昨日までの世界 下: 文明の源流と人類の未来

  • 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
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  • / ISBN・EAN: 9784532168612

感想・レビュー・書評

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  • 下巻読み終わりました。
    個人的には、下巻の方が上巻より面白かった。

    危険な事への対応と宗教や健康について、小規模社会と現代の西洋社会の違いについて説明しています。

    面白かったのは危険に対する建設的パラノイアと健康について。

    建設的パラノイアとは、ニューギニア人が、さほど危険では無い事について、被害妄想なくらいに心配するという行動から付けた作者の造語です。
    作者がニューギニア人と森に出かけ、野宿をするとき、大木の下で寝ようかと持ちかけたところ、木が倒れて死ぬかもしれないので、絶対に嫌だ、と断られたという。ニューギニア人は一年に100日、40年で4000日くらい野営をする。たとえ、1000回に1回しか起こらない事でも、彼らの生活からすると10年以内に死んでしまう確率になってしまう。なので、細心の注意を払うことは理にかなっている、ということだ。
    普段、私たちはスピードを出している車のすぐ脇を歩いていたりする。でも、さほど危険を感じていないことが多い。このケースでの事故の確率が10000分の1でも、一生で10000回くらい車の脇を通ることがあれば、1回は事故になる計算になる。であれば、そうした状況では細心の注意を払うことが理にかなっているのだ。

    もう一つ、印象に残ったのは健康に対すること。西洋化する前のニューギニアの人たちは現代病として悪名高い高血圧や糖尿病の人が極端に少なかったのだ。当時のニューギニア人は現代の西洋社会での生活とは異なり、塩分も糖分も少ししか摂取していなく、朝から晩まで生活のために身体を動かす生活をしていた。私たちの身体は現代においても、このような暮らしに適したつくりになっているようだ。だから、急激に西洋化した発展途上国であった国の人々(インドとか)が、現代病に罹る割合はひどく大きくなっているらしい。

    これは、衝撃的でした。そういうことか、と妙に納得しました。全部が全部、本当の事なのかは分からないので、鵜呑みにしてはいけないのかもしれませんが。

    生活を改めるきっかけとなりました。

  • 下巻では、伝統的社会における危険の考え方、生活する上で避けては通れない、思想における宗教や言語、病気などの健康が語られる。
    危険については確かに社会が違えば危険も違う。我々は交通事故を軽視しているのだろうか。あるいはマスコミの煽る非日常の危険ばかりを気にしているのだろうか。
    宗教や言語は少数派は淘汰されるのだろうが、歴史的価値としては残す活動をすべきと感じた。
    健康はまさに飢餓に対する遺伝子の皮肉。便利になれば何かを失う。
    伝統的社会から学べる事はたくさんある。建設的パラノイア、これは気にしていきたい。

  • 先史時代の社会を知ることで現代の社会を知る。個人的な参考になる話しも多かった。
    「なのである」を多用する和訳に違和感を感じた

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    読了から感想を書くまでに間が空いたので本を読み返しながら感想を書いている。
    下巻は「危険とそれに対する反応」、「宗教、言語、健康」の2つ
    まずは「危険」に関しては伝統的社会と国家社会では危険と感じる対象が異なること、伝統的社会では小さな危険を犯すことで発生する影響が取り返しのつかないことになる可能性を非常に恐れていることが分かる。「宗教、言語、健康」については忘れてしまった事も多いが自然の流れだと思っていたことや、常識だと考えていたことが社会や環境の違いで容易に異なるのだという事を感じたことを覚えている。
    特に言語に関しては日本で生活している限りは少数言語どころか、日本語以外の外国語ですら意識しないと使う機会は少ない。
    しかし、本書を読むと言語の多様性を維持する事も必要なのではないかと考えるようになってきた。少数言語ではないが方言も本書に書かれている内容の一部は適用することができるのではないだろうか。

  • 数百万年の人類史において、国家や文字が出現したのは、たかだか5000年ほど前のことに過ぎない。それ以前の人類は、何を行ってきたのか。それは意外に現代と紙一重の世界であるか、優れていた社会を構成していた可能性もある。有史以来つねにつきまとう、戦争や教育、階層社会、高齢者の社会的位置づけなどを振り返り、今日的社会のアドバンテージと課題は何かを考えさせる。日本版には、日本の高齢化社会に対する提言もあって興味深い。

