昨日までの世界 下: 文明の源流と人類の未来
- 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版 (2013年2月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (390ページ)
- / ISBN・EAN: 9784532168612
感想・レビュー・書評
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下巻では、伝統的社会における危険の考え方、生活する上で避けては通れない、思想における宗教や言語、病気などの健康が語られる。
危険については確かに社会が違えば危険も違う。我々は交通事故を軽視しているのだろうか。あるいはマスコミの煽る非日常の危険ばかりを気にしているのだろうか。
宗教や言語は少数派は淘汰されるのだろうが、歴史的価値としては残す活動をすべきと感じた。
健康はまさに飢餓に対する遺伝子の皮肉。便利になれば何かを失う。
伝統的社会から学べる事はたくさんある。建設的パラノイア、これは気にしていきたい。 -
先史時代の社会を知ることで現代の社会を知る。個人的な参考になる話しも多かった。
「なのである」を多用する和訳に違和感を感じた -
[評価]
★★★★☆ 星4つ
[感想]
読了から感想を書くまでに間が空いたので本を読み返しながら感想を書いている。
下巻は「危険とそれに対する反応」、「宗教、言語、健康」の2つ
まずは「危険」に関しては伝統的社会と国家社会では危険と感じる対象が異なること、伝統的社会では小さな危険を犯すことで発生する影響が取り返しのつかないことになる可能性を非常に恐れていることが分かる。「宗教、言語、健康」については忘れてしまった事も多いが自然の流れだと思っていたことや、常識だと考えていたことが社会や環境の違いで容易に異なるのだという事を感じたことを覚えている。
特に言語に関しては日本で生活している限りは少数言語どころか、日本語以外の外国語ですら意識しないと使う機会は少ない。
しかし、本書を読むと言語の多様性を維持する事も必要なのではないかと考えるようになってきた。少数言語ではないが方言も本書に書かれている内容の一部は適用することができるのではないだろうか。 -
数百万年の人類史において、国家や文字が出現したのは、たかだか5000年ほど前のことに過ぎない。それ以前の人類は、何を行ってきたのか。それは意外に現代と紙一重の世界であるか、優れていた社会を構成していた可能性もある。有史以来つねにつきまとう、戦争や教育、階層社会、高齢者の社会的位置づけなどを振り返り、今日的社会のアドバンテージと課題は何かを考えさせる。日本版には、日本の高齢化社会に対する提言もあって興味深い。
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「昨日までの世界—文明の源流と人類の未来(下)」(ジャレド・ダイアモンド:倉骨 彰 訳)を読んだ。ただ単に『伝統的社会—昨日までの世界』を美化するのではなく、今日の社会の抱える諸問題を解決するために学ぶべきところだけを学ぶべきであるという至極真っ当な趣旨でござった。読みやすいな。
私のつい『昨日までの世界』にはPCもケータイも無く当然メールもLINEも無くて、通信手段といえば手紙か固定電話だけという状況だったので、女の子の家に電話するときには(誰が出るのかわからないものだからで)たまらなく緊張したものである。 -
下巻は 宗教・言語・健康
全部の卵を1つのカゴには入れてはならないというリスク回避の教訓
宗教学における機能主義的アプローチ
宗教はある種の役割を担い、社会秩序を維持し、人々の不安を慰め、政治的服従を教える
旧約聖書4分着
善なる全知全能の神が存在するのであれば、なぜこの世に悪が起きるのか?
