指差す標識の事例 下 (創元推理文庫)

  • 東京創元社
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  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488267070

作品紹介・あらすじ

1663年、チャールズ二世が復位を果たすも、いまだ動揺の続く英国。ヴェネツィア人の医学徒、父の汚名を雪ごうと逸やる学生、暗号解読の達人にして幾何学教授、そして歴史学者の四人が綴る、オックスフォード大学で勃発した毒殺事件。事件の真相が語られたと思ったのもつかの間、別の人物が語る事件の様相は、まったく違うものになっていき……。相矛盾する記述、あえて隠された事実、そしてそれぞれの真実──。四部構成の稀代の歴史ミステリを、四人の最高の翻訳家が手掛ける、至高の傑作がついに登場!

感想・レビュー・書評

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  • <上・下巻併せての評です>

    時は一六六三年三月。王政復古から三年がたち、イングランドは落ち着きを取り戻しつつあった。ヴェネツィアの貿易商の息子でライデン留学中のマルコ・ダ・コーラは、家業に持ち上がった騒動の対策のため、英国に到着した。ところが、頼みにしていた代理人は死亡、父の資産は事業の協力相手に奪われてしまっていた。あいにく路銀も底をつき、一夜の宿もままならぬ身。ライデン大学で教えを受けたシルヴィウス師の紹介状を手に、急遽オックスフォードに向かう。

    当時オックスフォードには、後に「ボイルの法則」を発見することになる、若きロバート・ボイルほか、ジョン・ロックやクリストファー・レンといった錚々たるメンバーが毎夜、エールを酌み交わしては科学や哲学論議に花を咲かせていた。ボイルがいると教えられたコーヒー・ハウスで、コーラは一人の女が男に頼みごとをし、邪険に断られる場に出会う。困っている娘を放っても置けず、耳にした話から、医学の心得があることを告げ、援助を申し出る。

    女の名はサラ・ブランディ。母親が怪我をしたが医者を呼ぶ金がなく、元の雇い主に急場の助けを請い、断られたのだ。コーラは応急手当てを施し、その後も毎日様子を診に行くが、友人の医師リチャード・ローワーと地方へ出かけている間に、サラが殺人犯として拘留されてしまう。殺されたのはグローヴという大学教師で、死因は毒殺。サラの元の雇い主であり、馘首されたのを恨んでの犯行、というのが逮捕の理由。裁判の結果、サラは罪を認め、絞首刑となる。

    「『薔薇の名前』×アガサ・クリスティ」という、惹句が目を引く。事件の裏には二通の文書があり、いずれも暗号化されている。暗号を解く鍵は一冊の本。舞台はオックスフォードの学寮、そこで毒殺事件が起きるという、まさに『薔薇の名前』仕立て。本作は四人の手記からなり、視点が変わる度に事実と目されていたことが、次々とひっくり返されてゆく。誰もが「信頼できない語り手」というわけだ。日本なら映画『羅生門』か、その原作である芥川龍之介の「藪の中」だが、英国ならクリスティの『アクロイド殺し』だろう。

    手記を書いたのは、ヴェネツィア人学徒マルコ・ダ・コーラ。トリニティ・カレッジ法学徒ジャック・プレスコット。オックスフォード大学幾何学教授ジョン・ウォリス。歴史学者アントニー・ウッドの四人。殺人が起きたのは一六六三年だが、四人の手記を読むと、事件の始まりはそれよりずっと以前にあることが追々分かってくる。ことは、宗派対立と王を補佐する地位をめぐる権力闘争、という国を揺るがす大事に繋がっていた。

    ジャック・プレスコットの父は王党派の軍人で剛毅清廉の士として知られていたが、何者かの讒言で内通者と断罪され、国外に逃れた後死去。家門は没落、領地は後見人の手に渡り、プレスコットはすべてを失う。父を信じる息子は、真実を求めて関係者に話を聞いて回るが、誰も相手にしない。追及し続けた結果、真実を知る手がかりは二通の文書にあることが分かる。文書は手に入れたものの、その際、後見人に重傷を負わせたかどで、プレスコットは逮捕されてしまう。

