- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569692098
作品紹介・あらすじ
オレは修羅場を踏んできたと大物ぶる者、過ちを認めずに開きなおる者、弱音を吐いて同情を誘う者、仲間が集まると急に気が大きくなる者-自分に酔って恥じることなき懲りない人々。「自分」という酒にうっとりするためなら、他人の感情なんて気にせず平気で蹴落とす。なぜなら自分は特別なのだから、と妄想的なのぼせ酔い。なにを根拠にそこまで下品になれるのか。先に酔った者勝ちだといわんばかりに、ますますオダをあげる彼らとどうつきあうか。他人の"酔態"見て、わが"酔態"直せ!現代「自己陶酔」白書。
感想・レビュー・書評
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言っていることはわからなくもないが、「だから何なんだよ?」感のある偏屈親父の小言。自己陶酔の下品加減を、酒に泥酔した樣に例るのは、なかなか秀逸なメタファとはいえ、一冊通じて罵られると、ちょいと粘着質過ぎる。
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自我を持ってしまった人間は、「自分」に酔わずにはいられません。人間は自分に「ほろ酔い」でなくては生きていけないのだと、著者はいいます。しかし現代の日本人は、ほろ酔いの「自分」の上に、資産、地位、権力、知名度といった資本主義的自我を積み上げて、二階建ての「自分」に酔ってしまっています。こうして、現代の日本は「自分様」たちであふれかえることになったと著者は嘆いています。
個人的におもしろいと思ったのは、ひろさちやに対する批判をおこなっている箇所でした。ひろは、「苦しみを楽しむことができれば、あなたの人生はすばらしい人生になります」と述べますが、これに対して著者は「これらの言葉は、どこか上滑りしているように感じられてならない」と反論しています。そのうえで、もしも自分の人生が八方ふさがりになったらどうするだろうかと自問して、「たぶん、死ぬであろう」と述べます。「人の死は悲しいが、自分の死は悲しくもなんともない」とも述べています。そうして、「けれど、とりあえず、今日もタバコがうまいのである。コーヒーもうまい。空は青い」と著者はみずからの立脚点を語ります。
これは、ひろの考えと似ているようで非なるものだと考えます。ひろが言うのは、たとえ目的を達することができなくても、その過程を楽しむことができればよい、ということなのですが、そうした言い方がすでに過程を目的化してしまっていると言わなければなりません。著者の考えはこれとは異なります。「けれど、とりあえず、今日も空が青い」というのは、この世界に絶望した者のところへ、思いがけず世界から届けられた贈り物なのでしょう。そうした純粋な喜びを享受をすることと、日常のささいな事柄に幸せを見いだすことを目的にして生きようとすることとは、まったく別のことだと言わなければならないでしょう。
似たような議論がくり返されていて少々退屈もしましたが、この箇所に出会えただけで、自分にとっては本書を読んでよかったと思えました。 -
まあまあの分析だが,著者がオレ様のような気がしないわけでもない。
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本を一冊書くにはちょっとくどいかなという印象 ロバート・B・パーカーの「初秋」はちょっと読みたくなった
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私が思っていた事と同じ事が書かれていた。
大抵の人は少し酔っている状態。
とても辛い出来事が合って落ち込んだ時にだけ、その酔いが覚める。
もちろん、私も例外じゃない。 -
10056
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S木K子の項目は同意
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人間は誰しも自分自身に酔っている。ある程度の酔いは心地よいだけで済むけれど、酔いすぎ、泥酔は他者への迷惑にもなるものだっていう内容。
全部読めませんでした。
ちょっと期待していた内容と違うかな?
具体的な有名人のここがイカン!という列挙をしているが、その人物がどうしてそのように己に酔っているのかという説明については、伝聞形式の憶測に過ぎないように感じる。
屁理屈っぽくって80ページまでしか読めなかった。
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最近、著者の本を多く見かけるようになったなと思いましたが、執筆業一本になられたのですね。知りませんでした・・・。ロバート・B・パーカーの作品からの引用があるのに、ちょっとびっくり。