- Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560026625
作品紹介・あらすじ
アルゲリッチはどうしてソロを弾かないのか?ミケランジェリはなぜ歌を封印してしまったのか?現役ピアニストにして気鋭の作家が、六人の名演奏家の技と心の秘密を解きあかす。
感想・レビュー・書評
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クラシックを聴くことはこれまでに何度もあったが、誰が弾いているのかという部分に着目して聴くことは最近までなかった。この本を読んで、ピアニストは舞台上では堂々と弾いていても、実はとても繊細な性格と闘っているんだと知った。座る椅子の高さの違いであったり、一般的なピアニストとの指使いの違いであったりと、著者がピアニストであるからこそ注目したであろうことが記述されており興味深かった。
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あのリヒテルに限らず、絶対音感をほこるどれほど偉大なピアニストでも、晩年になると音が1音上か下に聞こえてしまうという話は、生涯を音楽に捧げてきた人たちに見舞われた聴覚障害であるだけに、これ以上はないというほどの残酷で哀しい運命であろう。
本書は神のごとき偉大なピアニストたちのまことに人間くさい物語である。 -
この本を読んで最初に思い出したのは、サッカーの中田秀寿選手の公式ページに記されている彼自身がゲームを振り返って書く文章だ。彼の文章を読むと、めまぐるしく流れていくサッカーゲームの個々の出来事相互のつながりを、頭の中で立体的につかむことができる。スポーツも音楽も流れ去る時間の中で起こるドラマであることには変わりない。したがってそれを文章化することには同様の困難さが生ずる。たいていの場合それはあまりにも主観的、あるいは情緒的なものになりがちである。青柳は、優れたスポーツライターのように、ピアニストの演奏中の出来事を言語化している。リヒテルの演奏について書いた部分を引用する。「・・・リヒテルは一ブロックの音をわしづかみにして弾く。タッチは手前に引く。グローブのような掌全体で走句をつかみとってしまうような弾き方だ。そういう奏法だと粒立ちが悪くなるものだが、リヒテルのタッチはあくまでも鮮明だ。フレーズの尻尾で、ふつうのピアニストなら手首を少し上げて処理するところ、リヒテルは手の動きはそのままに、身体ごと向こう側へおしやる。激しいフォルテは反対にこちら側にもぎとる」もちろんこうした技術的なことだけを描写しているわけではない。「導入部の音形が積み重ねられ、和音のトレモロに移行するあたりの処理は絶妙だ。フランソワは最後の部分にルバートをかけ、トレモロとの継ぎ目がわからないようにしておいて、急速に音を輝かせる。聴いているほうは、暗い中で突然スポットを当てられたようなショックを味わう」これらの生き生きとした観察は、中田同様、著者の青柳自身が同業者であることによるものだろう。しかし観察したものを客観的に言語化することはまた別の技術が必要である。ピアノや音楽を勉強する人にはもちろん、観察したものを文章化することのひとつの例としても興味深く、また勉強になる。(菅)
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名ピアニストたちは、実際どういう人達だったのか。専門家、同業者である著者から見たピアニストたちの実像。