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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784480421883
みんなの感想まとめ
立身出世と恋愛の狭間で苦悩する青年の物語は、深い内面的葛藤を描いています。主人公・豊太郎は、異国の女性エリスとの恋に落ち、彼女を妊娠させるという行動から生じる様々な苦悩に直面します。物語は、彼の未熟さ...
感想・レビュー・書評
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冒頭の一文「石炭をばはや積み果てつ。」が渋くて印象に残っていました。初めて高校の授業で出会った作品ですが、ストーリー全てを知らずに今まできてしまいました。
立身出世と恋愛の狭間で思い悩む青年の物語。ちくま文庫は井上靖の現代語訳、解説、原文の順に載っていて分かりやすかったです。巻末には、豊太郎青年の恋愛相手、エリスの謎が資料としてあります。森鴎外自身のドイツ留学経験がもとになった小説ということで、ドキドキでした。
豊太郎は、自分の内面の矛盾を自覚しつつも、自分を正当化したいう気持ちが透けて見えてしまいました。妊娠し、少女から母になるエリスを思うと辛いです。時代背景と豊太郎の諸事情を考えると、仕方のない決断だったのでしょうか。男だけが辛いのでない。女も辛いよ!雅文体の文章で読むと、男性の身勝手さが美化されてしまうように感じました。 -
漫画で読破で読んで、こちらを再読してやっとなんとなく味わえた感じがします。短いストーリーだけど色々なことを考えさせてくれます。
豊太郎ですが、舞台は1880年代。国際結婚は認められていたものの、異国の異性と結ばれることうことは簡単ではなかったでしょう。そんな覚悟もなくエリスと恋に落ち妊娠させてしまうという行動は褒められた行為ではないけれど、人間の普遍的な弱さの一つではあります。
「ああ、いかなる悪い因縁であろうか」
「ああ、ここに詳しく書き記す必要はないが」
こういった嘆きが、恋の泥沼にハマってしまう豊太郎の苦悩を表しています。豊太郎をクズ野郎というのはいささか可哀想だとは思いますが、エリスを裏切り精神を病むきっかけとなった謙吉を「憎む気持ち」を最後に吐露されたのは残念でした。全部自分のせいなんだよなあ。自身の責任を直視できていない豊太郎の未熟さを感じます。
名作古典なので解説や資料が充実していました。解釈や考察に関しては教科書的なのでスルーしました。 -
心情描写がとてもきキレイだと感じました。
林太郎がエリスに出会った時や、その後の葛藤する描写が鮮明ですんなりと頭に入ってきました。
考察の余地が多く、現代語訳を読んでいるだけでは気づかない点がこの本では解説されています。
原文(古文)から読み解くと、それはそれでまた違ったアプローチができます。色々な楽しみ方ができる名文だと思いました -
近代と現代に差し掛かった大きな差の対比。後ろの作品に対する評論もさらに理解を深めるのにとても良いものだった。
学校の題材になりはしたが、飽き足らずもう一度自分で読むことにした。
主人公太田豊太郎とドイツで出逢うエリスという名の舞姫との恋物語というべきか。
恋物語と言っても純なものではなく、かと言ってドロドロした話でもない。ただ豊太郎の弱さを、作者自身の弱さをヨーロッパの街を舞台とし、本能と理性・外的自我と内的自我の葛藤の中で描き、それを認めようとしない弱さの自供と反省が描かれている。
そして新旧をドイツ・ベルリンの町並みで対比するのにはわけがあったと思う。それは近代の保守的で本音を消し、どこか根性論的な考え方を時代の流れに逆らった許されざる恋心の発見によりその旧式的な考え方に脚光を浴びせ批判している。
と言っても私としては理性・外的自我に逆らって本能・内的自我に沿って欲しかったとも思う。もしそうしていたなら、それこそ純恋愛になっていたかもしれない。またそうなったときの事に意識を巡らせて妄想するのも楽しみである。
