台湾生まれ 日本語育ち (白水Uブックス)

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  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560721339

作品紹介・あらすじ

三つの言語の狭間で育った東京在住の台湾人作家が、自らのルーツを探った感動の軌跡。日本エッセイスト・クラブ賞受賞作の増補新版!

感想・レビュー・書評

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  • 台湾で生まれ3歳で日本に移住、中国語・台湾語を混ざった言葉から日本語へと言語の主軸を移していく中で、後天的に日本の中国大陸式中国語を学び出したりしつつ、色々と悩んでいる様子が描かれている。台湾式中国語を学び、”I have Taiwanese accent and I am damn proud of it"を連呼してきた身には発音やら表現についての著者の葛藤(自分は葛藤しなかったけど)がわかる。チーファンがツゥーファンとなるし、シーがスーになり、確かに音は違うが、慣れるとわかるようになるのが不思議。多分、表面的な音そのまま以外の部分で意味を把握するなにかがあるんだろうな。

    自分自身は、ここの登場する母親や妹のようにあんまり気にしないたちなので、最後の章の葛藤は少々読んでいてしんどい。日本語の母語が確立してからいったから同じではないかもしれないが、幼い頃海外で育ってもアイデンティティに悩んだことはなかったな。

    Pl121(李良枝:イ・ヤンジについて)
    彼女たちの言葉群は、複雑の言語を行き来し、決して唯一絶対の「国語」に縛られない。
    彼女たちの放つ言葉に共通しているのは、生きているほんものの言葉とは、たった一つの国家に収束されるような言葉などではなく、あくまで個人に属するものなのだという事実を、すがすがしく焚き付けてくることだ。
    とりわけ、日本語で、そのように書いた(生きた)李良枝の著作に、わたしは没頭した。
    その美しい作品群にこもる熱量は、当然、わたしを掻き立てた。自分も、このような小説を書いてみたいと激しく渇望した。
    小説に先立って修士論文を書いた。テーマは「日本人として生まれなかった日本語作家・李良枝の主題と作品」。評価はB -。口頭試験では「あなたは李良枝を通して自分自身を語ろうとしているに過ぎない」との指摘をうける。「これは論文などではない。作家への恋文だ」。
    教授人からの叱咤を激励として都合よく受けとめると、わたしは修士論文から溢れ出したものを掻き集めて、自分の小説を書くことにした。

    P.130
    自分は台湾人である、と自覚したときの、その過程を改めて改装しようとすると、それらにまつわる私の記憶の数々は、整然とした、「はじめ」と「おわり」に綴じられた、ひと繋がりの、わたしだけの物語として束ねられることを激しく拒み、身をくねらす。まるで、わたしの回想の仕方次第で、それは異なる物語になり得ることを示すかのように。そこでわたしは、わたしではないだれかを想定して、わたしの経験を生きてもらうという方法をとる。わたしの記憶を生きるのは、わたしでなkれば、だれでもよかった。この方法で、自分にとって決してささやかではない経験の記憶と向きあうとき、わたしは、永遠の遊び場が、自分の中にできていく感じがする。(中略)その経験の過程を、わたしは、わたしだけのこととして、日記の中に閉じ込めておきたくなかった。
    それを描き終えた瞬間、読まれないという欲望が、書きたいという衝動を、はっきり上回ったことを鮮明に覚えている。

    P.158
    馬祖はやはり、媽祖にあやかった地名だった。(中略)「媽」ではなく「馬」となっている理由には、二つの説がある。一つは、神様と同じ地名は畏れ多いので、わざとずらした。もう一つは、対岸に「匪區」を控える「最前線」の島として「媽祖」という名は女々しくてけしからん。もっと戦地らしい勇ましさを出すために、女偏を外して「馬」にしろ、と軍が命令をくだした。

    P.203
    教師や学校という「上」からの圧力に留まらず、「横」、すなわち同級生である日本人生徒との間に生じる感情的なもつれも深刻だった。日本人の生徒の内には、非支配者の台湾人を、自分たちよりも一段低く扱い、差別する者も少なくなかったのだ。もちろん日本人と台湾人の間に育まれた友情や師弟愛もあった。しかし、それはあくまでも個人の問題である。あの頃の台湾を生きた日本人と台湾人の背後には、支配・被支配の宗主国・植民地体制が動かしがたい現実として聳えていた。要するに、同年代の少年同士が、片方は「帝国」の一員として誇り(威張り)、そのことによってもう一方が「植民地人」として屈辱をおぼえる(憤る)、という状況を容易に促す構造があった。

    P.207
    歴史の可能性の一つとして、征服者の言語であった日本語は、朝鮮、台湾、旧満州地域等における「国際共通語」となる可能性を孕んでいた。大定帝国の植民地だった地域で紡がれる英語、あるいは、マルティニック島およびグアダループ島で育まれたフランス語といったような、複数のニホンゴが、アジア各地で芽生えつつある・・・日本語には、そのような禍々しい希望を放っていた過去がある。

    P.218
    日本語で執筆した台湾人作家とその作品は、台湾と日本のどちらの文学史からも黙殺され、忘却の彼方に追いやられていた。
    国民党一党独裁下の台湾では、「中華民国」こそが「正統」かつ「唯一」の「中国」というイデオロギーに基づき、自国の文学史が編まれた。そこで中国文学が主流の地位を占め、戦前に活躍した作家たちの日本語作品は、「皇民化教育」による負の遺産として不当に貶められた。一方、日本では、たとえそれが日本語で書かれた作品だとしても、その作者が「日本人」でなければ、日本人による日本人のための「正統」な日本文学史からは除外された。

