- Amazon.co.jp ・本 (287ページ)
- / ISBN・EAN: 9784492762394
作品紹介・あらすじ
東ロボくんは東大には入れなかった。AIの限界ーー。しかし、”彼”はMARCHクラスには楽勝で合格していた!これが意味することとはなにか? AIは何を得意とし、何を苦手とするのか? AI楽観論者は、人間とAIが補完し合い共存するシナリオを描く。しかし、東ロボくんの実験と同時に行なわれた全国2万5000人を対象にした読解力調査では恐るべき実態が判明する。AIの限界が示される一方で、これからの危機はむしろ人間側の教育にあることが示され、その行く着く先は最悪の恐慌だという。では、最悪のシナリオを避けるのはどうしたらいいのか? 最終章では教育に関する専門家でもある新井先生の提言が語られる。
感想・レビュー・書評
-
【感想】
書店や新聞広告などで何度も目にした事のある本書は、「2019年ビジネス書大賞」にも選ばれた超ベストセラーらしいです。
AI社会の到来を危惧し、手に取った本書ですが、えらく難しい内容で、、、
「こんなにも難しいこの本が、本当にベストセラーなの??」「この内容を理解できている人がそんなに多いの??」などなど、別の角度で自分自身を危惧する結果となりました・・・
さて、AIの台頭によって仕事がなくなるのでは?という説が世間一般で唱えられて久しいのですが、あくまで本書ではAIの限界や、「シンギュラリティは到来しない」という主張を元に進められていきます。
ただそこで、「なーんだ、じゃあAI社会になっても問題ないのか」と安心してしまうのは、些か考えが浅すぎます。
というのも、いくらAIが万能でないとはいえ、充分に人間の代替になるレベルにまで進化しているのは紛れもない事実であり、「MARCH」レベルの大学であったら合格するというほどAI自体の精度が高くなっている事が挙げられます。
そしてそれ以上に、「AIですら簡単に回答する事が出来るテストを、人間は誤ってしまう」という事が、個人的にかなり脅威ではないかなと思いました。
確かにAIは応用が利かなかったり、色んなデータを入力しないとただの計算機であったり等、そっくりそのまま人間の代替になること、いわゆるシンギュラリティは起こらないと本書で書かれています。
ですが、それはかなり高いレベルの話であって、現時点で既にAIに劣っている人間が沢山いて、全人類とは言わないまでも、一定レベル以下の人間に対して優位性を保っている。
これって言い換えれば、一定レベル以下の、分かりやすく言うとMARCH以下のレベルの大多数の人間に対しては、今後シンギュラリティが生じる事がかなり高い確率で起こり得るのだなと、読んでいて相当憂鬱になってしまいました。
では、どうすれば生き残る事が出来るのか?
それは、簡単に言えばやはり「勤勉あるのみ」なのだと思いました。
AIに限らず、色々な新しいテクノロジーを決して毛嫌いせずに、むしろ自発的に興味を抱いてtry&studyしていく事が今後ますます必要になってくるのでしょう。
もう少々具体的に言うと、自分自身のスキルのアップデートを、定期的かつ速いサイクルで行なっていかなくては、一瞬で置いて行かれてしまうリスクのある時代になったんだなと本書を読んで痛切に感じました。
テクノロジーの進化とは便利な傍ら、自身のアップデートが本当に面倒くさくて骨が折れますね・・・
でも生き残るために、頑張ろう。
【内容まとめ】
0.近い将来、AIの台頭によって、全雇用者の約半数が少なくとも今の仕事を失ってしまう危機に晒されている。
1.AIはコンピュータであり、コンピュータは計算機であり、計算機は計算しかできない。
それを知っていれば、人間の仕事を全て引き受けてくれたり、人工機能自体が意思を持って人類を攻撃するといった考えは妄想に過ぎない事がわかる。
しかし、人間の仕事の多くがAIに代替される社会はすぐそこに迫っている。
2.AIは意味を理解しているわけではない。
AIは入力に応じて「計算」し、答を出力しているに過ぎない。
AIの目覚ましい発達に目が眩んで忘れている方も多いが、コンピュータはあくまでも計算機。
意味を理解できる仕組みが入っているわけではなくて、あくまでも「あたかも意味を理解しているようなふり」をしているのだけ。
3.AIの弱点は、
・万個教えられてようやく一を学ぶこと
・応用が利かないこと
・柔軟性がないこと
・決められたフレームの中でしか計算処理が出来ないこと
ただ、現代社会に生きる私たちの多くは、AIには肩代わりできない種類の仕事を不足なくうまくやっていけるだけの読解力や常識、あるいは柔軟性や発想力を充分に備えているのでしょうか?
