アフガニスタンの診療所から (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 762
感想 : 69
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480420534

感想・レビュー・書評

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  • 中村哲さんがハンセン病治療していたころの著作。国連をはじめ支援国が金ばらまいてその土地の上層部だけ潤うのや、自分たちの思い描くような「国際援助」を現地の文化や習慣を無視してやりがちなことへの怒りがあふれてた。中村さんは目の前にいる人々を助けることだけをひたすらに考えて、状況を冷静に見極めて行動していく。

  • 様々な困難の中でも人に寄り添い志を貫いた生き方に心を動かされました。もっともっと生きていて欲しかったです

  • カテゴリ:図書館企画展示
    2019年度第6回図書館企画展示
    「追悼展示:中村哲氏執筆本等」

    展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。

    開催期間:2020年1月6日(月) ~ 2020年2月28日(金)
    開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース

  • 信念と困難と喜び
    誰かのために生きる。誰かのために尽くす。頑張ろう、自分。

  • 海外医療協力としてアフガニスタンに派遣され、現地の状況を文字通り身体に擦り込んできた筆者には、その地から見る日本や、先進国を中心とする世界の現状が、ひたすら終局へと向かっているようにしか映らなかった。その思いは、最後の「そして日本は…」の章にほとばしるように溢れる。

  • アフガニスタンの診療所から(ちくま文庫)
    著作者:中村哲
    国連の事務総長はアフガニスタンで長年人道支援と復興に携わってきた医師の中村哲さんが殺害された事件について「彼の家族と日本人の人々に心からのお悔やみを申しあげました」と哀悼の意を示した上で「もっとも弱い立場の人々に奉仕している人が殺される事に絶対に許せない」と述べ人道支援に対する攻撃を非難しました。
    タイムライン
    https://booklog.jp/timeline/users/collabo39698

  • 2005年(底本1993年)刊行。ソ連のアフガン侵攻(1979年)後、戦乱に喘ぐアフガン、パキスタン・ペシャワールにて、84年から10年間(その後もアフガン在)、該地域のらい病(ハンセン病。らい病の呼称は著者の指定)撲滅・軽減に尽力してきた著者の見聞・奮闘録。①ベトナム戦争は従軍記も含め多数の記録が残されているが、ソ連アフガン侵攻後、撤退までは全く報道しない点への憤り。②現地ハンセン病支援に対する日本人の冷たい仕打ち(等質…を強制する合意…ある日本社会…底意地の悪い冷徹な不文律が…拒絶の理由に)への怒り。
    ③都市部への支援しか目が向かない国連・米国その他、さらに、治安確保と輸送システム回復のため、流入する武器の減少や地雷撤去が緊喫の課題なのに、その支援に全く手が回らない。等々、現地にいるからこそ理解できる切実な課題と憤りを、率直すぎる物言いで開陳する。誰でもができることではないが、究極の僻地医療がここにある。

  • 今夏も娘の夏の課題に付き合って、本書を再読した。国語の先生の推薦図書に入っている数冊と本書を渡すと、どういうわけかこの1冊を選んできた。私の記憶があいまいで、実は本書には井戸掘りのことが詳しく書かれていると思っていたのだが、文庫本あとがきに来るまで、一切井戸の話はなかった。それよりも前に書かれていたということだった。今回読み直したことで、あらためてボランティアということについて深く考えさせられた。「あなたたちのために私は来たのだ」という恩着せがましい態度は慎まなくてはならないのだろう。自分が好きでやってきて、少しでもそこにいる人たちの役に立てればいいなあ、というくらいが良いのだろう。決して自分たちの価値観を押しつけないこと。何が幸せかなんてわかったことじゃないのだから。実は、私が高校生の頃、1982~83年の1年間、アメリカに留学をした。サッカー部に所属したのだけれど、そこにアフガニスタンから逃れてきたという兄弟がいた。当時は大して状況がのみ込めておらず、何の話を聞くこともしなかった。それでも、平和ボケしている自分に、世界には戦争があって自分の生まれた町に留まれない人々がいるのだなあということくらいは感じることができた。海外に出ると文化の違いを感じることが多い。けれど、やっぱり同じ人間なのだと感じることもある。互いの文化は認め合い、その上で、人と人として付き合っていければよい。(2015夏再読)

    もう全くの無知で、どういう歴史的、宗教的背景があってこんなことになってしまったのか知らないものだから、何ともコメントしづらいのですが・・・。ただこの本の中で、現地の住民が、「アメリカ(あるいはイギリス?)とロシアの戦争に自分たちを巻き沿いにしないでほしい」と言っているあたりが真実であるような気がします。私は、高校生のころ、1980年代前半だけれど、アメリカの公立高校に1年間通っていて、サッカー部に入っていた。そこにアフガン人の兄弟がいた。戦争から逃げてきたと言っていた。そんなことがあったにもかかわらず、それを現実として受けとめ、その事実を知ろうとしなかった自分がはずかしい。著者の中村哲さんは医者です。アフガンとパキスタンの国境あたりにあるペシャワールという街で、ずいぶん長い間医療活動に当たっていらっしゃいます。名前だけは存じ上げていましたが、著書は今回初めて文庫になったので購入して読んでみました。日本人の国際化とかボランティアとか言っていろいろやっていることが、どうも上っ面だけ、格好をつけているだけ、自己満足をしているだけ・・・ということがあるようです。本書を読むことで本当の国際化の意味が少しは分かるのではないかと思います。そしてもう一つ、「らい病(ハンセン氏病)」についても始めて知ることばかりでした。もっともっと社会のことに目を向けないといけないと思い知らされました。

  • ペシャワール会代表の中村医師が、まだペシャワールのに入る前にアフガニスタンで活動したことをまとめた本。
    現地での活動、支援と現場のギャップ、中村医師が感じたことが全て書かれていて、国際支援とは何かを考えさせられる。
    こういう現場からの声を聞いてみたかった。
    詳細は割愛するが、真実を知れて、読んでよかったと思った。

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著者プロフィール

1946年(昭和21年)福岡県生まれ。医師。PMS(平和医療団・日本)総院長/ペシャワール会現地代表。
九州大学医学部卒業。日本国内の病院勤務を経て、84年にパキスタンのペシャワールに赴任。以来、ハンセン病を中心とした貧困層の診療に携わる。87年よりアフガニスタン難民のための医療チームを結成し、山岳無医地区での診療を開始。91年よりアフガニスタン東部山岳地帯に三つの診療所を開設し、98年にはペシャワールにPMS基地病院を設立。2000年からは診療活動と同時に、大干ばつに見舞われたアフガニスタン国内の水源確保のために井戸掘削とカレーズ(地下水路)の復旧を行う。03年、「緑の大地計画」に着手、ナンガラハル州に全長27キロメートルに及ぶ灌漑用水路を建設。その後も砂嵐や洪水と闘いながら沙漠化した農地を復旧した。マグサイサイ賞「平和と国際理解部門」、福岡アジア文化賞大賞など受賞多数。19年10月にはアフガニスタン政府から名誉市民証を授与される。
2019年12月4日、アフガニスタンのジャララバードで凶弾に倒れる。
著書:『ペシャワールにて』『ダラエ・ヌールへの道』『医者 井戸を掘る』『医は国境を越えて』『医者、用水路を拓く』(以上、石風社)、『天、共に在り』『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」』(以上、NHK出版)、『アフガン・緑の大地計画』(PMS&ペシャワール会)、『希望の一滴』(西日本新聞社)など。

「2023年 『中村哲 思索と行動』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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