素粒子 (ちくま文庫 う 26-1)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (443ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480421777

感想・レビュー・書評

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  • とてつもなくひねくれた精神から生み出された傑作。
    ヒッピー世代ど真ん中の母を持ち、それぞれ対照的な育ち方をした異父兄弟を描いた、虚無的な雰囲気の強い作品。
    時代の価値観、とくに近代の啓蒙主義とそれ以来進んできた先の思想を見据えるところに力点が置かれている。

    主人公らの生きる舞台は、前近代の宗教・慣習、近代の啓蒙主義・進歩主義に対して、精神面の寄る辺や意味づけの消失し、刹那的肉体賛美や若さの崇拝だけが残っている社会として描かれる。
    古い価値観が支えていた未来への幻想(生への推進力)はなくなり、常に自らの老いを意識する、虚無的精神の時代である。
    読み進める途中で中だるみを感じたが最後の展開はすばらしかった。ミシェルの研究成果は有性生殖への、そして生母への復讐に見える。

  • 中心人物ミシェル・ジェルジンスキ(及び半ばSFな彼の研究)についての行と、そのアジテーター役を担ったハブゼジャックの仕事についての行は面白かった。
    その一方で、ミシェルの異父兄、ブリュノを追いかける章は苦痛以外の何物でもなかった。
    メロドラマの世界観に生き、下半身で思考して、挙句精神を病む(訳者あとがきによれば「精神的、性的悲惨」)キャラクターの描写が延々と続くしんどさは、筆舌に尽くし難い。

  • テーマは『ある島の可能性』とほぼ同じ、というより、あちらが、この『素粒子』の続編みたいなものらしい。
    若い時分に読んだらそれこそ死にたくなるような気分にさせられたかも。なんともやるせない小説。
    女たちが次々自殺するがそれもご都合主義ではなく、切実さとリアリティを持って感じられた。
    非モテ系の話と聞いていたけれど、作家のポートレイトを見る限りでは意外にも美男子(私がそう感じるだけ⁉︎)
    訳者あとがきによると、主人公のひとりブリュノの人生は、ほぼ作家の人生と重なるそうだ。数度にわたる精神科入院など、驚いた。
    ほぼデビュー作であるこの作品は、なんというか、怒りや絶望、作家の痛みが直に伝わってくるようで、読んでいて辛かった。『素粒子』の成功である程度余裕を持って書かれた『ある島の可能性』はこちらより完成度も高いと思うし、楽しんで読めたのだけど。

  • ウエルベックの世界観があまり好きではないので拒否反応が出ないか危ぶんでいたのだけれど、語り手が『闘争領域の拡大』のときより落ち着いているので抵抗なく読めた。悲しい兄弟の先行きも気になったし。それでもまあ、個人のケースを拡げに拡げて「現代人てやつは!」って詠嘆されてもねえ、というのが第一の感想。第二の感想は、え、『幼年期の終り』? というところか。

    この小説が一部で歓迎された、というのが頭では理解できるんだけど、実感はできない。かと言ってすごく良かったという読者に聞いて回ることもできないので、ネットで感想を探すことにする。ほかの人の感想を知りたくなる本は私の中で良い本の一つの基準なので、うーん、良い本なのかな…

  • 危険な本  問題作と紹介されていた やるだけの表現されているが、なんともエロさや色気を 全く感じない、どこでセックスしたという表示だけ。 内容も全体としては、精神病的なこだわりがあると感じる。中間部分で、オルダス・ハックスリー の書評があったり、共産主義的な、思考の断片があったり、 最終部では哲学的と感じる表現もある。 ヒッピー様なところがウケるのかもしれない。

  • 読むのに時間がかかった。
    ジェルジンスキという分子生物学者とブリュノという高校教師の異母兄弟のちいさいころからの話。

    1900年代から2200年代の社会にまで及ぶ。
    性的な表現や常識から逸脱していると思われるこういの連続で発売されて避難や攻撃をうけたのも頷ける。
    しかし、いかに道徳的に生きても死んでしまえはなんにもならないなと感じた。ミシェルは、白いカナリアがダストシュートに投げ込んだ。どんな形であれ我々も白いカナリアなんだろう。