【引用】
p2
AIが神に代わって人類にユートピアをもたらすことはないし、その能力が人智を超えて人類を滅ぼしたりすることもありません、当面は。
AIはコンピュータであり、コンピュータは計算機であり、計算機は計算しかできない。
それを知っていれば、人間の仕事を全て引き受けてくれたり、人工機能自体が意思を持って人類を攻撃するといった考えは妄想に過ぎない事がわかる。
しかし、人間の仕事の多くがAIに代替される社会はすぐそこに迫っている。
p16
・シンギュラリティとは?
→技術的特異点。AIが人間の能力を超える地点。
→元々の意味は「非凡、奇妙、特異性」
p24
・AI進化の歴史
世界で最初にAIという言葉が登場したのは1956年のことでした。
第二次AIブームは1980年代、コンピュータに専門的な知識を学習させて問題解決を図るというアプローチ。
しかし、問題解決のための必要な知識を、そもそも記述化することの困難が明確となり、下火に。
第三次AIブームが、現代。
検索エンジンの登場、インターネットと爆発的普及により、大量のデータが突如として増殖。
「機械学習」というアイデアに注目が集まった。
p35
・強化学習
教師データなしに、機械に勝手に学習させ、完全に任せることができる。
人間が作る教師データなど、やがて不要になる?
しかし、省略化はされても、完全に解放されることはない。
AIやロボットは「人間社会で」役に立つように作られる必要があり、「役に立つとは何か?」を知っているのは人間だけ。
何らかの方法で正解をAIに教えなければなりません。
p75
近い将来、AIの台頭によって、全雇用者の約半数が少なくとも今の仕事を失ってしまう危機に晒されている。
p107
AIは意味を理解しているわけではありません。
AIは入力に応じて「計算」し、答を出力しているに過ぎません。
AIの目覚ましい発達に目が眩んで忘れている方も多いと思いますが、コンピュータは計算機なのです。
意味を理解できる仕組みが入っているわけではなくて、あくまでも「あたかも意味を理解しているようなふり」をしているのです。
p155
・シンギュラリティは到来しない。
AIはロマンではありません。技術です。
すべての技術には可能性と限界があります。
地震など、高校の物理の教科書に出てくるような基本的な物理現象一つをとっても、私たちは未だに完全には把握したり予測したりすることができていない。
それが科学の現実なのです。
その事実に、私たちは謙虚でなければならないと思います。
p171
AIの弱点は、万個教えられてようやく一を学ぶこと、応用が利かないこと、柔軟性がないこと、決められたフレームの中でしか計算処理が出来ないことなど。
では、現代社会に生きる私たちの多くは、AIには肩代わりできない種類の仕事を不足なくうまくやっていけるだけの読解力や常識、あるいは柔軟性や発想力を充分に備えているのでしょうか?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
AIと子どもたちのイメージが覆される。
AIと子どもたちは、「vs」ではなく、ネイティブデジタル世代の子どもたちがAIを使いこなすことで、大活躍すること。
相反して、今の中高年達が働き口を失うと思っていました‥
ところがどっこい、子どもたちも大変。
AIに仕事を奪われるのは、子どもたちも一緒だった。
まずAIに対する認識をひっくり返される。
人間のように考えて、理解して、学習すると思いきや、考えても無いし、理解しても無い。
AIは計算機というのに驚愕。
計算機がチェスや将棋のプロに勝つってどういうこと?ってなりますが、丁寧に説明してくださってます。AIの幻想が崩れます。
それを証明するために、東大にチャレンジする。
えっ、東大にも合格出来ることを証明するのではなく、出来ないことを証明する?