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あの有名な舞姫を読むのは実は初めて。あらすじは知っているのでこの先の展開を予測しつつ「ああ、男のロマンって酷いな」としみじみと楽しめる逸品。
私が読んだものは井上靖による現代語訳なのだが、読む前は「明治でしょ? 現代語訳しなくても読めるよね?」って思っていたが、文末の原文を見ると、実に読めない。同じ日本語であるというのに、言葉というものはここまで変わるのかと驚く。
そのときどきに流行っているものを取り入れる小説と無い小説では普遍性が異なると言われる。時代性のある小説はそのときは受けるがあっという間に古びて見えるとも言う。けれど、ここまで言葉が文字が変わるのであれば、そんなものは誤差なのかもしれない。
物語そのものの楽しさもさることながら、解説群も面白い。そしてその解説の中に星新一の名を見てタイミングの良さに笑った。(森鴎外は母方の大伯父にあたる)
星新一の書く、書こうとしていた森鴎外の情熱を見てみたかった。 -
高校以来、久しぶりに読んだ。当時は歴史背景を全く考えずに読んでいたと思う。なので今回は、できるだけ、背景を考えて読んでみた。
この作品が発表されたのが1890年なので、120年前の作品なのか。
ということは、尊皇攘夷を叫んでいた江戸時代からたかだか20数年。豊太郎は、お国の為に富国強兵と立身出世に邁進している時代の留学生であり、親の世代はまだまだ封建的な考えというのが前提。
となると、豊太郎の行動は何を意味してるんだろう?留学先でのエリスへの愛情という個人主義と、社会への貢献を第一とする国家主義の間を行き来し、迷った末の悲劇なのだろうか?
現代の自分には、豊太郎の行動に賛意を示すことは出来ない。
でも、当時の一般的な考えを持つ人(相沢)ならば、悩みすらしなかったであろうことを悩み苦しみ、その結果として、愛する人に最悪の結果をもたらした豊太郎には、多少の同情も感じた。
あまりにも救いのない結末なので、また数年後に読んだら、この感想も変わるかもしれないと思った。 -
高校の授業で扱ったので読んでみたが、浅学無知の自分にはなかなかハードルが高かった。 エリスとの出会いは自分には現代のライトノベルに通じるような描写に感じられ、小説における表現というのは時代を通してつながっている部分があるのかなあと思った。
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高校の授業で習いました。当時も今もアイツは相当ゲスなヤツでした。
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読んだのは現代語訳じゃないけど…いやいや!主人公!なかなかのダメンズだな。
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「大学生のうちに遊んどけよ!」と親戚のおっちゃんによく言われたが…
勉強・仕事一徹、友達少ない豊太郎が愛に溺れ、使命を忘れ、家族を裏切り、恩人を憎む姿を見るに、初恋の荒ぶる力とおっちゃんへの感謝が押し寄せた。
ブレーキって大事だな、と思った。 -
現代語訳がとても読みやすかった。そして文体がとてもきれいだ。
舞姫と太田豊太郎との恋。生活が大変な中でも二人は支え合っているように見えたのに、オチがものすごく残酷なような気がした。
舞姫と母親はどうなったのか。
豊太郎の選択はあっていたのか…。 -
ドイツに留学した太田豊太郎と、踊り子エリスとの恋愛を描いた物語です。
この本には、訳文・原文・脚注・解説が収録されています。また資料として、作品の背景を探る代表的文献を紹介。
エリスの母があざといなあ……。 -
森鴎外の「舞姫」。確か高校生の時に別の文庫本で読んだ記憶があるので、再読ということになります。本書は井上靖による現代語訳と原文の両方が収録されており、原文と現代語訳との比較もできて読みやすい内容でした。
とても有名な作品なので、あらためてあらすじを紹介するまでもないと思いますが、念のため(感想はその後に)。