  • 「昨日までの世界—文明の源流と人類の未来(下)」(ジャレド・ダイアモンド:倉骨 彰 訳)を読んだ。ただ単に『伝統的社会—昨日までの世界』を美化するのではなく、今日の社会の抱える諸問題を解決するために学ぶべきところだけを学ぶべきであるという至極真っ当な趣旨でござった。読みやすいな。

    私のつい『昨日までの世界』にはPCもケータイも無く当然メールもLINEも無くて、通信手段といえば手紙か固定電話だけという状況だったので、女の子の家に電話するときには(誰が出るのかわからないものだからで)たまらなく緊張したものである。

  • 下巻は 宗教・言語・健康

    全部の卵を1つのカゴには入れてはならないというリスク回避の教訓

    宗教学における機能主義的アプローチ
    宗教はある種の役割を担い、社会秩序を維持し、人々の不安を慰め、政治的服従を教える

    旧約聖書4分着
    善なる全知全能の神が存在するのであれば、なぜこの世に悪が起きるのか?

    超自然的な信念は、事実上すべての宗教に存在する

    他人にとっては信じがたい宗教的迷信を、時間や資源を投じて信じることが、どの宗教にも見られる特徴である

    人に癒しや希望を与えて、人生の意味について語る

    人は不幸な目に合えば会うほど、より信心深くなる。止める人々よりも貧しい人々が、止める地域よりも貧しい地域の方か、止める効果よりも貧しい国家の方が宗教が盛んである。

    宗教には、自宗の真実性のみを主張し、他宗はでたらめだとするものが多い。異教徒に対する殺害行こういや略奪行為は許されるものとされ、それを行うことが義務ともされていた。

    愛国的な主張の暗部の正体

    旧約聖書は、異教徒に対して残忍であれと言う説教に満ちている

    人類史上最も大規模な虐殺は、植民地主義に走ったヨーロッパのキリスト教とか日ヨーロッパ人に対して行った侵略の時代である、キリスト教とは道徳的な正当化を行った。

    言語を消滅させる方法、話者の殺害、使用を厳禁し厳罰に処する。

  • 危険と言語、そして健康。伝統的社会を知ることで現代を読む。

  • 9章の電気ウナギと宗教の話が秀逸。宗教は脳の副作用である、という主張は説得力があった。

  •  日本語は長母音と短母音を区別するが、英語は区別しない。「おばさん」と「おばーさん」は区別できない。

  • 人間社会のあらゆる側面を考察する目的ゆえに、
    語られる分野は多岐にわたり、
    興味を引く部分、さほどそうでもない部分、
    やや退屈な思いを感じる部分、
    正直に言うとあると思うが、
    飢えと過食の混在という伝統的な状況では、
    倹約遺伝子が有利に働き、
    それを有する人の生存の確率が高くなったが、
    飢餓を乗り切る大事な遺伝子が、
    食物供給過剰の現代において、
    高血圧、心血管疾患や糖尿病を拡大させているというお話は、
    大変面白く読ませてもらった。

  • 「建設的なパラノイア」p14
    人類の叡智の香り

    <メモ>
    『失われた世界』前人未到の土地をフィールドワーク

    アフリカ人は、ライオンやヒョウ、ハイエナ、ゾウ、野牛、ワニなどに襲われ落命しているが、アフリカ人を殺すことが一番多い野生動物はカバである。p72
    Cf. 旧ブログ「Busch Garden <カバは馬でも鹿でもない編>」
    http://ameblo.jp/ryohhasegawa/entry-10768737641.html

    クン族と毒蛇ブラック・マンバ p78
    https://www.google.co.jp/search?q=black+mamba&safe=off&qscrl=1&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=krHyUb2VJNCgkgXY64CABg&ved=0CAkQ_AUoAQ&biw=1280&bih=635

    「嬰児殺し(インファティサイド)」と「老人殺し(シーナイリサイド)」p83

    【飢餓について】p104
    食料とセックスでは、どちらのほうがより重要であるか。この問いについての答えは、シリオノ族と西洋人とでは全く逆である。シリオノ族は、とにかく食料が一番であり、セックスはしたいときにできることであり、空腹の埋め合わせにすぎない。われわれ西洋人にとって最大の関心事はセックスであり、食料は食べたい時に食べられるものであり、食べることは性的欲求不満の埋め合わせに過ぎない。