苦手科目は、国語と英語。
データなんて山のようありそうだし、Googleとかでばんばん日本語⇄英語、翻訳してくれているのに?
その謎も、きっちり説明くだっさており、AIの限界を知ることが出来る。
じゃあ、人間の仕事を奪われるなんで、大袈裟なんじゃ無いの?となりますが、やっぱり奪われるのです。じゃあ、奪われて残る仕事をやればいいんじゃない?となりますが、AIが苦手なことを人間が全員得意だと思うなよ!と、さらに問題提起される。
目が白黒するというのは、こういうことを言う。
AIの弱点は読解力。
じゃあ、人間の読解力は?というとデータを取ると散々たる結果。勉強ができないのではなく、なんと教科書が読めてなかった‥
そんなこと、考えたこともなかったですけど。
とにかく、今までの固定観念が見事に崩壊しました。
そして、さらにさらにAIについて問題提起される。
ビックデータをインプットして、統計的な判断したからといって正しいとは限らないという。
そう、インプットする過去のビックデータ(教師データ)しだいで、過去は過去。過去は未来に当てはめると歪んでいるかもしれない。結論、人間は自分で判断しなければならないのです。
2030年代には、AIと共に働く時代が来ます。
たった10年、早い‥
それに向けて、筆者は最悪のシナリオを回避するために、研究を進めています。
AIでビジネスレベルでは無い、社会全体の高い目線のお話でした。10年先が不安にも楽しみにもなる本です。 -
AIが搭載されたロボットは東大に合格できるのか?、という意欲的な目標に挑んだ「東ロボくん」プロジェクトのディレクタを務めた数学者が、日本の教育に鳴らした警鐘の書。これを読んで、薄ら寒さを覚えない人がいるとすれば、どうにかしているという思うくらい、個人的には衝撃を受けた。
本書の前半は「東ロボくん」プロジェクトで、どのようなアプローチでAIの性能を引き上げていったかという苦労が語られる。最終的に東大に入るほどの成績は収められなかったが、著者の見解ではこのレベル(成績的にはいわゆるMARCHに入れる学力ではある)がAIの限界であるとされる。AIについて過剰な期待を持つ人が多い中で、著者はAIの研究者としての立場から、論理・確率・統計という数学的言語しか操れないAIには、シンギュラリティの到来などは夢物語に過ぎないということを主張する。数学者としての立場から、AIの実体をこの3つの数学的言語から説明する著者のアプローチは非常に分かりやすく、AIに関する基礎的な理解を深める意味でも意義深い。
しかし、本書の面白さはむしろ後半、東ロボくんの開発で培ったノウハウを元にした文章読解テストを全国の中高~大学生にトライしてもらった結果、愕然たるデータが得られた、という点にある。
衝撃的なのは、何ら知識を問う内容はなく、文章をちゃんと読めば論理的に分かるはずの問題が全く解けない子どもたちが3人に1人はいる、という事実である。私自身、これだけインターネットが普及した現代において、分からないことがあれば基本的にはwikipediaを見れば、凡そのことは知ることができる、と思っていたが、3人の1人の子どもの読解力では、恐らくそれは無理ということなのかもしれない。読解力がない以上、眼の前のどれだけの情報があったとしてもそれは意味を持たず、むしろ(ここからは推測になるが)画像や動画など文章を読まなくても理解できてしまうようなフェイクメディアに流されてしまう危険性がある。
小学校からの英語義務化やプログラミング教育、反転学習など、教育業界の変化は非常に激しいが、そんなことよりも、オーソドックスな読解力を高める教育が必要なのではないか。本書の研究では、読解力と強い相関のある因子は見つかっておらず、一般的に相関がありそうに思われる読書量ですら、相関が低いという結論になっている。私見だが、読書量との相関はないにしても読書の習慣に加えて、感想文を書くなど、何らかのアウトプットの習慣は、読解力を上げるトレーニングとして効果が期待できるのではないかと考えるのだが、どうだろうか(もしかしたら、それも様々な因子との相関分析の中で否定されているのかもしれないが)。 -
-
2020/08/26
-
2020/08/26
-
2020/08/27
-
-
最近AIが話題になっているが、この本の帯に以下のように書いてある。
「AIが神になる?…なりません!