日本政府の命でドイツのベルリンに留学し、エリート官僚としての将来を嘱望されていた太田豊太郎が、街で出会った美しい踊り子エリスと恋に落ちます。それを快く思わない周囲からの報告により豊太郎は官僚の職を解かれてしまいますが、大臣の秘書官となった友人の助けもあって、エリスと貧しくとも自由で楽しい生活を送っていました。しかしベルリンを訪れたその友人との再会をきっかけに、エリート官僚として復帰する機会を得た豊太郎は、自身の立身出世への欲求と、エリスとの関係を続けたいという恋愛感情とに葛藤するものの、最終的に妊娠しているエリスを裏切って日本へ帰国してしまうという物語です。
エリスは豊太郎に捨てられたことで精神を病んでしまい、豊太郎もまたエリスを裏切った罪悪感を抱え続けます。
以上を主人公豊太郎の手記という形式で綴られています。
さて、この作品「舞姫」を初めて読んだ時の印象は、留学先で踊り子の少女と出会い恋に落ちて一緒に生活して妊娠までした恋人を、最後には自分の出世のために捨てて帰国した身勝手・無責任なエリート官僚の話、というものでしたが、あらためて読むとそのような単純な物語性だけでなく、二者択一に苦悩する豊太郎の心の動きが細かく描写されていて、それがこの作品の核心でありテーマであることが理解できました。かねてから「近代的自我の確立と挫折」といことがこの作品のテーマと言われていましたが、それがよく分かりました(高校生で読んだ時にはさすがにそこまで考えは及びませんでした)。
すなわち、漠然たる功名の念と、自分を拘束することに慣れた勉学への意欲を持って、ドイツに留学して3年が経過した頃、近代都市ベルリンの自由な雰囲気の中で生活することで、豊太郎はそれまでの価値観や人生観が揺らぎ始めます。
つまり、エリート官僚として名を挙げ国に尽くすという「母親(家)」や「国家」の期待に応えるため、自身の考えや行動を自ら縛ってきた生き方に疑問を覚えるようになります。
こうして主人公の豊太郎は「近代的自我」に目覚めるのですが、大臣(山県有朋がモデル?)の秘書官としてベルリンを訪れた友人である相沢謙吉は、エリスと生活している今の豊太郎の話を聞いてこう言います。
(現代訳)
「この一段のことは、もともと生まれながらの弱い心から出たことなので、今になっては何と言っても遅い。とは言え、学識もあり、才能あるものが、いつまでも一少女の情にかかずらって、目的のない生活をなすべきであろうか。
また、彼の少女との関係は、たとえ彼女に真心があっても、たとえ交わりは深くなっていても、相手の人物、才能を知っての上の恋ではない。留学生の慣習によって生まれた一種の情性的交わりである。意を決して、交わりを断て!」
この友人との再会をきっかけに、エリート官僚として復帰する機会を得て立身出世を望む自分と、そのようなことから解放された自由な意思で生きていきたい自分との、2つの感情の間で豊太郎は悩み苦しみます。
豊太郎は悩んだ末にエリスを捨て日本に帰国するという選択をしますが、それは積極的に自らの意思で選択したというより、友人の相沢謙吉や大臣の言葉に逆らうことなく決めたことであり、豊太郎が自ら認識している通り何事にも受動的な性格から受け入れた結果ともいえます。豊太郎の自分の自由意思を貫けない性格の弱さもあって、まるで「国家」あるいは「国家に加担する友人」に絡み取られたような気がします。
豊太郎が選択したこの結果には、当然大きな犠牲と痛みが伴い、それ故に豊太郎自身も罪悪感を抱き続けることになるのですが、ここに「近代的自我の確立」の難しさと「その挫折」を感じました。
豊太郎の選択は、自身の受動的な性格と意思の弱さによるものとはいえ、自分自身の出世という欲求が恋愛感情に優っていたことはもちろん否定できないと思います。
さらに言うと、豊太郎がエリスと付き合うようになって官僚の職を解かれましたが、その直後に豊太郎は母親が書いた手紙とその母親の突然の死を伝える手紙の2通の手紙を受け取っており、母親からの手紙の内容は明らかになっていませんが、おそらく豊太郎の不名誉を嘆くものであったと思われ、我が子を諌めるような母親の突然の死も、豊太郎の選択に影響していたものと思います。ここにも依然として母親の期待に縛られていた過去の生き方・価値観が豊太郎の中に残っていたのだと思います。
結局、自分の裏切りをエリスに直接告げることも謝罪することもなく帰国の途についた豊太郎ですが、手記の最後で、