    【複数の飛び地での農耕について】p115
    時間平均の投資収益率を最大にすることと、利益が致命的なレベルを下回らないようにすることの違いを理解すること。
    Cf. ハーバード大学の運用基金におけるサブプライム危機と小作農戦略の比較
    ※小作農が考える収穫高の最大化とは、長期的な時間平均の収穫高を、致命的な水準以下にしないこと。

    【食習慣を広げる】p125
    もっとも高い格付けに位置する植物は、豊富に存在し、広く分布しており、一年中入手が可能で、採集が容易で、味もよく、栄養価も高いもの。この基準を全て満たし、最も好まれるのは「モンゴンゴ」という名の植物の実である。
    https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B4&safe=off&qscrl=1&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=N2TzUdbAAYeLkwXG1YC4AQ&ved=0CAkQ_AUoAQ&biw=1280&bih=635

    <過去のツイート>
    先進国と途上国の死因の違い。顕著な差。

    <第9章 デンキウナギが教える宗教の発展>p138~
    【宗教の定義】p144
    エミール・デュルケームのもの、クリフォード・ギアーツのもの。
    ヘーゲル「宗教は追い詰められた生き物の溜息であり、非常な世界の情であるとともに、霊なき状態の霊でもある。それは人民の阿片である」『ヘーゲル法哲学批判序論 p330』
    一般に宗教は次の5つの要素に関連づけて認識される
    ①超越的(スーパーナチュラル)存在についての信念の存在
    ②信者が形成する社会的集団の存在
    ③信仰にもとづく活動の証の存在
    ④個人の行動の規範となる(たとえば、善悪の規範のような)実践的な教義の存在
    ⑤超越的存在の力が(たとえば、祈りによって)働き、世俗生活に影響を及ぼし得るという信念の存在

    【①説明を提供するという宗教の機能】p173
    事象について説明を提供すること、まさにこれが宗教のもともとの役割だった。
    ハーバード大神学部教授ポール・ティリヒ「何も存在しなかったかもしれないときに、存在するものがあったのはなぜだろうか?」この質問に科学的に答えることは可能だろうか?

    【②不安の軽減】p176
    【③癒しの提供】p183
    【④組織と服従】p190
    【⑤見知らぬ他人に対する行動規範】p194
    【⑥戦争の正当化】p197
    【⑦忠誠の証】p200

    Cf. 『解明される宗教―「進化論的アプローチ』

    【ダイヤモンドによる「宗教」の定義】p210
    「宗教とは、個人の間で特定の特徴が共有される社会的集団を、それらの特徴が全く同じ形態で個人の間で共有されない社会的集団から区別する、それらの一連の特徴である。そして、それらの特徴には必ず、次の3つの特徴の内の一つ以上が含まれ、3つの特徴が全て含まれる場合も多い―①超自然的な説明を提供する。②儀式によって予測可能な危険への不安な気持ちを静め、和らげる。そして、苦悩や死に対する恐怖心を癒す。③宗教は、初期の宗教を除き、制度化された組織の存在を促進し、政治的服従の説示を提供し、同胞の他者への寛容を説き、異教徒に対する戦闘行為を正当化するように進化した」

    【二言語主義の利点】p245
    バイリンガルがモノリンガルに勝る点「実行機能」―認知制御と呼ばれることもあるが、それは大脳の前頭前野の働きとされている。
    この実行機能のおかげで、選択的に注意を振り向けたり、注意力散漫になることを避けたり、問題解決に集中したり、取り組む課題を変えたり、言葉や情報を必要な瞬間に脳の記憶中枢から引出したりできるのである。
    Eg. (ダイヤモンドの場合)英語とドイツ語、スペイン語、トク・ピシン語、頭の中の4つの引出しに整理整頓。
    [英語と日本語の差異]
    英語は「L」と「R」を区別するが、日本語では区別しない。それゆえ、日本語を母語とする人が一般に、「lots of luck」といっているつもりが、英語を母語とする人には、「rots of ruck」と発音を間違えているように聞こえるのである。逆の例もある。日本語は長母音と短母音を区別するが、英語では区別しない。(Eg. アメリカ人が「おばさん」と「おばーさん」を区別できないのはそのためである)