    ジョン・ウォリスは微分積分学への貢献で知られる数学者だが、暗号研究者としてクロムウェル政権の国務大臣であったジョン・サーロウに雇われていた。クロムウェルには何度も暗殺が企てられており、サーロウは大陸にスパイを送って情報収集に余念がなかった。ウォリスは謀略のあることを知り、大陸から来たマルコに疑いを抱く。人を通じて素性を探らせた結果、コーラは貿易商の子ながら、トルコとの戦いで功績のある軍人だと分かる。

    サラの父は、清教徒革命の中で最も急進的な、土地均分などを要求した水平派の指導者だった。ジェントリ(郷紳)層を中心とする独立派と相容れず、国王処刑後、独裁を強めるクロムウェルにより弾圧され、一家は町の中で孤立していた。民間療法に通じ、自然治癒力を持つサラを頼る者も多かったが、魔女だという悪い噂もついて回った。アントニー・ウッドは、そんなサラを愛し、何かと世話をしていたが、プレスコットの告げ口でグローヴとの仲を嫉妬し、二人は別れてしまう。

    マルコ・ダ・コーラは人は良さそうだが、その正体が知れない。ジャック・プレスコットは父を信じることにかけては熱心だが、狂信者で人を人とも思わない陰謀家だ。ジョン・ウォリスは自身に対する思い入れが強く、一度こうと思い込んだら容易に意見を変えようとしない。「信頼できない語り手」ばかりだ。そんななか、名誉や地位に執着しない学究肌のアントニー・ウッドだけは信頼できそうだ。最後の語り手であることからもそれは分かる。

    これといって探偵役をつとめる人物が見当たらず、推理らしい推理がされることもない。ひとつトリックがあるが、誰にでも分かってしまう初歩的なもので、ミステリとして、クリスティは過褒だろう。だが、王立協会の母胎となる会合に集う若者たちと旧体制にどっぷり浸かった長老派との対立や、清教徒、イングランド国教会、ローマ・カトリックの間に根づく宗教対立を含んだ、イングランドの複雑に入り組んだ権力争いを、ミステリの形式に落とし込んで、文庫上下巻で千ページを超える長丁場を最後まで読ませる力量は大したもの。

    ボイルの「空気ポンプ」を使っての実験や、リチャード・ローワーによる史上初の人体間の輸血など、科学時代の幕開けを告げる動きがある一方で、あたりにはまだ、魔女や魔法、霊や錬金術が跋扈していた。混乱を極める時代の黎明期、歴史に名を残す実在の人物を多数配し、それぞれの経歴に応じた役どころを与え、一大歴史ミステリを仕立て上げたイーアン・ペアーズの力を評価したい。中でも、一六五五年にオックスフォードで絞首刑になったアン・グリーンをモデルにした、サラ・ブランディの造形が光る。『ストーナー』の訳者、東江一紀氏はじめ、名だたる訳者四人が、四つの手記を訳し分けているのも魅力だ。

  • 深いですね~側面どころか、縦・横・斜め・あげくは斜め下から読まなくてはならない本だったなんて・・・。
    4人の手記の形をとっていても政変ありスパイもどきも出没。そしてまさかのキュン話にまで行き先を変えながらもミステリーの形を保ち、謎は深まるばかり。
    『薔薇の名前』を称している通り、時間をおいてまた手に取ってみたいカモ。

    自分のなかの最大の??だった東江先生の謎もあとがきでスッキリ。

  • Webミステリーズ! : 日暮雅通/渡されたバトン――イーアン・ペアーズ『指差す標識の事例』刊行に寄せて
    http://www.webmysteries.jp/archives/23976397.html

    指差す標識の事例〈下〉 - イーアン・ペアーズ/池央耿/東江一紀/宮脇孝雄/日暮雅通 訳|東京創元社
    http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488267070