AIが人類を滅ぼす?…滅ぼしません!
シンギュラリティが到来する?…到来しません!」
著者は国立情報学研究所の新井教授、人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか?」のプロジェクトディレクタをされている方だ。AIにバラ色の未来を期待する人たちにとっては興ざめかもしれない。しかし、本書の問題提起はより重要だ。本書の前半ではAIの技術的な限界を、後半では中高生の読解力の低下を指摘している。
ショッキングなのは後半の方。決して難しいとは思えない読解力テストで、多くの学生がサイコロの目以下の正答率しかとれないことを明らかにしているからだ。読解力テストは中高生を対象に実施した結果のみが詳細に語られているが、大人の読解力はどうなんだろうか?年齢とともに読解力が低下することはないんだろうか?…いろいろと気になってくる。
残念ながら、著者は読解力を向上させる明確な方法論を見出していないという。そのことが多くの人の不安を駆り立て、一部の人は本書に批判的なコメントを寄せている。確かに気持ちはわかる。でも、ネット情報はテキストが主体なのに読解力なしで、どうやって必要な情報を得るのだろうか?人が生涯現役で働かなければならない時代が来るのに、読解力なしでどうやって新しいスキルを身につけられるだろうか?
幸い著者は年を取ってからも後天的に向上させる可能性があることを指摘している。こうやってブクログに自分の感想を書くことが、ちょっとでも読解力の維持につながっていればいいのだが。 -
AIの進展によって、人間の職が奪われる可能性については以前から指摘されているが、著者はAIに代替されない職に付けるだけの能力を備えた人材が育っていないことの危機感を強く訴えている。
その背景として、読解力をはかるためのテストの結果なども紹介され、中高生だけではなく、社会人でさえ、十分には読解力がついていないことを指摘されている。
他方、私自身、AI技術は日々スゴい勢いで進歩していると思っていたが、まだまだAIにはできないことが多く、特に人が常識で判断するようなことが、AIは苦手と知り、なるほど~と妙に納得するとともに、そういう分野がある限り、やはり人にしかできないことを人としてきちんとこなしていく、子供たちにもそれをこなせる能力を身に付けさせていくことが大事だと感じた。 -
AIは神にはなりません。
おっと。
なかなか、笑わせてくれる冒頭から始まる。
シンギュラリティという、AIが人類の知能を超える技術的特異点についても、「こない」とあっさり断言してくれる。
AIの台頭によって、仕事がなくなるという言葉ばかりが使われだして、漠然とああそうなの?でも人間にしか出来ないこともあるよね、と思ってたけど。
何が出来て、何が出来ないのか。
前半では論理、確率、統計というキーワードからAIの内部を見ていく。
「東ロボプロジェクト開始を決定した国立情報学研究所の研究戦略会議では、近未来にAIが東大に合格できると考える人はいませんでした。にもかかわらず、日本のAIのプロ集団の多くが東大に合格できると予想している。私はショックを受けました。」
「ビッグデータが集まったとしても、それで入試問題が解けるようになるとは限りませんが、多くの方が、そしてAI関連企業の方々やAIの研究者たちさえも、ビッグデータは集まるはずだ、集まりさえすれば東ロボくんは東大に合格できるはずだと、二重の誤解をしているのです。」
私も衝撃的だった。
まさかそういう意図で始められ、終わっていたとは。
そして後半、そんなAIにも敵わない「VS.教科書が読めない子どもたち」が挙げられていく。
何を問うているかが、そもそも読み取れない。
15歳を超えると読解力の壁が生まれるかのように(一方で大学入って伸びたという文言も)書いてあるのも、割と恐ろしい。
そんな子どもたち同士でアクティブラーニングして、何が生まれるんだ!