超自然的な信念は、事実上すべての宗教に存在する
他人にとっては信じがたい宗教的迷信を、時間や資源を投じて信じることが、どの宗教にも見られる特徴である
人に癒しや希望を与えて、人生の意味について語る
人は不幸な目に合えば会うほど、より信心深くなる。止める人々よりも貧しい人々が、止める地域よりも貧しい地域の方か、止める効果よりも貧しい国家の方が宗教が盛んである。
宗教には、自宗の真実性のみを主張し、他宗はでたらめだとするものが多い。異教徒に対する殺害行こういや略奪行為は許されるものとされ、それを行うことが義務ともされていた。
愛国的な主張の暗部の正体
旧約聖書は、異教徒に対して残忍であれと言う説教に満ちている
人類史上最も大規模な虐殺は、植民地主義に走ったヨーロッパのキリスト教とか日ヨーロッパ人に対して行った侵略の時代である、キリスト教とは道徳的な正当化を行った。
言語を消滅させる方法、話者の殺害、使用を厳禁し厳罰に処する。 -
危険と言語、そして健康。伝統的社会を知ることで現代を読む。
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9章の電気ウナギと宗教の話が秀逸。宗教は脳の副作用である、という主張は説得力があった。
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日本語は長母音と短母音を区別するが、英語は区別しない。「おばさん」と「おばーさん」は区別できない。
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人間社会のあらゆる側面を考察する目的ゆえに、
語られる分野は多岐にわたり、
興味を引く部分、さほどそうでもない部分、
やや退屈な思いを感じる部分、
正直に言うとあると思うが、
飢えと過食の混在という伝統的な状況では、
倹約遺伝子が有利に働き、
それを有する人の生存の確率が高くなったが、
飢餓を乗り切る大事な遺伝子が、
食物供給過剰の現代において、
高血圧、心血管疾患や糖尿病を拡大させているというお話は、
大変面白く読ませてもらった。 -
私たちの社会は私たちの身体が適応出来ないくらいすさまじいスピードで進歩してるようだ。いかに人類の歴史で「近代」が最近始まったことかと実感させられる。危険のあり方も変わってる。豊かになったように見えて貧しいままのこともある。色んなことに興味持って視野を広く知識は深く生きていきたいと思った。
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了。
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上巻では、伝統的社会の紛争解決、戦争、子供と高齢者、について書かれていた。下巻では、伝統的社会におけるリスク、宗教、言語、健康・病気について書かれている。
伝統的社会における危険・リスクは現代社会との大きな違いのひとつに違いない。「建設的なパラノイア」と著者が名づける伝統的社会の人びとの行動が描かれているが、その行動は奇異に映っても昨日までの世界においては正しい行動であることがわかる。
宗教の話についてはその起源について考察し、人類が因果関係の把握という能力を獲得する中で、不安の軽減、事象に説明を付ける、癒しの提供、忠誠の証し、などの役割を持つようになったのではと推察している。ほとんどすべての伝統的社会に宗教的な習慣が存在するが、ここでも伝統的社会においては多様性が存在し、その定義を行うことも難しい。ここで行われた考察は、様々な形で行われている宗教に対する考察の中でも、もっとも納得できる考察のひとつでもある。
ちなみに、宗教について分析をしなければならない、と書いた後に宗教を分析するということに対してある種の人は不快に思うかもしれないという言葉を後につなげている。600万年前からの人類の進化を前提に話をしているこの時点でキリスト教の教義とは外れているので、いまさらなのだが、こう書かせる心理的圧力があるのだろう。こんなところからもアメリカが思ったよりも宗教大国であることが分かる。
言語については、その驚くべき多様性とその喪失について書かれている。
著者が書くように、伝統的社会へのまなざしが現代社会を改善することになるかどうかは分からない。しかしながら、自分たちの遺伝的形質が伝統的社会の習慣によって選択されてきたものであることは認識しておくことが必要だ。糖尿病や高血圧は分かり易い例だ。
明らかに現代社会は効率的かつ安全になっている。しかしながら多様性はどんどん失われている。それが本書の初めと最後に置かれた空港の描写が象徴的に示すところだろう。
『銃・病原菌・鉄』や『文明崩壊』のような書籍を期待していたのであれば、期待外れになるだろう。それでも、書かれなくてはならなかった書物なのだろうと思う。 -
著者のニューギニアでのフィールドワーク経験を生かし、西欧世界に「発見」された新世界の状況と西欧的現代社会を比べよりよき社会のためにできることを言語学、医学、生物学、社会学を横断し考察する。現代社会の良い点は多いが、進化的に無理をしている部分もあり、その補強のためには昔の社会に学べることもあると説く。
司法では、西欧の法律では関係者が事後関係を持たない可能性も高く、罪と罰を重んじているため被害者の心の救済は考慮されていない。一方、「昨日までの世界」では加害者と被害者は関係が途切れない可能性が高く、親族や村の関係者を巻き込んで関係を修復することに重点を置く。
リスクへの態度では、「昨日までの世界」では頻度の多い事柄に対しては、細心の注意を払う。現代社会では車の運転などリスキーな事柄に対して意外と注意を払ってはいないのではないかとする。
病気については、「昨日までの世界」では、感染症がほとんどだが、現代は糖尿病、ガン,高血圧など非感染症が死因のほとんどを占めるようになり、これは食物がふんだんな状況が遺伝的にまだこなれていないためとして、食生活を以前の様式を取り入れることで改善できるとする。