- Amazon.co.jp ・本 (197ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344982208
感想・レビュー・書評
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シンプルにまとまっていて読みやすいと思ったら最後に12時間で書き上げた本だということでビックリした。
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「文系」人間が出来上がる仕組みはまさに自分のことを言われているようだった。
考えるより丸暗記する方が楽だと判断して得るものもあったが、その分失ったものも大きいだろう。
著者の言う文系的な特徴は、社会が複雑化し情報が溢れ思考停止している大衆社会の特徴とも重なる気がした。
まずは中学数学からやり直したくなった。
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自分もかねがね、テレビの街頭インタビューにおける真面目そうな主婦の「一刻も早く安全な基準を示していただだきたいですねぇ」等というコメントや、専門家への「どう思われますか?」という問いの氾濫に違和感を感じていたので、そうそう!と膝を打つことばかり。縁起物大好きで自然派指向、ドタ勘で生きている自分であるが、著者の提言には強く共感する。未曾有の原発禍と出口の見えない不況・・・こういう時代は保証を要求したり思ってることを聞いてもしょうがない。著者のいう科学的姿勢をベースに生活の術としての直感や飛躍を意図的にうまく組み合わせて、こういう時代を乗り切っていくしかないんである。日本の大人はぜひ読むべき本といってよい。
[more]<blockquote>P12 いくら感動しても、いくら泣いても、飢えている人を救うことはできない。いくら一時の笑顔があっても、それは「解決」ではない。まして、「人道支援」と防災」は別問題である。よく「自然の猛威の前に人間は無力だ」という言葉で片付けてしまうことがある。これは「油断をするな」という教訓としては正しい。しかし、自然の猛威から人間の命を救うことは、可能である。それができるのが「科学」であり「技術」なのだ。
P15 楽しみは他にいくらでもある。しかし、科学を避けることは、この現代に生きていく上ではほとんど無理なのである。
P45 「10mの津波が来る」という情報がもたらされたとき、「それは具体的にどれくらい危険なのですか?基準を超えていますか?どれだけの被害が予想されますか?」といった質問をするよりも、今自分がいる場所と、自分の体力と、周囲の状況から、それが「自分にとって危険か安全か」を判断することが、あなたを救うだろう。つまり、それが「科学」なのである。
P58 もし僕がこの「どう思われますか?」という質問を受けたら、多分こう答えるだろう。「私がどう思っても、現実は変わりません」と。(こういう物言いをする素直な科学者は、絶対にTVに出ないが)
P60 人の「意見」でなく「感想」を聞きたがる傾向は、やはり文系の特徴かもしれない。
P76 この「他者による再現性」を確認するためには、同じ分野の学者、研究者、専門家が相互に情報交換をしなければならない。【中略】従って、秘密裏に行われる研究というのは、結果だけを公開しても「科学」にはならない。
P85 「科学ですべてが説明できるのか?そんなふうに思っているのは科学者のおごりだ」と。それは違う。科学者は、すべてが説明できることを願っているけれど、すべてがまだ説明できていないことを誰よりも知っている。どの範囲までがまあまあの精度で予測できるのかを知っているだけだ。しかし、科学で予測できないことが、他のもので予測できるわけではない。
P87 そもそも、特に占わなくても、危険はいつだって襲ってくる可能性があり、また注意をしていれば、そのうちの大半を防ぐことができるのである。
P90 式があれば応用ができる。つまり、ものすごく親切な対応だといえる。このような理系人間の「親切さ」を文系の人は時々無視してしまう。
P91 科学は経済のように暴走しないし、利潤追求にも走らない。自然環境を破壊しているのは、科学ではなく、経済ではないのか。
P99 そもそもこの「知識をひけらかす」という表現が、理系の人には意味がない。なぜなら、知識量というのは、科学の分野では特別に求められない。【中略】これを知っているからといって、あれを知っているとは限らない。知識とはそういうものだ。一方、方法を習得したものは、同種の他の問題を解決する能力を持っている、と理系の人は評価する。これが解けるのならば、このレベルの問題までは任せることができる、と考えられるからだ。