  • 人に薦められて手に取る。恐らく自分では選ばない内容。
    最初は性的なものも含む衝撃的な描写と、物理学や哲学の難解な文章に頭が混乱しながら、また辟易しながら、何度も挫折し、少しずつ読み進めた。だが次第に登場人物たちの絶望的な哀しみに寄り添うようになり、最後にはページを捲る手がとまらなくなった。なんとも不思議な、ジェットコースターみたいな小説。面白かった。
    でもどうかな、やっぱり好き嫌いがはっきりとわかれる小説なんだろうな。

  • スーパー面白かった!強烈!読んでると鬱々としてくるのに読むのを止められない不思議な魅力を感じるところから少しずつのめり込み、下劣な話や最低な思考がガンガン出てきて不快になりつつも文体の魅力に引き込まれて読む手を止められなくなり、仕舞には愛おしくなって夢中になり、ラストで二人の兄弟の半生と語られた会話とが全て集約されたSF展開に衝撃を受けた。興奮、感動した。構造も面白い。何度も戻って読み返したりするのは久しぶりだった。何日か共に生きたような長編の醍醐味もあり余韻が凄い。心に残ってる。
    ディストピア小説を読みたくて「ある島の可能性」を読もうとしたら先に読んだ方がとおすすめされた経緯なんだけど、何て的確な紹介だったのかと驚いた。 管理社会が生み出される前段階を読めたような、ディストピア小説はだいたい管理社会が成立した後の話なので普通じゃ読めない部分を見れたような興奮があった。いや、SF小説で似た方向のオチになるやつがあるので珍しくないのかもしれないけど理論的に構築されてるところは新鮮だと感じた。
    ディストピア小説を漁っていて今のところ「すばらしい新世界」が一番好きなんだけど、ハクスリーの名前が出てきたと思ったら「すばらしい新世界」について兄弟でそれぞれ意見を交わしてて嬉しい驚きがあった。しかもそれも他の思想や討論と同様、オチへ繋がる要素の一つにもなっていて刺激的だった。またいつか読み返したい。素晴らしい傑作だった。

  • この小説は天才的な科学者と典型的な文系人間の兄弟を両輪として展開する。1960年代より文化面で進行した個人主義と性の解放によって訪れたのは、人間の分離と欲望の無制限な増大だった。その社会を間近で観察し続けたミシェルは個人性を排除した新人類を生み出した。それは人類の緩やかな絶滅をも意味していた。

    行きすぎた個人主義の他から逸脱したいという欲求から生まれたセックス至上主義、エロチック=広告社会に対するアンチテーゼであり、現代社会への諦めを感じる。そこでは歴史上類を見ない規模で不均衡がばら撒かれる。エヴァの人類補完計画にも通ずる部分がある。みんな一個になっちゃえばいいじゃん。
    ミシェルとブリュノの半生を概観しつつ現代社会の限界を描き出す。個人主義と家庭の矛盾、性的解放と暴力etc。全体的に女性を主体として語ることには消極的である。
    ミシェルの作り出した新人類の社会は彼自身が批判したハクスリーのユートピア社会の問題を克服できているのだろうか?遺伝子コードが同じで増殖に生殖が必要ないだけで個人性を超えることはできるのかは疑問に感じた。ウェルベックは新人類の登場した世界をユートピアとディストピアどちらとして描いているのだろうか。ハッとさせられる一節がたくさんある小説だが、その中でも以下の二つの引用には作者の人間に対する愛憎入り乱れる感情が現れていると思う。

    P106 
    一九七四年七月の一夜、こうした状況のもと、アナバルは自分の<個的存在>について苦悶に満ちた決定的意識に到達したのだった。動物については身体的苦痛という形で啓示される個的存在が、人間社会においてその完全なる意識に到達するのはひとえに<嘘>を通してであり、嘘と個的存在とは実際上かさなり合う。