はい。もっともな指摘だと思います。
しかし、言いたい。
分かってますよ、と。
そして、言いたい。
だからと言って、契約書やらパンフレットといった訳の分からん「資料」を読み解いて、何が楽しいんですか、とも(笑)
これは新井氏の主張ではない。
というか、主張されていること自体は、とても面白いし、考えさせられる。
けれど、実用的な文章を読解できるように、という意図が、新テストという形で目の前に現れてきていることも事実だったりする。
なので、違う、そうじゃないだろ、と国に向けてつっこませていただこう。
AIの出来ないことを知る中で、人間って色んなことが出来るんだな、なんでなんかな、とも感じた。
そして、どんなキイがあれば、AIはまた一歩、進化するんだろう、とも。
面白かった! -
AIに東京大学の入試を合格させようという「東ロボ」プロジェクトを主導した新井先生。「東ロボ」プロジェクトは一定の成果が得られたということで終了したが、本書は、その経緯とともにプロジェクトから読み取られたより大きな問題(=教育)について論じたものである。
まず、「東ロボ」プロジェクトは、東京大学にAIを合格させるのが目的ではなかったという。その目的は、AIの限界を明確にすることであり、そもそも東大合格はプロジェクトの開始時点において、ほぼ無理な目標だと考えていたという。もしかしたら合格できるのではないかと語る専門家を前にすると、AIがきちんと理解されていないと感じたそうだ。大きな課題として再認識されたことは、AIは「意味」を理解しないということにある。また同時に「常識」を実装することは非常に難しいということも再認識された。それらを受けて新井さんは改めて、予測可能な時期においてのいわゆるシンギュラリティの到来を明確に否定する。現状のAIを理解した上でシンギュラリティが来るように語ることは学者として倫理的に許されないというのが新井さんのスタンスだ。
とはいえ、共通テストと東大の二次試験をAIが受けて、MARCHレベルの大学であれば合格可能となるような一定以上の点数を取るということは称賛すべき成果であり、その実装で得られた知見は貴重なものだ。
本書の内容のコアは、AIが東大の試験を受けるところではなく、後半の中高生の読解力をRST(リーディングスキルテスト)という手法で調査をしたパートにある。それは、人間との比較において想定以上に東大ロボがうまくいったということからの気づきでもある。つまり東大ロボと同じもしくは劣るレベルでしか問題に正解できない生徒が相当数いるということについて驚き、その根本がAIがそうであったのと同じように、基本的な読解力の欠如にあるのではないかと推測した。点数が取れない生徒は、勉強の努力以前にそもそも問題文の文意の読解ができていないのではないかというのだ。
まず目標とするべきは、子どもたちにきちんとした読解力を付けさせることであるという。新井さんたちは基礎的読解力を調査するためのツールとしてRSTを開発した。問題作成にあたっては東ロボで培ったノウハウが活かされている。RSTは、一般的に読解に必要な要素として、「係り受け」「照応」「同義文判定」「推論」「イメージ同定」「具体例同定(辞書・数学)」の6つの分野に関して問題を構成している。問題のネタは、中学の教科書や新聞記事に掲載されている文章を使って作成された。テストはオンラインで行われ、差が出るタイプの問題は何か、といったような分析が行われている。結果としてRSTの結果と所属する高校の偏差値の相関が0.75から0.8という非常に高いものになることがわかった。
RSTについては、埼玉県戸田市の取組みは非常に示唆的である。2016年には、戸田市の少学6年生から中学3年生まで全員がRSTを受験した。戸田市の各学校ではRSTの点数向上が読解力の向上につながるとして、その理解を深めるための指導を行っている。こういった取り組みの場合、特に教師のコミットが重要であるが、かつ教師は教職を志望してそこにいる方々であるのだから子どもの能力の向上にコミットをしたがっているのだ。その結果、それまで埼玉県でも中程度の学力成績であった戸田市が全国で中学校が1位、小学校が2位という目覚ましい成果を上げた。