  •  四人の語り手の手記により、大学で発生した毒殺事件と、その犯人と疑われた女性の運命如何を主筋として、イングランド王政復古時代の政治情勢や党派対立等を絡ませながら、物語は進んでいく。

     ミステリとして見れば、信頼できない語り手の問題や語り=騙りといったことになるが、媚びず、卑屈にならず生きていくヒロインの人物造形が実に魅力的だと思った。

     ヒロインのラストについては、ウーンという気持ちも拭えないが、語りの中で、そこまで含めて書かれているではないかと言えば、そうかもしれないと思わされる(ネタバレ気味の恐れもあるのでぼかしていますが、最後まで読まれた方には分かっていただきたい)。

     本書では、実在の登場人物も多く、当時の医師の社会的立場だったり、輸血研究の先陣争いだったりと、興味深いトピックも面白いし、歴史小説としても読み応えがあると思われる。

     

     ただ、少し注文が。年表や登場人物の表が付され、また訳者解説でも時代背景に触れられてはいるのだが、もう少し、この時代を巡るイングランドの政治党派関係や宗教的対立等について説明があれば、より人物関係の微妙さや出来事の意味合いについて理解が深まったのではないかと思う。

  •  中世のイングランドを舞台にしたミステリの下巻。
     17世紀のイングランドでオックスフォードの大学教師が毒殺される事件が起き、それを四人の別々の視点から書いた手記をとりまとめた、という設定。下巻では上巻とは別の二人の人物による手記が収められている。趣向は上巻と同じであり、前の人物が書いた内容を覆すような事実と裏の真実が次の語り手によって語られ、前の手記の信憑性が疑われる内容となっており、構成としては悪くない。

     ただ、歴史ミステリと銘打ってあるが、当時のイングランドの政治・宗教・外交・主要人物がある程度わかっている人が読むから歴史ミステリとして成立するのであって、門外漢にはついていくのがやっとだった。
     江戸時代を舞台に趣向を凝らした時代小説を外国人が読んでいるようなもので、どこからがフィクションでどこまでが史実なのかわからない人間にとっては、趣も何もあったものではなかった。

  • 1663年、クロムウェルによる護国卿政後の王政復古時のイングランド、オックスフォードで大学教師が殺害された。その殺害に関する手記が綴られる。

    まず初めにヴェネツィア人医学生の手記が提示され、それに対する反論に近いものが第2(性格の悪い苦学生)、第3(教授であり偏屈な暗号解読者)、第4(歴史学者)の手記が出されていく。

    面白いのは各手記によって翻訳者が変わること。これにより手記それぞれに翻訳された文体がガラッと変わる。

    個人的にはミステリー部分よりも当時の社会風俗を楽しみながら読んだ。医術に占星術を絡めたり、ヴェネツィア人にとって味もマナーも最悪なイギリスの食事、土地の所有と相続の問題、権力争い、そして恋愛。

    人によって「Aはいい人」だったのが違う人物の語りでは「Aは悪い人」になり、人の外面は1つではない、というのも面白かったし、4人の信用できない語り手とこの時代の歴史を感じられたのと、翻訳文が良かったけれど、では作品全体が面白かったかというと、とても微妙。

    俺はすごい、俺は正しいという、マウンティングに次ぐマウンティングと自己正当化、(私が感じるところでは)善い人が一人もいないので、楽しんで読めた、という気はしない。。

    恋愛が入る4人目の手記は別作品のよう…いやでも変わらず陰鬱だなと読み進めていたら、いきなりちょっと少年ジャンプ的な展開になって面喰いました。

    「翻訳ミステリー大賞」と言われると納得はするけれど、人に勧めるかというとどうかなぁ。

  • 人物解説が後ろについているが、読み終わってから主要登場人物の多くが実在の人だと知ってびっくり。ボイルとレンくらいしか知らなかった。人物解説と時代背景は最初に読んでおけばよかった。
    同じ出来事を4人の視点で描き、前の著者の思い違いや嘘が次の手記によって覆されるのが楽しいし、同じ人物が別の視点から見るとまったく違う印象を受けるのも面白かった。しかし当時のイギリスの政治事情や宗教観に疎いこともあり、どうしても冗長に感じて読み通すのはかなりしんどかった。
    とりあえず最後まで読んでよかったけど、私には難しすぎたかも。

