- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582767049
作品紹介・あらすじ
一九九七年、ハノイ、マクナマラ元米国務長官ら、ベトナム戦争を戦った両国要人らが対話した。この戦争はなぜ回避できなかったのか?なぜ早期に終結できなかった?なぜ機会を失したか?真摯な、ときに激烈な討論の中で明かされたのは、悲惨なまでの互いの無知、無理解、誤認…二〇世紀の戦争をめぐる対話がもたらす、二一世紀の紛争解決・平和構築に向かう巨大な教訓。
感想・レビュー・書評
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ベトナム戦争に関する書籍というより、際立って立場の異なる者同士が如何に議論し、如何に合意していくかを示す、交渉・対話のお手本のようなストーリー。なお、両者は最後まですれ違いを解消できない。本対話の報告書のタイトルが「好機を逃したのか?missed opportunities」から「終わりなき対話 argument without end」に変えられたというのは味わい深い。
壮絶な殺し合いをした当事者が顔を突き合わせ、激論を交わす。
相手の意図の読み違い、過小評価・過大評価、さまざまなすれ違いが泥沼の戦争へ両国民を引きずり込んでいく。
ベトナム側が一貫して「我々には戦う以外の選択肢はなかった、戦争を避けられたとしたらアメリカ側に責任がある」という姿勢を示すのに対し、アメリカ側は「お互いが好機を逸したmissed opportunities」を主張する。
感情的なぶつかり合いを経て、少しずつ両者の理解が深まる、だが最後には決定的な溝を確認して終わる、このプロセスは圧巻。言葉が出ない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
NHKスペシャルの書籍化。
マクナマラは相互理解の欠如が戦争突入の主要因と言う仮説で臨んでいるが、ことはそう簡単でもなさそうだ。確かに米はベトナムと中ソの連携を過大評価していたが、後知恵での評価でもって当時の意思決定を評価するのも危険だ。それにベトナムにとっては相手の理解もへったくれもなかったというのはごもっとも。ぎりぎりラオス会議は和平のための「失われた機会」であったと言えそうだが、その後両国はクーパー氏が指摘するようにお互いの行動(北爆&ベトコン支援)に不信感を持ち、不信感を持つがゆえにそれぞれの行動を止められないピットフォールに陥ったわけだ。互いの国には軍部など強硬派もいるわけで、ある程度まで行ってしまうと和平は望みようがない。
ベトナム側から不適切との指摘を受けたため議論されなかったようだが、アメリカが中ソ参戦を避けながら勝利をおさめられたかという「失われた機会」、なぜこの機会を失ったかも別のテーマとして興味深い。ともあれ、シルバーバレットはない、とにかく対話するしかないという結論は妥当なのかもしれない。 -
読了したので改めて感想。
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1997年、アメリカ・ベトナム両国の元指導者による対話が、ハノイにて実現した。
テーマは"Missed Opportunities?"(機会を取り逃がしたのか?)。
ベトナム戦争が終結してから20年経ち、両国の国交が正常化した1995年から、2年後のことである。
世界で唯一戦争でアメリカを敗ったとは言え、その戦いによって筆舌に尽くせぬほどの辛酸を舐めた国、ベトナム。
ベトナムは何故、この対談を受け入れたのか。
鍵は、マクナマラ氏(戦争中のアメリカ軍トップ)の個人的な謝罪にあった。
戦争中長いこと国防長官を務めたマクナマラ氏は、ベトナムではアメリカの象徴のようなイメージだったという。
そのマクナマラ氏がアメリカで出した、ベトナム戦争の回顧録の中で、マクナマラ氏は「ベトナム戦争はアメリカの犯した過ちだった」と明確に認めた。
勿論アメリカ国内では賛否両論だったが、この本はベトナムで翻訳して出版され、大ベストセラーとなって多くの国民に読まれ、マクナマラ氏によるベトナムへの正式な謝罪として受け止められたのだという。
わたしはこのくだりを読んで、かなり衝撃を受けた。
なんせ日本は未だにお隣の国々との関係をうまく築けているとは言えない。