    P126
    人類についていくらかなりと網羅的に検証しようというのであれば、必ずやこの種の現象に注意を向けなければならない。歴史上、こうした人間もまた確かに存在した。一生のあいだ、自分の身を捨てて愛情だけのために働きづめに働いた人たち。献身と愛の精神から、文字どおり他人にわが命を捧げ、それにもかかわらず自分を犠牲にしたなどとは思わず、実際のところ献身と愛の精神ゆえに他人にわが命を捧げる以外の生き方を考えたこともない人たち。現実には、そうした人たちは女性であるのが普通だった。

  • "「唯物主義と近代的科学を生み出した形而上学的変動は、二つの大きな結果をもたらした。合理主義と個人主義だ。ハックスレ―の過ちは、それら二つの結果のあいだの力関係を測りそこねたことにある。とりわけ、死の意識が強まることによって個人主義が高まることを過小評価したのは彼の過ちだった。個人主義からは自由や自己意識、そして他人に差をつけ、他人に対し優位に立つ必要性が生じる。『最良の世界』に描かれたような合理的社会においては、闘いは緩和されるかもしれない。空間支配のメタファーである経済的競争は、経済の流れがコントロールされる豊かな社会ではもはや存在理由を持たない。生殖という面からの、時間支配のメタファーである性的競争は、セックスと生殖の分割が完全に実現された社会ではもはや存在理由を持たない。しかしハックスレ―は個人主義のことを考えに入れるのを忘れている。セックスは、ひとたび生殖から切り離されたなら、快楽原則としてではなくナルシシズム的な差異化の原理として存続するということが彼には理解できなかった。富への欲望に関しても同じことさ。スウェーデン流社会民主主義モデルが、ついに自由主義モデルを凌駕できなかったのはなぜなのか? それが性的満足の領域においては試みられることさせなかったのはなぜなのか? 近代科学によって引き起こされた形而上学的変動が、個人主義化、虚栄心、憎しみ、そして欲望をもたらしたからさ。欲望というのはそれ自体――快楽とは反対に――苦しみや憎しみ、不幸の源なんだ。これはあらゆる哲学者たちが――仏教徒やキリスト教徒だけではなく、その名に値する哲学者たちはみな――知っていたことであり、説いたところでもあった。ユートピア主義者たち――プラトンからフーリエ、ハックスレ―に到る――の解決法は、欲望と、それにまつわる苦しみを消すために、欲望を直ちに満たす方法を組織することだった。その反対に、ぼくらが暮らすエロチック=広告社会はいまだかつてない規模で欲望を組織し、肥大させながら、その満足に関しては個人的領域にとどめている。社会が機能し、競争が継続するためには、欲望が増大し広がって人々の暮らしを食い荒らす必要があるんだ。」" ISBN4-480-83189-4 P.174


    鼻面をひきまわされる、耳をひっぱられ否応なしにつれまわされる。この小説のはじめの印象はそんなふうだった。
    なにを見せられているのか、どこへ連れて行かれるのか、さっぱりわからない。90年代の映画風。はっきり言えば『パルプ・フィクション』や『トレイン・スポッティング』、『ファイト・クラブ』のようである。クール。フランスのいじめスゲー。

    気づけば、森山塔作品にも似た読み味になっている。なんだこれは。まったくもってわけがわからない。だが、読むのをやめようとは思わない。
    この物語がいかにして『素粒子』へとたどり着くのか、楽しみでならない。

    文学を語れるほど読みこなしていないが、本作品は文学であろうと思う。経験から、文学とはどちらかというとウェットなものという印象が強いが、本作品は非常にドライである。痛ましいほどに超越的である。

    エピローグ。これ以前は文学だった。
    エピローグの10ページ程度でSFになる。サイエンス・フィクションではなく、サイエンス・ファンタジー。なんでこのオチ?
    いかなる差別をも存在しない未来への憧憬か。

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著者プロフィール

1958年フランス生まれ。ヨーロッパを代表する作家。98年『素粒子』がベストセラー。2010年『地図と領土』でゴンクール賞。15年には『服従』が世界中で大きな話題を呼んだ。他に『ある島の可能性』など。

「2023年 『滅ぼす 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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