  • 下巻は暗号解読の達人である幾何学教授の手記から始まる。
    上巻は、まずヴェネツィア人の医学生であるコーラの手記から始まったのだが、真面目でお人好しの好青年と思われた彼の姿は、ふたり目の法学生プレストコットの手記によって、いささか様相が変わってくる。
    重大な事柄の記述漏れ、明らかな噓。
    コーラはなぜ、ロンドンではなくオックスフォードにやってきたのか。

    しかしプレストコットの手記も変だ。
    尊敬する父の汚名を返上するための彼の行動は、どう見ても常軌を逸してきている。
    ヒステリックなその行動を、彼は、さらに魔法をかけられたからだと思い、その魔法から逃れるために、サラを無実の罪に陥れ、死刑へと向かわせる。

    そして下巻。
    暗号解読の達人であるウォリスは国王に仕えたり、革命後はクロムウェルに仕え、王政復古3年後の今は再び王に仕えるという定見のなさ。
    信仰も英国国教会から長老派、そしてまた国教会と行ったり来たり。
    要はいつも勝ち組に乗る男が、コーラとプレストコットの手記を読み、その嘘を暴き真実を語る…ことになっているのだけど、これが過去最高に信用できない語り手。
    とにかく自分の考えに凝り固まっていて、間違いを指摘されても聞く耳を持たない。

    そもそも、最初にコーラの噂を聞いたときは、トルコの海賊にフィアンセを殺されて復讐の鬼になったがりがりに痩せた男だったはずなのに、目の前に現れた小太りの陽気な男をすんなり受け入れる感覚がわからん。
    普通なら、「誰だ?これは」ってなるんじゃない?
    もう偏執狂と言っていいくらい視野が狭い。(実在の人物なのに、いいの?これで)

    最後の歴史学者ウッドが3名の手記の噓や矛盾を暴き、真相を解明するという流れなんだけど。
    解明というか、彼は最初から真相を知っていましたね。
    ただ、その意味を理解していなかった。
    なぜならば、彼は人付き合いの苦手な世間知らずのお坊ちゃんだから。
    噂が耳に入るのがいつも遅い。

    そして、彼すらも、信用できない語り手だと思うのが、サラについて語る部分。
    今なら正気ですか?と言えるその描写も、当時は本気で信じてはいるのだろう。
    だけど、真実かどうかはちょっと疑問。

    上巻はグローヴ教授毒殺事件の謎が物語の中心と思っていたのだけど、下巻に入るとイギリスという国の歴史の中のブラックボックスが中心になっていた。
    王制と共和制、国教会とカトリック、そしてゆれるイギリス国内を虎視眈々と狙う周辺諸国。
    どの語り手の真実も、事実から少しずつ乖離していて、最後まで読んでも全然スッキリしない。

    だけど面白かったんですわ。
    実在の人物が多数出てくるし、歴史がさらに負わせた過酷な運命には愕然とするけれど、続きが気になってしょうがない。
    衒学的で難しい本なのに、ぐいぐい読んで、寝不足でございます。

  • 上巻をよみおわってやっと話が少し見えてきた。
    話の構成にビックリ、歴史的な内容にやや戸惑いながらも、読み終わったあとの満足感もひと味違う!

  • なかなか読み応えはあった ただ薔薇の名前とかもそうだけど、結構ディープなキリスト教世界の話が主要部分にあるので、僕のような門外漢には、その辺りがちょっとピンとこないかな
    特に英国国教会とローマン・カソリックの確執とかさ、わからんよね
    まあ全体としては良かったけどね
    関係ないけど統一教会はキリスト教の系譜?から外されてるらしいね
    まあそうだろうな

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