- Amazon.co.jp ・本 (310ページ)
- / ISBN・EAN: 9784336075031
作品紹介・あらすじ
著者20代の時に書き下ろされ、その後40年にわたってみずからの手で封印されていた伝説の問題作が、いま新たにその姿を現わす!!
影盗み、迷路、自動人形、魔術師、ゴオレム、結晶体、石蚤、月……乱反射する鏡の王国の壮大な崩壊。目眩く傑作長編小説がついに復刊なる。
【目次】
プロローグ
〔第一部〕 影盗みと鏡
Ⅰ 彫刻師は粘土を買いにゆく
Ⅱ 詩人の煩悶とその苦境
Ⅲ もう一人の証言者が登場する
Ⅳ 影盗みは読書もする
Ⅴ 鏡の仮面が二重館に氾濫する
Ⅵ ついに殺人事件も起きる
〔第二部〕 仮面の翳
Ⅶ 自動人形が鍵を持つ
Ⅷ 誰かがどこかで目醒める
Ⅸ 柩の中身についての混乱が生じる
Ⅹ 魔術師の弟子、或は預言者
Ⅺ 泥人形にも考えがあることが判る
Ⅻ 水上街炎上図
ⅩⅢ その後の軌跡さまざま
ⅩⅣ 芸術家が悲鳴をあげるまでのいきさつ
ⅩⅤ 再び鏡の仮面が二重館に氾濫する
ⅩⅥ 旅のおわりとはじまり
エピローグ
新版後記
感想・レビュー・書評
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〈影盗み〉に素顔を見られてはいけない。こころをじかに映し出した〈たましいの顔〉を彫られてしまうから。
自分の〈たましいの顔〉を見て平然としていられる者なんているだろうか。悪人だと自覚している者でさえ、恐ろしいだろうと思う。
そんな〈影盗み〉の存在が噂される街で、一人の彫刻師とそれに関係する者、しない者、様々な思惑が錯綜する。
霧に包まれた街、二重館、自動人形。雰囲気たっぷりだ。もうそれだけで、心がくすぐられる。
前半の、何が起こっているのかまだはっきり見えていないうちは手探りしながら期待が高まっていったのに対して、街全体が動き出してからの、あちこちで起こる出来事の説明描写は少し忙しなく感じてしまった。
それでも、同時にたくさんのことが進行していくのには、見届けなくちゃと気持ちが駆り立てられる。
現実じゃない物語らしい世界にどっぷり浸かった。 -
彫像師の善助は、実は人のたましいの顔を彫ることができる〈影盗み〉である。新たに訪れた鏡市で仕事を始めた善助だが、いつしか街の中心にある二重館の人びとの思惑に絡め取られていく。たましいの顔を彫られまいとして仮面をつけた者たちと、ゴオレムや自動人形、虎が行き交う迷宮のような街を襲うカタストロフとは。長らく封印されてきた、著者最初の長篇小説。
ずっと読みたかった作品。埴谷雄高の『死霊』を思わせる堂々とした佇まいで復刊してくれたのが嬉しい。
〈影盗み〉とは何者かという謎と、事故によって体を作り替えられた聖夜のアイデンティティをめぐるゴシック小説である。善助は〈影盗み〉であることを隠しているのに、葬儀用の彫像をつくる仕事に就いているのがまぬけでユーモラスな主人公だ(『歪み真珠』収録の「影盗みの話」で作者自らツッコんでいる)。
善助が自分のたましいの顔を彫った像はゴオレムとなって動きだし、ドッペルゲンガーの善助を憎む。肉体から離れてゴオレムや自動人形のなかに入り込んでしまう善助だが、彼らを操ることはできない。だとすると、ゴオレムと自動人形にもたましいはあるのか。
アマデウスと聖夜を中心にくり広げられる自動人形と人間の相違をめぐる問いは、出力される世界観は全く違うものの、長野まゆみの初期作を思いださせる。アマデウスの政治パンフを書くオートマタという設定が面白い。作中で文章を書くのが狂死する詩人とアマデウスなのを考えると、狂わないのがアマデウスの"人形性"と言えるのだろうか。
