- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480435958
作品紹介・あらすじ
アメリカ統治下の沖縄。ベトナム戦争が激化するなか、米兵相手に生きる風俗街の女たちの姿をヒリヒリと肌を刺す筆致で描いた傑作ルポ。(藤井誠二)
感想・レビュー・書評
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佐木隆三『沖縄と私と娼婦』ちくま文庫。
1970年に刊行されたルポルタージュを文庫化。日本に返還される前の沖縄に佐木隆三自らが数年間滞在し、アンダーグラウンドから沖縄の今を描いた名著。
日本でありながら米国の植民地であり続ける沖縄の現実は今もなお続く。米軍基地がある限り、日本政府が自国として沖縄を完全に受け入れない限り、日本政府が米国を排除しない限り、植民地支配は続く。その原点とも言うべき統治支配下の1960年代の沖縄が生々しく描かれている。
世界の警察を名乗り、自国の利益ばかりを追求するテロ国家による様々な国の悪魔的支配に終止符を打てる政治家は居ないのだろうか。
本体価格800円
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2019年6月読了。
佐木隆三といえばテレビのコメンテーターのイメージが強く、特にこれと言った認識を持っていなかったが、こんなにエッジの効いたルポを書いていたとは、全くこちらの不勉強でした。
沖縄返還前の特飲街の様子やそこでの人間模様、生々しくつぶさに書かれていて、束の間タイムスリップするが如し。いわゆる「人権派」みたいな集団に与せずに、酌婦や集団就職社員らを独自の視点から描写している。70年代の傑作プロレタリアルポルタージュの様相。 -
イデオロギーや隷属意識の視点ではなく、明日への生活の糧を得ようとする低所得者の奮闘から社会を俯瞰してみる。本土復帰前の沖縄と地元住民への偏見や差別の冷遇は、現代もなお政府を筆頭に温存されている。本土の人びとが異議を唱える覚悟は未だ少なく、臭いモノ扱いとして看過しようとする。そんな無関心に解決の糸口などなく、課題を次世代に押し付ける無責任こそ日本の伝統となっている。スゴクナイ日本。
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つらいなあ、やるせないなあ、いとおしいなあ。
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性病とか妊娠の危険とかまだ若い子まで晒されていて、それがディープキスの延長だとしか考えられない無意味な大人にはなりたくない。私いたかったのって伝えて欲しがっている女性たちを感じます。
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60年代末、本土復帰直前の沖縄で書かれたルポ。特飲街の後ろ暗さ、そこに生きる女性の暮らし、米兵と沖縄の人々との関係の描写がどれも臭うくらいに生々しい。
2018年に出た藤井誠二『沖縄アンダーグラウンド』を併せて読むと、特飲街の衰退はあれど、基地や貧困の問題は変わっていないことがわかる。 -
序 琉球から日本へ、娼婦から主婦へ
1 娼婦と私の八月十五日(特飲街・十貫瀬の生理;売春婦と買春夫の快楽;米人女性強姦は幻の犯罪;黒人女兵士ルーシー;少年の玩具は髑髏)
2 娼婦と日の丸(“沖縄人”のベトナム戦争;パイン畑の主席選挙;慰霊塔の涙と奇跡の一マイル)
3 女たちの生地獄(Aサインバーの国際結婚;小鳥を飼う混血の非行少年;恋文横丁のハーニイたち)
4 不条理の島の苛だち(コーラ割り泡盛の味;白ブタと“はまやあ”の対話;歌と踊りとトカゲのシッポ)
5 ひめゆり丸の健児たち(沖縄病患者の船酔い;三味線をひく少年;集団就職は祖国復帰の先発隊;めんそうれ食堂の御通帳;辛抱と根性の“成功者”;ゼネスト回避と本土見物)
著者:佐木隆三(1937-2015、北朝鮮、小説家)