか』『将来、こういう職業に就いてみれば?と提案してはいけないのでしょうか』という見方をされてしまうと、もうこれは勝手な判断はできないと思えてきます。さらに、『これが支配であり、毒親だというのならそうしない親は何と呼ばれるのですか?聖母ですか?』と問われると、なかなか難しい問題ですねと、もう関わりを避けて話題を逸らしたくもなってきます。

    毒娘なのか、毒親なのか、はてまた聖娘なのか聖母なのか。一点言えるのは、毒親はあくまでその時点での話であって、毒親が憎いと思っていても、自分に子どもが産まれれば母となり、気づいたら子供から毒親と言われていたと気付くことになるかもしれないという、時間的に見れば相対的なものだということです。

    2015年頃に流行ったという『毒親』という言葉。この本では、そうならないための啓示というより、結局のところ全てはモノの見方次第、一度思い込んでしまうと抜け出せなくなる思い込みの怖さと、そこから生まれるミス・コミュニケーションの連鎖といったところが短いストーリーの中に上手く描かれていたように思いました。

    短編はどうも苦手意識があるのですが、他の4編も含めて、なるほどね、と感じた作品でした。でもとても湊さんらしく、いずれも読後感はあまり良くないです。ウグッという嫌な気分にさせる6連発。湊さんらしい短編集だと思いました。

  • これぞイヤミス。母と娘を題材にした短編集。んー嫌な気持ち!全体的に似ててどれがどれだっけってなるけど個人的には「マイディアレスト」「優しい人」が好き。あと表題作は、結局当事者どちらの感じ方もあるし、それぞれの真実があるから、どちらが悪いとか何とも言えないわ!

  • 相手を気遣っているつもりでも その人の環境、育ち全てが分かるわけじゃなくて、だから自分以外の人の心理って理解するのは難しい。

    経験上、この本の様に母娘は独特ではないかと思う。
    親子で女同士こその遠慮ない物言いと、時に誤解を伴う意味のない遠慮で溝が出来る。だけど血の繋がりとでもいうのか、また、娘が親になった時に母の心が理解出来たりして、決定的な決裂まで至ることは少ないように思う。

    母と息子、父と息子はどうだろうか?
    この本の様にはならないのではないかな?と思った。

  • 短編集。

    『ポイズンドーター』、『ホーリーマザー』が面白かったかな。

    娘からは毒親だと思われていても、親は(過干渉ではあるけど)一生懸命に育ているつもり…これは自分にもあり得る話で怖い。
    親が与えたい愛情のかたちが本当に子どもが欲しているものかどうか、客観的にみる視点を忘れないでいたいと思った。




  • 誰が悪かったのか、本当はどうだったのかなんて結局誰にも分からない。
    そんなつもりは無かったのかもしれないし、あったのかもしれないしならどうすれば良かったのかも分からない。
    互いに思う気持ちがあってもした方は些細な事と思う事が相手には消えないほどの傷になっている。
    同じ人物でも関わった相手で評価も変わる。
    人を憎む気持ちはどこで折り合いをつければ良いのか、そうなる前にどうすれば回避出来るのか答えはなんだろうな。

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著者プロフィール

1973年広島県生まれ。2007年『聖職者』で「小説推理新人賞」を受賞。翌年、同作を収録した『告白』でデビューする。2012年『望郷、海の星』(『望郷』に収録)で、「日本推理作家協会賞」短編部門を受賞する。主な著書は、『ユートピア』『贖罪』『Nのために』『母性』『落日』『カケラ』等。23年、デビュー15周年書き下ろし作『人間標本』を発表する。

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