まあそれにはお隣の国自体の問題もないわけではないとは言え、侵略した側としてもっとできることがあったんじゃないか、あるんじゃないか、とずっと思ってきた。
少なくとも、謝罪する気持ちがあるなら、侵略した際に行った残虐なことを次世代に隠すような真似は断じてありえない、と。
日本のこの状況が脳裏をよぎり、マクナマラ氏の謝罪がベトナムにおいて受け入れられたということに、わたしはとても感動した。
そのマクナマラ氏の提案によって、対談は実現した。
この対談で、ようやく明らかになったこともあれば、お互いに理解がしきれないままだった部分もあったようだった。
明らかになった中で、わたしにとって衝撃的だったことが三つあった。
一つは、戦争の意図。
当時は冷戦の真っ只中で、アメリカはソ連と中国を筆頭とする共産主義勢力が力を伸ばすことを恐れていた。ベトナムが南北統一を成しかけたその時、アメリカが恐れたのはただ一つ、ベトナムが共産主義国となり、周りの国々に共産主義を広げるきっかけとなることだった。
一方のベトナムは、ただ国家を統一したいだけだった。統一を阻むのは植民地化したい奴らだと、またフランスみたいな奴らが現れたぞと、みんなで一致団結して戦うことにした。共産主義など、全く眼中になかった。
そうして、お互いの本意を見誤ったまま、戦争は始まった。
二つ目は、戦争の常識の違い。
アメリカが、戦争が本格化するきっかけになったと主張する、ベトナム側による攻撃がある。
「プレイク攻撃」と呼ばれるその攻撃は、アメリカが空爆を続けるか止めるかという見極めに、大統領の側近が現地に飛んだその翌日に、目と鼻の先で起こった。
あまりの場所とタイミングの合致に、アメリカ側はベトナム側がアメリカの要職にある人物が滞在している時と場所を狙って攻撃したのだと確信し、側近の帰国後、ただちに空爆の継続・本格化が決定した。
この件について、ベトナム側の説明は「近くのゲリラ軍がたまたまそこをその時に攻撃しただけで、アメリカ側の要職にある人物の滞在は把握していなかったし、攻撃を指示してもいない」ということだった。
そもそもベトナムはアメリカと違って中央集権化が進んでおらず、指揮系統が整理されていなかったため、一つ一つの攻撃を中央から指示していなかったのだという。
そうして、戦争は本格化した。
三つ目は、空爆に対する両者の捉え方の違い。
戦争中、アメリカ側は秘密和平交渉を進めていたのだが、ベトナム側が空爆中止を交渉に応じる当然の条件と捉えていたにもかかわらず、アメリカ側は軍部に秘密で和平交渉を進めていたため、空爆をやめさせることができなかった。
しかしたまたま悪天候により空爆を中止していた間に、ベトナム側は悪天候によるものとは知らず交渉の日取りを受け入れた。ところが結局、その前日に天候が良くなって空爆が再開されたために、当日になってベトナム側は交渉をキャンセルした。
アメリカ側が空爆にこだわったのは、空爆しながら交渉を持ちかけることこそが交渉の実現に繋がると、当然のように信じられていたからだった。「交渉に応じれば空爆は終わるのだから、交渉に応じよ」ということである。
ベトナム側からすれば、それはただの脅しだった。圧倒的な軍事力で空爆を受けながら「交渉したい」などと言われても、到底まともに交渉ができるとは受け止められなかった。
そうして、秘密和平交渉は実を結ぶことなく、戦争は泥沼化した。
なんという虚しさだろうか。
思い込みというのは本当に恐ろしい。
わたしは、そういった思い込みは個人レベルでもあると思う。
今も、日本でも。
そしてそういった思い込みの集積が民意となって戦争を引き起こしてしまう可能性もまた、あると思う。
「あいつは戦争をしたいんだ」という思い込みも、そう。
その前提で考えるから、そう見えてくる。
疑えばキリがない。
全てを鵜呑みにせよ、という話ではもちろんなく、互いの意図を様々な前提を疑いながら丁寧に汲み取ること、そのために互いの文化を知ること、「対話」をすること。
対 話 を す る こ と 。
この本を読んだら、対話がいかに、いかに大切か、痛切に感じられるかと思います。
なお、このアメリカ・ベトナム両国の元指導者たちによる歴史的な対話は、対話の重要性を認識した彼らにより、その後も続けていくことが決まり、その一連の対話は後にアメリカ側の参加者によって本にまとめられた。
テーマを"Argument without End"『終わりなき対話』と変えて。 -