また、塾に行っていることや本を多く読んでいるなどの、相関がありそうな多くのパラーメータと読解力の間に相関がないことも明らかになった。また能力値の相対比較において、その後の伸びがどの高校に行っているのかで大きく変わることはなかった。つまり、こと読解力について言うと、その高校が学力成績で優れているのは、その高校の教育システムの優劣にあるのではなく、高校入学時の生徒の読解力の優劣によると言えるのかもしれない。自分の子供たちも中学受験をしたが、中学や高校の試験でふるいに掛けられるのは、勉強に集中できる集中力や塾に通って得たノウハウということではなく、新井さんが言う通りその歳までに身につけた読解力の有無であるかもしれない。
また、悲しいことに就学補助率とRSTで測られた能力値の相関が高いこともわかった。塾に行っているからといってその能力値が上がるわけではないが、貧困と読解能力は相関があるのだ。経済的理由で大学進学の機会を失っているということ以前に貧困がその可能性を奪っている可能性があるということになる。しかし、それが分かったということは改善への戸口でもあるのかもしれない。
確かに自分が子どものときは、「文章」を深く理解することは大人になってようやく身につくものであるという印象があった。大人になっていつの間にか、理解できないのは文章の方が悪いとまで感じるようになったが、文章を読んでその意味と論理を理解できるということは考えてみれば不思議なことである。
新井さんが次のように語るとき、その重要性を強く意識をしている。
「世の中には情報はあふれていますから、読解能力と意欲さえあれば、いつでもどんなこともたいてい自分で勉強できます。今や、格差というのは、名の通る大学を卒業したかどうか。大卒か高校卒かというようなことで生じるのではありません。教科書が読めるかどうか、そこで格差が生まれています」
この本を読むとAIに何ができて、何ができないのかということをよく理解することができる。AIは自ら新しいことを生み出さない、コストを削減するのだ、と新井さんは言う。他がAIによってコストを下げている中で、コストを圧縮できない企業は市場から退場するだけだと。一方、これから人間の方で必要となるのは柔軟性であり、そのためにAIが苦手でもある読解力は必須の能力になる。新井さんはRSTを中学1年生全員に受けさせたいとして、活動を続けている。そのためにこの本の印税も個人では受け取らず、RSTを提供するための社団法人に寄付されるという。新井さんの努力が実を結ぶことを願っている。 -
数学者である著者がAIの可能性の限界や現代の中高生の読解力の由々しき問題を東大ロボでの受験での成果やRSTでの結果のデータなどから未来の姿や問題点を解説した一冊。
本書を読んで今まで持っていたAIに関する知識が大きく変わることになりました。
AIは確率、統計、論理という数学で説明できること以外のことはできないということ、そこから人間が普通に行える意味を理解するということをAIが行うのは不可能に近いという本書での説明は数学者としての著者の知識や解説を持って非常に納得できるものでした。
そのうえで世間で言われているシンギュラリティの到来はないと断言してる一方で仕事に対する危機感を著者が行う全国読解力調査の結果から警鐘を鳴らしており教育への提言になっているとも感じました。
本書の中でもワトソンや音声翻訳の仕組みやアクティブラーニングにまつわる話や受験勉強についての意味などは非常に勉強になりました。
東ロボくんの研究を通してAIの可能性と限界を知り、それからAIが代替できる仕事をはっきりとさせ今後の課題を割り出し対処していった本書ではこの国の教育がAIが代替できる能力を身につけさせている現実を浮き彫りにするものでした。
大量生産消費時代の終焉を迎える今後、新しい価値観や仕事を創造していくことがAIと人間が共存していくために求められていることであり、そのための読解力を高めていくことが必要であると本書を読んで強く感じました。
著者プロフィール
新井紀子の作品






この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。





