社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書)

著者 :
  • 筑摩書房
4.33
  • (90)
  • (42)
  • (22)
  • (6)
  • (1)
本棚登録 : 1354
感想 : 66
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480015761

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 社会心理学と聞いて心理学の一部門というくらいにしか考えていなかったけれど、社会学や哲学にも造詣が深い著者の目線からの話が全体像を把握しやすかった。
    volumeも多く読むのに時間がかかったけれど、どの章もとても内容の濃いものばかりで、改めて読み返したいと思うほどだった。

    読み終わって改めて感じたことは、世の中を一つの真理で説明することはできないと。多様性や自由が大事だというけれど、社会で揺るがない普遍的価値があるとすればそれはもう閉ざされた社会になってしまう。
    開かれた社会というのはあらゆる法律ルール道徳、いずれにおいても変わることのない絶対的なものは存在しない。全ては相対化されたものに過ぎないことを受け入れることが大切なのだろう。

  • 社会心理学を切り口にしているが、これは「人間とは何か」、「社会とは何か」について、従来拠り所とされてきた「常識」を覆し、筆者独自の視点からそれらの問いに答えた稀有の書である。
    あまりに扱われているコンテンツが豊富過ぎて、一読しただけでは消化不良であった。何度も読み返しながら、自分の思考を深める機会にしたい。

  • ・ 実験は発見を可能にする技術であり、証明するための道具ではない
    ・ 子どもが夜泣きで健康を崩すと、フランスの小児科医は子どもにではなく、親に睡眠薬を与えます。なぜでしょうか。夜泣きのために親が眠れずイライラする。すると親のストレスを敏感に子どもが感じ取り、夜泣きする。そこでまた親は眠れず、ストレスが強くなるという悪循環に陥ります。だから、この悪循環を断ち切ればよい。睡眠剤をもらった親が熟睡してストレスが減れば、子どもに対する態度が変化し、子どもも安心して寝付きがよくなる。
    ・ 居合わせる人の数が多いほど、かえって救助行動が起こりにくい。自分がしなくてもほかの人がやるだろうと安心すると責任感が希薄になり、犯罪を阻止したり救助の手を差し伸べる気持ちが鈍る。
    ・ フロイト理論における無意識やエスは自我とは別の存在者であり、我々の知らないところで我々を操る他社です。このように常識的な意味にすり替えられてしまえば、無意識はもはや既成の世界観を脅かす危険な存在ではなくなる。なれたイメージにいったん変換・解釈された後に、新しい情報・経験は既存の世界観・記憶に取り入れられていきます。
    ・ 態度概念と行動は必ずしも相関は高くない
    ・ 被験者は選択の「理由」を誠実に「分析」して答えました。自らがとった行動の原因が実際には分からないにもかかわらず、我々はもっともらしい理由を無意識的にねつ造するのです。自らを納得させるために妥当な「理由」を常識と照らし合わせて見つけるのです。
    ・ 個人をターゲットにするのではなく、集団全体の社会規範を変化させないと影響力は長続きしない。各人を別々に考えるのではなく、集団に属す人々の相互関係を考慮する必要があります。
    ・ 預言の失敗を機に精力的な布教活動が始まる。信者を増やせば、教団の進行を指示する人の数が増加し、認知不協和の低減が図れるからです。信者増加の事実は、とりもなおさず、進行内容が正しい証拠です。
    ・ 「いやならいいですよ。強制する気はありません」といわれると、本当は外的強制力が原因で引き出された行為であるのに、その事実が隠蔽され、あたかも自ら選び取った行為だと錯覚するのです。
    ・ 何らかの行為を行った後で、「なぜこのような行動をとったのか」と自問するときに、個人主義者ほど自らの心の内部に原因があったのだろうと内省し、自らの行動に強い責任を感じやすい。そのため行動と意識の間の矛盾を緩和しようと自らの意見を無意識に変更する
    ・ いったん決断して行為を始めると、そのあとに考えを変えるのは想像以上に難しい。(インセンティブが変わっても行動は続ける)
    ・ 境界が曖昧になればなるほど、境界を保つために差異化のベクトルが、より強く作用する様子が分かります。人種差別は異質性の問題ではない。その反対に同質性の問題です。差異という与件を原因とするのではなく、同室の場に力ずくで差異をねつ造する運動のことなのです。
    ・ 同期に入社した同僚に比べて自分の地位が低かったり、給料が少なかったりしても、それが意地悪な上司の不当な査定のせいならば、自尊心は保たれる。格差の基準が政党ではないと信ずるからこそ、人間は劣等感に苛まれないで住む。正しい社会ほど恐ろしい物はありません。社会秩序の原理が完全に透明化した社会は理想郷どころか、人間には住めない地獄の世界です。
    ・ 合理的な個人の誠心も集団に取り込まれると変質し、原始状態に戻る。感情に踊らされ。無意識の働きにより各人は集団にとけ込み、主体性を失う。集団内の個人は自立性をなくし、集団全体がひとつの精神と化す。
    ・ 人間は安定した認知環境を必要とする(シェリフ)。だから大将が曖昧なとき、不安定な状態を脱するために心理が変化すると考えました。
    ・ 弟子(少数は影響減)の主張を退けておきながらも無意識的には影響を受けており、後になってその効果が現れたのです。影響減は忘れられ、影響内容のみが受容される。まるで時限爆弾か、一定の潜伏期間を経て発病するウィルスのようです。影響減が少数派だと、本当は他社から受けた影響の結果なのに、自らが選択した判断であるかのごとく錯覚する場合が少なくありません。
    ・ 悪い行為だから非難されるのではない。我々が非難する行為が悪と呼ばれるのです。
    ・ 単語の存在にされ気づかないほど短時間だけ示す場合でも、つまり被験者は何かが見えたと意識しない場合でも単語の情報が働いて、最初の単語と意味が似ている単語が選ばれる。しかし最初の単語を示す時間をもう少し長くして、どんな言葉かはわからないが何かを見たのは確かだと感じるようになると、今度は意味のにた単語ではなく、形のにた単語が選ばれるようになる。
    ・ 何人かが同じ意見を表明する場合は、真実を反映しているのではと思い直す
    ・ 集団表象と集団におかれた個人の表象に区別すべきである
    ・ 恐怖の対象への同一化を通して自我を防衛するという精神分析学者アンナ・フロイトの「攻撃者への同一化理論」があります。子どもが幽霊のまねをしたり、しかる教師の表情や癖を模倣して生徒が自己防衛する例を取り上げ、攻撃の犠牲者から攻撃者へと変身して恐怖を乗り越えるといいます。
    ・ 人の交流という意味では日本社会は閉ざされている。しかし文化面から考えると、外の要素を自主的にまたどん欲に取り入れてきた。そういう意味で情報の流れから見ると、日本文化は外部に開かれている。
    ・ 間接的接触のおかげで外来情報がもとの文脈から切り離され、情報の具体的状況が無視されるので、日本社会の磁場作用を受けて意味内容が変化しやすい。
    ・ 情報源と直に接しないので異文化を押し付けられにくい。ある時代において、変えたら日本人でなくなってしまう感じのする本質的あるいは中心的価値もあれば、少々変化しても問題ない周辺的価値もある。変化が中心的価値に抵触すればするほど、日本人の抵抗は強くなる。それに対して、中心部と正面衝突しない形で周辺部から変化が導入される時はアイデンティティの聞きが生じない。周辺部が緩衝地帯の役割を果たします。
    ・ 慣れ親しんだ思考枠から脱するためには、研究対象だけ見ていてもダメです。対象を見つめる人間の世界観や生き方が変わる必要がある。研究の対象が外部にあって、それを主体が眺めるという受動的な関係ではない。
    ・ 他社が行使する強制力として法・道徳が意識されると、社会生活は円滑に営まれない。外部から行使される暴力としてではなく、内面化された規範として現れる必要があります。社会制度は人間が決めた慣習にすぎない。しかしその恣意性が人間自身に対して隠蔽されて初めて、社会強制力は自然な形で効果的に機能する。
    ・ 人間が作った秩序なのに、それがどの人間に対しても外在的な存在になる.共同体の誰にも、そして権力者にさえも手の届かない外部だからこそ、社会制度は安定する。誰にも自由にならない状態ができるおかげで社会秩序は、誰かが勝手にねつ造した物ではなく、普遍的価値を体現すると感じられる。人間自ら創り出しておきながら、人間自身にも手の届かない規則を作るというルソーが夢見た方式です。
    ・ 時間はなぜ過去に向かって流れないのだろう。それは過去はすべて決定されていて再現する必要がないからだ、というのが私の答えである。同様に未来が現時点で厳密に決定されているならば、わざわざやってみる必要はない。やってみなければわからないから時間が進むのである。