  • ご両親は台湾人で4歳からずっと日本で、台湾語や中国語ではなく日本語で生活する温又柔さん。

    日本で生まれ日本で育った日本人の私には全然気づくことができない温さんの想い。
    「国」って何?
    「国語」って何?
    ということ。
    台湾においては日本語を強制された時代もあって、台湾語もあって、また中国語もあって。
    でも台湾人なのにそのどちらでもなく、日本語が一番話せるということへの葛藤。
    日本語しかできない私からしたら、日本語ができて、中国語や台湾語も身近である程度理解できる環境は羨ましいなと思ってしまうのだけれど、きっとそんなものではないのだろうな。
    温さんの想いを知ることができて、とても考えさせられ、良かったです。

    国とか国語(母語)で線引きしないで多様なものを当たり前に受け入れる世界になっていくことを願います。

  • 難しい漢字や読めない漢字があって読みにくいですが、学びにはなりました。台湾の事、日本の事歴史を色々と知ることのできる内容でした。海外の方々の言葉の問題など気持ちを知る事ができる内容でした。色んな葛藤があるんだなと。新しい言葉を流暢に喋る事がどれほど大変か。

  • 台湾で生まれ、日本語で育った著者の、母国語とは何か?自分は何人なのか?といったアイデンティティを巡る思索を綴るエッセイ。

    「自分たちは台湾人だけど、娘たちは日本人。それが誇らしい」という、大きく構えたご両親のおおらかさがとっても素敵で、境界を生きる自己の存在を自己肯定的に語る文章が嬉しくて、琴線に触れるものがあり、涙を浮かべながら読んだ。

    アイデンティティの話なので、当然家族の話が多くなる。
    著者の祖母は、日本統治時代に日本語を学んだ世代。母は、中華民国設立後に、中国語を学んだ世代。土着の台湾語と別に、日本語と中国語が絡む台湾の多様な言語風景が伝わってくる。

    話は私の思い出話に移って、かつて台湾人の友人の結婚式に招待いただいて台湾に行った時、その後新婚夫婦が台湾旅行にアテンドしてくれたことがある。街中で「おでん」という言葉に出会った時「日本語と似てる食べ物がある」と面白がったら、「おでんは日本統治時代に台湾に伝わった、正真正銘の日本語だよ」と言われ、日本が統治者であった時代のことに思いを馳せなかった自分を恥じた。統治者であった日本という歴史を日本人の私は背負っていて、例えそれが私が生まれる前の話だとしても、それは決して古い過去ではない。された側はよく覚えている。謙虚に歴史に向き合わなければ、と思ったんだった。
    本書を通して台湾の歴史にも少し触れることができ、勉強になってありがたかった。

    また一方で、著者をアイデンティティ探索に向かわせたのは、日本人一般の彼女への接し方ーー母国語は何かと問い詰める、そこには母国語は一つの言語であるべきだという固定観念と、日本語は日本人のものだという固定観念が顔を覗かせるーーにも原因があると思う。
    グローバル化で人が混ざり合う現実を生きている私たちは、日本語は日本人のものだというようなステレオタイプを捨てて、日本語を人生の中で学ぶ機会に恵まれたすべての人の言語世界に堂々と日本語が組み込まれるようにそれを祝福すればいい。そして、私も私が人生を歩む中でたまたま偶然に出会った全ての言語を自分の言葉として受け入れてそれら言語への愛着に素直でありたい。

  • 3歳の時に東京に移住した台湾人の温さん。台湾語・中国語・日本語の3つの母語の狭間で揺れ惑いながら、日本や台湾の歴史、家族の歴史を知ることで自らのルーツを探っていく。
    自分はどこのだれなのか。言葉とアイデンティティ。日本で日本にルーツを持つ親から生まれ日本で育った私は外も中も知らず知らずのうちに守られているんだね。外に出ないと気づかないことがあるな。文化、世代、歴史…。積み重ねた上に今がある。から難しいし新しくもなれる。のかな。

  • 当たり前に使っている日本語。
    若い時は結構適当な感じでその世代特有の言葉ばかり使っていたけど、正しい日本語や美しい日本語を使ってコミニュケーションを取りたいと思う。
    日本語って本来はきっと美しい。

  • 台湾人の父母に日本で育てられ・育ち、がタイトルに

  • 言語とアイデンティティについて、その結びつきを考えたこともなかった。楽であることは単なる幸運でしかない。だから楽であることは、考えなければならないことでもあるなあ。私とは違う形で日本語を思考の杖とする温又柔さんが編む物語を読むのが楽しみだ。

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著者プロフィール

1980年、台湾・台北市生まれ。3歳より東京在住。2009年、「好去好来歌」で第33回すばる文学賞佳作を受賞。両親はともに台湾人。創作は日本語で行う。著作に『真ん中の子どもたち』(集英社、2017年、芥川賞候補)、『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社、2015年、日本エッセイスト・クラブ賞受賞、2018年に増補版刊行)、『空港時光』(河出書房新社、2018年)、『「国語」から旅立って』(新曜社、2019年)、『魯肉飯(ロバプン)のさえずり』(中央公論新社、2020年)など。

「2020年 『私とあなたのあいだ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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