でも、そうした哲学的な内容以上に、ステンドグラスに囲まれた巨大な水盤に沈んだたましいの顔だとか、金の鱗を隠しながら闇夜に暗躍する自動人形だとかの硬質で絢爛な銅版画的イメージを楽しんだ。晦渋で読みづらいというほどではなかったけれど、今の山尾さんに比べると確かに角ばっていて少し重たい文体ではある。ポーやマイリンクを参照しながらも、独特なイメージの連なりで群像劇を描いているのがやはり「夢の棲む街」の作者だ。
設定を語るだけで終わってしまったようなところもあり、若書きとして復刊を拒んできた著者の気持ちもわかる気はする。けれど、街を浸していた水の栓が抜かれ、全てが二重館の水盤に還っていき、善助が生まれ直すクライマックスは、山尾作品らしいカタストロフ(漏斗状の街!)と明解な再生が同時に描かれていて新鮮である。たましいの顔を芸術作品と見なせば、人びとはそれを直視し賞賛するという皮肉もよい。最後まで謎だったのは不破だけど、彼はかつて善助が作って忘れてしまったゴオレムだったりするのかな。 -
立憲君主都市「鏡市」の<帝王>加賀見は、5年前のある事故以来、塔で暮らしている。同じく彼の娘の聖夜は、迷路のような二重館の館主として人前に姿を現さなくなった。彼女には不死の噂がある。聖夜を監視するのは議員の間久部と自動人形のアマデウス(ホフマンからの命名か)。5年前の事件には<影盗み>の存在が絡んでいる。
<影盗み>とは、人間の顔を見ただけで、その「たましいの顔」を見抜き、それを一瞬で粘土で作り上げてしまう特殊な彫刻師のこと。自分の「たましいの顔」を見てしまった人間の大半は発狂してしまう。それゆえ<影盗み>は忌み嫌われ、その存在が確認されるや否や、狩られる運命にある。しかし同時に自分の「たましいの顔」を見たいという人間も後を絶たない。
放浪彫刻師の善助は、実は<影盗み>だが、その証である痣のある右手を封印し、普段は普通の彫刻師として生活している。しかし彼はその<影盗み>の能力ゆえに自分の顔を鏡で見ることすらできず、鏡を見ると反射的に失神してしまう。そしてその能力ゆえ彼は追われる身となり…。
1980年、山尾悠子24歳のときの長編の復刻版。作風的に長編むきの文体ではないイメージだったけれど、硬質な文体は変わらず、それでいて後半怒涛の展開で、アニメーション映画のような映像が脳裏に浮かび、娯楽作品としてもきちんと成立してるのがすごいと思った。でもまあやっぱり短編、連作むきの作風だとは思うけれど。何より山尾悠子的な「世界」の構築力はこの頃から普遍。
<影盗み>に顔を見られないために人々がつける煌びやかな仮面、その仮面そのままの、いろんな結晶がちりばめられたような世界観。自動人形、ドッペルゲンゲル、魔術師のゲットオ、ゴーレム、ゴシックファンタジー好きならときめくワードもてんこ盛り。それでいて虎を連れて現れる聖夜はアクション映画のヒロイン味もある。
40数年間封印されていた理由は、もともと中編だった作品を長編にするため登場人物を増やし水増ししたことなどを巻末の著者解説で挙げられているけれど、該当人物は憶測ながら、確かに「詩人」や、間久部の娘・櫂あたりは存在意義が微妙だったかもしれない。善助の同業者たる不破はどうだろう。「破壊された女」の像はなかなか素敵だったけれど。
本作の短縮版である「ゴーレム」が収録されている集成を読み漏らしているのでとりあえず読みたいと思います。あとは、「オットーと魔術師」も復刊してくれないかなあ。