  • 『世界や歴史の根源的な恣意性あるいは虚構性を熟知していた点がその理由の一つだと思います。

    つまり世界に普遍的な真理はない、我々の目に映る真理は人間の相互作用が生み出すという世界観です。

    真理だから同意するのではない。悪い行為だから非難するのでもなければ、美しいから愛するのでもない。

    方向が逆です。同意に至るから真理のように映る。社会的に非難される行為を我々は悪と呼ぶ。そして愛するから美しいと形容する。共同体での相互作用が真・善・美を演出するのです。』

    世界の虚構性といかに向き合うか。奥深く、めちゃくちゃ面白い。

    ただ、自明と思われている世界の自明性を一枚一枚剥ぎ取ってしまい、そこには虚構性しか残らないことを明らかにしてしまった先に、何が待っているのだろうか。

  • 好きだけど闇がえぐい

  • たくさんのことかけないけれど、絶対に読むべき本。

  • 人間社会を生きる全ての人に是非読んでほしい!!
    後書きまで含めて最高すぎた。
    未来は誰にもわからない。だから希望を持ち続けられる。多くの絶望や虚無の先に見えたのは、原始から続く当たり前であった。陽はまた昇るのだ。

    アイアムアヒーローは、そういう話だったんじゃないかと思う。批判の多いエンディングだけど、希望に満ちていた。

  • 全ては人間の相互作用、関係性の中にある。

  • 図書館で借りて一読し、すぐに買った!
    人とは、社会とは、そんな多くのこと自分で考える入口になる本でした。

  • 人間とは何か、考えるとは何かという問いを読者に深く刻み込む

著者プロフィール

小坂井敏晶(こざかい・としあき):1956年愛知県生まれ。1994年フランス国立社会科学高等研究院修了。現在、パリ第八大学心理学部准教授。著者に『増補 民族という虚構』『増補 責任という虚構』(ちくま学芸文庫)、『人が人を裁くということ』(岩波新書)、『社会心理学講義』(筑摩選書)、『答えのない世界を生きる』(祥伝社)、『神の亡霊』(東京大学出版会)など。

「2021年 『格差という虚構』 で使われていた紹介文から引用しています。」

小坂井敏晶の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×