- Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344028159
感想・レビュー・書評
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北野武の最新作。彼自身が思う、彼なりの道徳観を綴る一冊。内容としては、道徳は教えるものではない、という一貫した視点。時代により、道徳も変わる。人と同じである必要はない、といった観点からの一冊。刺激はそれほど強くはないものの、晩年のビートたけしがこのような視点に到達している、という点では面白い一冊でした。以下抜粋。
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・優先席なんて当時はなかった。本来電車の席は全部が優先席。前に年寄りがきたら、有無を言わさず子供は席を立つ。そこに理由なんて必要無い。
・子供に喧嘩をしちゃいけない、と教えるなら、大人も絶対戦争をしてはいけない。
・夢なんて叶えなくてもこの世に生まれて死んでいくだけで、大成功だ。
・おふくろが握ってくれたオニギリより旨いものはない。贅沢と幸福は別物。慎ましく生きていても、人生の大切な喜びは全部味わえる。そういうふうにできている。
・良心を育てるために、道徳の授業があるわけではない。道徳を身につけるのは、人生を生きやすくするため。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
普通のことを書いたはる
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・道徳は社会秩序を守るために作られた決まり事。道徳は法律ではない。
・道徳は時代によって変わる。権力者の都合でいくらでも変わる。だから最高の権力者は「道徳」に縛られない。
・人目を意識すると人は道徳的になる。神様を信じている人の方が、道徳を守る率が高い。神様が見ているから。
・道徳を教えなきゃならない学校の先生はかわいそう。生徒を納得させられる説明をしなくてはならないから。
・誰でもみんな幸せになりたいと思っている。傷つきたいとは思っていない。「自分が傷つきたくないなら、他の人を傷つけるのはやめよう」だけ教えればいいのでは。
・道徳は人間関係を円滑にするための一つの技術。人生を生きやすくするために使う。
・一所懸命働くのが偉かったのは、皆が一所懸命働かかなければ、社会が成り立たなかったから。今は金を持っているのが一番えらいという時代。
・道徳は自分で作る。自分なりの道徳とは、自分がどう生きるかという原則だ。
・道徳教育は教師や親にとって都合のいい子供をつくるだけ。しかし学校の道徳の教材は、守るべき自分なりの道徳を作る手本にはなる。 -
北野武の生き方から語る道徳論。
冒頭に引用されているのは、芥川龍之介「侏儒の言葉」の一節「良心は道徳を造るかもしれぬ。しかし道徳は未だ嘗て、良心の良の字も造ったことはない。」
今の道徳なんてものは、決して人類創造から続いている真理なんてものじゃなくて、その時代、その時の権力者、その時の私自身によって、いくらでも変わるものだということ。
本書は北野武が考える道徳であって、それを鵜呑みにするようなやつは、本書は読まないほうが良いよという注釈つき。
不倫したということで、有権者から託された仕事を放りだす国会議員。
将来の年金額が減るかもといっただけで、うそつき呼ばわりされる総理大臣。
有力者、権力者が、自分の子孫に権力を遺したくて、正妻のほかにも女性と関係を持って子を生す。
そんなの決して古代の話ではない。いま、人気の朝ドラ「あさが来る」にも妾を持ってほしいとお願いする場面があったぐらいの話。
年金にしても、払う人が減って受け取る人が増えているなら給付額が減るのは当たり前。
楢山節考の時代、生産年齢を過ぎた老人は自ら山に入った。
自由恋愛なんてお構いなしで家長が家の存続のために、結婚を決めた。
生産年齢人口が減るなんてことはありえない。
それだって、そんなに昔の話じゃない。
そんな制度があった時代は、その仕組みに従って生きる選択をすることが道徳的だったんだ。
以下数行、本文「おわりに」から抜粋。
「道徳教育を徹底しないと、子どもがおかしくなってしまうなんていうのは、年寄りの錯覚でしかない。」
「道徳を他人まかせにしちゃいけない。」
「あとは自分で考えてほしい。」 -
道徳は自身で育てるもの。
道徳は人から(国家などの教科書)教わるものではない。時代が変わったからだ、と著者は言う。現代の道徳の教科書の「ココがオカシイ」を、北野節で解説している。 -
いいことしたら何故気持ちいいのか?
お年寄りに優しくしなさい、挨拶は元気よくしなさい...小学校で学んだ道徳だが、それらは全てマナーではないだろうか?
道徳=マナーではないという認識はあるが、では道徳とマナーの違いとは。。。
そもそも道徳ってなに?
ビート武流の道徳をもっと早くに学びたかった。 -
私の代わりに読んだ母が絶賛しとりました。いいたいことはそれだけです(^_^)
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武さんらしい。
一つの価値観を読む。 -
帯に「日本人にとって『道徳』とは何か」「国民的普遍的道徳論」とあって、そのとおりの本だと思います。
小中学校で「道徳」が変わろうという時期に「新しい道徳」という書名で出版されたので、学校でのことが中心かと思って読むと、いろいろと読み誤るのではないかな、と思いした。国民的普遍的道徳論とは、大人のあり方なんですよね。
そのうえで、子どもが育っていく。
「あとがき」が心に響きます。
ずっと積み重ねてきた話をあとがきで強く確認される感じ。だからと言って、あとがきだけ読んだのでは、これもまた、誤解されるんだろうなと思います。
読みやすいので、たくさんの人が読んで、たくさんの話し合いのきっかけになってほしい本でした。 -
大半は「まぁこういう意見、よく聞くな」という感じだが、ところどころ、たけしらしい毒を盛った鋭い意見がでてきてハッとさせられる。
道徳がどうのこうのという人間は、信用してはいけない。
道徳を他人任せにしてはいけない。
新しい時代を作った人はいつだって古い道徳を打ち壊してきた。
そもそも道徳(社会の価値観)なんて、あっさり変わるのだ。そんなもので、これが道徳だなんて誰が決められる?様々な価値観の人がいる。やっちゃいけないことは法律で決められている。それで十分だ。
道徳教育を裸の王様に、例える。だれも王様は裸だと言わないから、芸人としてツッコむ。
小学生に『自分を見つめましょう』?自分はこういう人間ですと小学生が言い出したら、不自然だ。小学生にとって本当に面白いことを素直に答案に書いても、褒められないことがわかっているから、当たり障りのないことを書く。お年寄りに席を譲ったら感謝されて嬉しかったとか。しょうもな!
子供にこう感じなさい、こう思いなさい、と型にはめるのは、幾ら何でも危うさがないか。洗脳となにが違う?優等生的な回答をする計算高い子供を増やしているだけ。
ファーブル「自由は秩序を作り、強制は無秩序を生む」
掃除は自分がやろうと思ってやらなければただの強制労働。