ベトナム戦争をめぐる、アメリカとベトナムの政治の当事者たちの対話。読み終えて感じるのは、小国と大国、戦場と遠隔地で、全く「信念」や「常識」、「守りたいもの」が異なるのだという、当たり前だが見落とされがちな事実の大きさ。今でも他の場所で同じことが繰り返されているように思えてならず、実際に私の専門でいえばハマースとイスラエルの停戦をめぐる双方の考え方とシンクロして見えた。和平を現実的に考えたい人に、何よりまず勧めたい一冊。
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戦争が終わった後の、指導者の感想戦。フィクションではともかく実際にはめったにないものが、あのベトナム戦争である。うちふるえるほど素晴らしい。
全く無いわけではないだろう。秀吉と家康は小牧・長久手の戦いの感想戦をやっただろうし、榎本武揚と薩長高官だって話はしただろうし、第二次世界大戦だってあったと思う。
しかしこれが、きちんと読める形であるのはすごい。
中身も実に面白い。一気読みした。
一気読みするのがもったいないのでゆっくり読もうと思ったがそれでも一気読みしてしまった。
戦争目的に関する双方の無理解、相手の意図の読み違い、交渉の設定の難しさなど、教訓だらけである。
また、90年台だからこそベトナムと米国がこういう形で対話できただろう。80年台でも今世紀に入ってからでも無理だと思う。
また、双方ともに真摯に対話しているのだがそれでもなお、外交と歴史の駆け引きがあるのも、それもまた興味深いと思う。
この対話およびこの本を低く見るつもりは全く無いが、それでもなお読み終わって疑問に思ったところを書いておこうと思う。
それは、「何が話されなかったか」ということだ。
マクナマラということもあるだろうし、冷戦終了後とか、ベトナムのドイモイ以後の政策というのもあるのだが、それにしても、イデオロギー的に脱色された国際政治論になりすぎているように思う。
もちろん、それをここで議論しても仕方がなかったと思う。しかしそれは、あらかじめ取り除かれたのだろうか。それとも、米越ともに重要だと思わなかったのだろうか。
これを思うのは、その論争が聞きたかったからではなくて、「この戦争の教訓を未来に活かす」と考えた時に、それを抜きで考えれるのだろうか、と疑問だからだ。
イデオロギーというのは、なにも共産主義vs自由主義だけではない。
たとえば、南北ベトナムといとこの関係にあるといえる朝鮮半島で、もしこの教訓が活かせるのならば、イデオロギー、そして双方の体制に対する思想的な嫌悪感や恐怖心を抜きにして語れるのかと思うからだ。
これは、もっと言うと「恐怖」に関する話である。
この対話は、お互いが当時抱いていたであろう「恐怖」に対する言及が少ないと思う。北爆に対するマクナマラと、北ベトナム高官の感覚の違いは、この「恐怖」だと思う。
また、この対話では触れられていないが、北ベトナムが南ベトナムで散々行ったテロルに対して、北ベトナムの当事者たちはどう思っているのか、それも聴いてみたかった。
なぜなら、それが今世紀に関しての核心だと思うからだ。
結局のところ、北爆・・・交渉テーブルにのせるために相手を空襲することは、効果的なのだろうか。そうではないのだろうか。テロはどうなのだろうか。
それは知ってみたくはある。また知るべきではないのか。
「思っていたほどの効果はなかった。交渉にテロルを活用することは逆効果であった」という言葉が効いてみたいものだけれども、それは事実と願望をごっちゃにしている。「効果的だった」ならば、それはそれとして史実として記録するべきだと思う。
おそらく、こんな「感想戦」は、歴史上空前だ。そして、残念ながら、絶後だろう。
だから、それを知りたかった。 -
今日、同僚から借りて一気に読んでしまった。
ひさびさに面白いノンフィクションを読んだ。
なんとなくニュースで聞いて知っていたベトナム撤退と戦争の終結
なぜ和平交渉が何度も失敗したのか双方の主張がそれぞれの立場では正論で、1997年の対話において互いに理解できないのが興味深い。
しかも停戦条件は双方ともだいたい同じという。
マクナマラの想いというよりアメリカの文化なんじゃなかろうか
読んでてアフガン、イラク戦争(第二次湾岸戦争)の時のブッシュJrの顔が輝いているシーンが思い浮かんだよ