(現代訳)
「ああ、相沢謙吉のような良友は、世に再び得難いことであろう。しかし、そうは言うものの、私の脳裏に一点の彼を憎む気持ちは今日まで残っているのである。」
と結んでいるのは、自分をエリート官僚への復帰の機会を与えてくれ、妊娠しているエリスに対しても自分に代わって対応してくれた友人に感謝する一方で、自分の意思を貫くことを阻害した友人を憎み、さらには自身の性格や意志の弱さ・心の弱さから、友人の言葉に逆らうことなく従ってしまったことを悔やみ、そんな自分自身をも憎む感情を吐いた言葉として、私としては疎ましく感じました。
再読し終えて思うのは、フランスの哲学者デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と思考する自分自身(自我)の存在を唱えましたが、西洋の思想や文化を取り入れていこうという近代化を推し進めていた時代背景の中で、個人の自由な意思を持って生きるという「近代的自我」に目覚めて、「自己の在り方」と「自己の自由意思で生きること」に苦悩する豊太郎の姿を通して、『自我の確立の難しさと挫折』を示唆したこの作品が、こうして長く読み継がれているのは、自我を確立することの難しさが、様々な価値観やしがらみが交錯する現在においても、それは当時と変わらないからなのだと思いました。 -
チンカス野郎だなオイ
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主人公はわりと人のせいにしすぎ。自分に問題があると思っているのかな。結局人のためと言いながら自分のことしか考えていない気がする。他人のレールの上を歩いていることに悩みつつ、結局は歩いたまま。主人公は自分のことをよく分かっておらず、結果恋人の人生までも、不幸にしてしまったんじゃなかろうか。
著者プロフィール
森鴎外の作品
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感想 :

コメントありがとうございます。
自分の感想を読んで、読み終わった時の感想をそのまま書いていますね。
自...
コメントありがとうございます。
自分の感想を読んで、読み終わった時の感想をそのまま書いていますね。
自分のことながらお恥ずかしい。
それだけ、豊太郎のことを不快に思ってしまったようです。
森鴎外=森林太郎=陸軍の軍医さんですね。
「不朽の名作」の定義が難しいですね。
舞姫の内容だけを見たら身勝手な男の振る舞いだって思...
「不朽の名作」の定義が難しいですね。
舞姫の内容だけを見たら身勝手な男の振る舞いだって思えますから不朽の名作というのはどうなんだろうな〜って思いますよね。
それなのに何故か現代まで読み継がれ名作と言われるのはやっぱり森鴎外だからなのでしょうか?
それとも多くの男性の心の奥底に秘める、もしかしたら自分も豊太郎と同様の行いをしてしまう可能性に対する罪の意識の身代わり贖罪として見るからなのか。
こんな内容の小説が高校の教科書で取り上げられるのは奇妙な気持ちもしますが、清く美しいものだけが名作ではなく、我が身の中の毒を吐き出すのも勇気ある名作だと思えないこともないかァ。
そしてそういった感情とは別にすれば、単純に鴎外の文語調の武張ったような文章の旋律が心地よいと思います。こんな文章もあるんだぞ、と教科書に載ったのかな。
高校の授業でこの作品を読んだ時、教科書も捨てたもんじゃあない。
粋なことをするもんだなと思ったのも事実です。
長い間読まれ続けている、というのがそれかな?とも思います。
この本は本当にまだ読まれ続けていま...
長い間読まれ続けている、というのがそれかな?とも思います。
この本は本当にまだ読まれ続けていますね。
興味深いです。
森鴎外というネームバリューなのか?有名だから読んでみようか?という感じなんでしょうか。
男性の深層心理。。。
自分の中では、このストーリー展開は思いもつかないくらい酷すぎました。。。
でも、話題は尽きないということでは、インパクトがある作品なんでしょうね。
月1回で実施している感想会では、女性陣から、豊太郎は袋叩きに合っていました(笑)
自分も加害者でしたが。。。
ではでは。