- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784571240911
作品紹介・あらすじ
アーサー・クラインマンはハーバード大学の著名な精神科医、医療人類学者で、「ケア」というテーマの権威である。クラインマンは、妻のジョーンが早期発症型アルツハイマー病との診断を受けた後、自ら妻のケアを始め、ケアという行為が医学の垣根を超えていかに広い範囲に及ぶものかに気づくことになった。本書でクラインマンは、医師としての生活とジョーンとの結婚生活について、深い人間味のある感動的な物話を伝えるとともに、ケアをすることの実践的、感情的、精神的な側面を描いている。そしてまた、われわれの社会が直面している問題点についても、技術の進歩とヘルスケアに関する国民的な議論が経済コストに終始し、もはや患者のケアを重要視していないように思えると述べている。
ケアは長期に亘る骨の折れる地味な仕事である。ときに喜びがあるけれども、たいていはうんざりすることばかりで、しばしば苦しみでもある。けれども、ケアはつねに意味に溢れている。今日、われわれの政治的無関心、燃え尽きの危機、ヘルスケア・システムへの不満、これらを前にしてクラインマンは、自分たちと医師にいかに気まずい質問を投げかけなければならないのかを力説する。ケアをすること、われわれを必要としている人のために「そこにいる」こと、そして慈しみを示すことは、深く情緒的で人間的な経験であり、われわれにとっての本質的な価値観の実践であり、職業的な関係および家族関係の中心となるものである。ケアの実践は、医学と人生においてかけがえのないものは何なのかを教えてくれる。
感想・レビュー・書評
-
精神科医であり、医療人類学者である著者のケアについての論考というより、著者の自伝であり、著者が妻をケアし続けたことで、ケアの本質を考察した著である。著者の妻の病気はアルツハイマーの中でもまれなタイプで、症状の経緯は勉強にもなったが、その中でケアする著者の心の動きには共感した。「ケアをすることによって、ケアをされることの必要性を認識する」「ケアのたましいをたましいのケアに変容させる」という分に本書が濃縮されている。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
素晴らしい本。まさにケアのたましい。多くの方に勧めたい。
-
「ケア」という行為の奥深さを知った。
ケアのたましい、すなわち積極的にケアをしようという行為は、ケアされる側が実は、わたしをケアしてくれるという気付きによって、たましいのケア、すなわちわたしのケアに昇華する。
ケアという行為は、世界との一体化の過程であり、さらには自己の内なるものの現前性を導く行為なのだ。
人間の存在は、ケアすることから全ては始まる。
最初は他者と関わることから始まる。それは最終的には自分自身に関わることになっていく。つまりケアすることによって、ケアされる必要性を認識する。
こころの深奥に潜む欠乏すなわち存在の不確かさは、他者に関わることとは矛盾する。だがその脅威は、他者と関わることによって和らぎ、私たちは生きていきやすくなる。人としての目標を分かち合うものとして、ともに旅をするのである。おそらく最終的に、その旅は、ケアのたましいを、たましいのケアに変容させるものとなるのだ。 -
翻訳は意味はとれるが,かなりおかしな日本文.妻と自己の業績の賛美が延々と続く内容を下手な翻訳で読み続けることは,無理だった.
-
10月新着
東京大学医学図書館の所蔵情報
http://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2003576035