    【アルツハイマー病の予防とバイリンガリズム】p251
    Cf. ゆりかごバイリンガル
    【消えゆく言語】p256
    Cf. 『ことばの樹海』
    世界で最も子音の少ない言語「ロトカス語」:6つのみ。(英語は24個)

    【ピマ族とナウル島人】p317
    世界で最も肥満病患者が多い二つの人間集団。
    ナウルでは20歳以上の3分の1が糖尿病。

    モナシュ大学国際糖尿病研究所のポール・ジメット教授は、糖尿病を助長する先進国の生活様式が第三世界にまで拡散する様子を「コカ・コロニゼーション」と表現する。

    数万年前、アフリカのサバンナで飢餓を生き抜いた祖先を持つ我々は今や、食物供給過剰が原因の糖尿病によって命を落とす大きなリスクにさらされている。p331

    【ヨーロッパ人に糖尿病が少ないのはなぜか】p335
    「倹約遺伝子」の有無。
    推定糖尿病患者としてのバッハ(肖像画)「蜜のように甘い尿の病気」

    【非感染性疾患の今後】p342
    禁煙、適度な運動、摂取制限(カロリー、アルコール、塩分、糖分、飽和脂肪酸、トランス脂肪酸、加工食品、バター、クリーム、赤肉など)、積極的な摂取(食物繊維、果物、野菜、カルシウム、複合糖質など)といったこと。

    【「昨日までの世界」から何を学べるか】p355
    行動的には現代人と変わらないホモ・サピエンスは、6万年前から10万年前に誕生した。「昨日までの世界」は、その歴史の大半の時代であり、そのホモ・サピエンスの遺伝的性質、文化、行動を形づくった時代である。考古学的発見から推測できるように、生活様式や技術的な変化の歩みは、およそ1万1000年前に肥沃三日月地帯で誕生した農耕の発生を受けて加速するまで、非常にゆっくりとしていた。最初に国家政府が誕生したのも、およそ5400年前の肥沃三日月地帯であった。つまり、今日のわれわれすべての祖先は1万1000年前まで「昨日までの世界」で生活し、多くの祖先もごく最近までそうした生活を送っていたということである。

  • 私たちの社会は私たちの身体が適応出来ないくらいすさまじいスピードで進歩してるようだ。いかに人類の歴史で「近代」が最近始まったことかと実感させられる。危険のあり方も変わってる。豊かになったように見えて貧しいままのこともある。色んなことに興味持って視野を広く知識は深く生きていきたいと思った。

  • 了。

  •  本書(下巻)では「危険に対する対応」「宗教、言語、健康」についての考察。中でも「危険」という概念に関する考え方が面白い。それは我々にも重要な教訓を与えてくれます。
     言うまでもなく「伝統的社会」における危険とは、我々の世界とはかなり異なります。例えば「倒れてきた木の下敷きになる危険」というのは我々にはほぼ考えられないリスクですが、ニューギニアの密林の伝統的社会ではそれはリアルなものです。毎日のように密林のどこかで木が倒れる音が聞こえ、年間に100日くらいは村を離れて野営しているとしたら、その頻度は充分にリスクを計算すべき数字になります。我々が交通事故に注意するくらいのリスク回避はするべきなのです。それで彼らは「大きな枯木の下で眠らない」というルールを守っているのです。それを著者は「建設的なパラノイア」と名付けます。他にも病気にや怪我、あるいは見慣れぬ他者に対する病的なまでの警戒心は、一見過敏にすぎる反応に見えるかもしれませんが、それは生存するために必要な知恵を継承してきた結果といえるのです。
     その考え方を現代に置き換えるとどうでしょう。原発の重大事故がが起きる確率が、仮に1000年に一度だとしましょう。しかし世界中に100基の原発が稼働したら、10年に一度は重大事故が起きることになってしまいます。現実的に我々はそんな世界に生きていて、残念ながら重大事故も一定のペースで起きているのです。「建設的なパラノイア」は現代社会においてもなお、失うべきではない生存の為のセンスなのではないでしょうか。
     最後に言語の多様性について、著者はそれが失われつつあることを嘆いています。現在、地球上にはおよそ7000もの言語が存在しているそうですが、今世紀中に数百の言語を残して消滅するだろうと言われています。それが良いことなのかどうか。バベルの塔をはじめ、世界中の様々な神話において、人類は別々の言語を話すようになったことで意志を統一できず、争いが生まれたとも言われています。しかし著者は共通言語を学ぶ必要は認めながらも少数派の言語をなくすことはないと言います。多様性をなくすことの危険性を上回るメリットはないということでしょう。言語のみならず、部族や国家、文明の多様性を失うことは、一定の条件下において全滅する危険が大きくなる。その事実に逆行しているのが現在の文明であり、グローバリゼーションという言葉に表される単純化された構造の社会なのではないでしょうか。