P107 まず、科学というのは「方法」である。そしてその方法とは、「他者によって再現できる」ことを条件として、組み上げていくシステムのことだ。【中略】個人ではなく、みんなで築き上げていく、その方法こそが科学そのものといってよい。
P117 社会で生きていくためには、この種の「省略」が不可欠である。【中略】沢山のものを流す必要があるけれど、流しているという自覚があれば、「あ、これはちょっと吟味したいな」と感じるものが時々現れる。その時だけ疑えばよい。
P143 「こんな内容は気に入らない」とか「文章が下手だ」とか「漢字が間違っている」といったことで「文句をつける」ことが審査ではない。
P151 「やる気」や「心意気」よりも、数字の方がずっと信頼できる。数字は人を裏切らないし、数字は調子が悪くなることもない。
P155 そういう個人的な「好み」をいくら知っても、全体像は見えない。【中略】人の意見、感情、表情を観察することは、個別には大切だけれど、全体を数字で観測することがまず先決だと思う。
P167 そういう科学者や技術者の姿は、時には周囲からは非人間的だと見られるかもしれない。しかし、彼らは「思うこと」ではなく「できること」をやっているのである。「思う」だけでは誰も救えない。「できることを」を実行し、そして少なくとももう二度と被害が出ないように「できる」と信じて前進しようとしているのだ。
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「科学とは何」という質問もまともに答えられない現代病症候群への正しい「科学」の取扱い書。
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理系に対する偏見が多いが、それは自ら考えることを拒否している人の言い訳に見える。科学はとても謙虚で誠実だという事も知ってもらいたい。世界を危険に陥れてきた原因の多くは科学技術の進歩ではなく、経済や政治といった部分ではなかろうか?201408
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本書の目的については著者が明確に記載しているので理解できたが、ではその目的を果たしているのかどうか、ということには少し疑問。非科学的なものを鵜呑みにしてしまうことの危うさは充分理解できるけれど、では科学的とは、という命題に対しては答えきれていないのではないか、と感じた。勿論、書いてあることは正しいと思うのだが、人が何故非科学的なものに惹かれていくのかということへの考察がもう少し必要なのではないかと思う。例えば、あの某宗教団体へ何故理系人間が多く参画してしまったのか、等々。この辺への言及があれば説得力があがると思うのだが。
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学会で,理論と実践や研究のあり方が議論となり,その直後にお勧めがあって手に取った。
「誰かが考えたことを大勢で吟味し,そしてその効用を共有する仕組みが,科学の基本である。(p.91)」
「まず,科学というのは『方法』である。そして,その方法とは,『他者によって再現できる』ことを条件として,組み上げていくシステムのことだ。他者に再現してもらうためには,数を用いた精確なコミュニケーションが重要となる。また,再現の一つの方法として実験がある。ただ,数や実験があるから科学というわけではない。
個人ではなく,みんなで築き上げていく,その方法ことが科学そのものといって良い。(p.107)」
人を対象として研究する場合(教育,言語習得),難しいと思いつつ,この基本については忘れてはならないな,と。 -
非常に共感できる一冊だった。
あんまり、そういう風には思われたくないのが本音だけれど、物理や数学を敬遠して「文系」を選んだ人は多いのではないかと思う。
でも、筆者が言うように手遅れという状態は何をもって指すのだろう?
学校教育を離れた人であっても、科学の面白さを知るということは大切である。そこは自信を持ってもらっていい。
その数値にはどんな意味があるのか、その答えを導くにはどのような過程が考えられるのか。
「そういうのは専門ではない」と捨ててしまうのではなくて、どうしてそうなるのか、考えられる姿勢は自分自身のためにとって良い。
筆者は、きっとこうした「考えから逃げる」態度に対して非常に危惧しているのだろう。
非常に分かりやすく、その危惧を伝えてくれている。
科学なんて面白いと思ったことがない、と断言できる人に是非読んで欲しい。