  • 上巻では、伝統的社会の紛争解決、戦争、子供と高齢者、について書かれていた。下巻では、伝統的社会におけるリスク、宗教、言語、健康・病気について書かれている。

    伝統的社会における危険・リスクは現代社会との大きな違いのひとつに違いない。「建設的なパラノイア」と著者が名づける伝統的社会の人びとの行動が描かれているが、その行動は奇異に映っても昨日までの世界においては正しい行動であることがわかる。

    宗教の話についてはその起源について考察し、人類が因果関係の把握という能力を獲得する中で、不安の軽減、事象に説明を付ける、癒しの提供、忠誠の証し、などの役割を持つようになったのではと推察している。ほとんどすべての伝統的社会に宗教的な習慣が存在するが、ここでも伝統的社会においては多様性が存在し、その定義を行うことも難しい。ここで行われた考察は、様々な形で行われている宗教に対する考察の中でも、もっとも納得できる考察のひとつでもある。

    ちなみに、宗教について分析をしなければならない、と書いた後に宗教を分析するということに対してある種の人は不快に思うかもしれないという言葉を後につなげている。600万年前からの人類の進化を前提に話をしているこの時点でキリスト教の教義とは外れているので、いまさらなのだが、こう書かせる心理的圧力があるのだろう。こんなところからもアメリカが思ったよりも宗教大国であることが分かる。

    言語については、その驚くべき多様性とその喪失について書かれている。

    著者が書くように、伝統的社会へのまなざしが現代社会を改善することになるかどうかは分からない。しかしながら、自分たちの遺伝的形質が伝統的社会の習慣によって選択されてきたものであることは認識しておくことが必要だ。糖尿病や高血圧は分かり易い例だ。
    明らかに現代社会は効率的かつ安全になっている。しかしながら多様性はどんどん失われている。それが本書の初めと最後に置かれた空港の描写が象徴的に示すところだろう。

    『銃・病原菌・鉄』や『文明崩壊』のような書籍を期待していたのであれば、期待外れになるだろう。それでも、書かれなくてはならなかった書物なのだろうと思う。

  • 著者のニューギニアでのフィールドワーク経験を生かし、西欧世界に「発見」された新世界の状況と西欧的現代社会を比べよりよき社会のためにできることを言語学、医学、生物学、社会学を横断し考察する。現代社会の良い点は多いが、進化的に無理をしている部分もあり、その補強のためには昔の社会に学べることもあると説く。
    司法では、西欧の法律では関係者が事後関係を持たない可能性も高く、罪と罰を重んじているため被害者の心の救済は考慮されていない。一方、「昨日までの世界」では加害者と被害者は関係が途切れない可能性が高く、親族や村の関係者を巻き込んで関係を修復することに重点を置く。
    リスクへの態度では、「昨日までの世界」では頻度の多い事柄に対しては、細心の注意を払う。現代社会では車の運転などリスキーな事柄に対して意外と注意を払ってはいないのではないかとする。
    病気については、「昨日までの世界」では、感染症がほとんどだが、現代は糖尿病、ガン,高血圧など非感染症が死因のほとんどを占めるようになり、これは食物がふんだんな状況が遺伝的にまだこなれていないためとして、食生活を以前の様式を取り入れることで改善できるとする。

著者プロフィール

1937年生まれ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校。専門は進化生物学、生理学、生物地理学。1961年にケンブリッジ大学でPh.D.取得。著書に『銃・病原菌・鉄:一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』でピュリッツァー賞。『文明崩壊:滅亡と存続の命運をわけるもの』(以上、草思社)など著書多数。

「2018年 『歴史は実験できるのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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