- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591130957
感想・レビュー・書評
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同じマンションに住む、小五のアリとナオ。
アリはイラン人でサッカーが得意、ナオは絵を描くのが大好きな女の子だが回りからは変人扱いを受けている。
同じマンションに住みながら、二人に接点はなかった。
が、アリの両親のどうにもならない都合により、アリはナオの叔母が住む奥多摩に、ナオとナオの弟のダンと3人で泊まりに行くことになる。
そこで、アリから初めて聞くイランの遊牧民が織るギャッベや、イランの料理に興味が沸くナオ。とりわけ、アリがギャッベの買い付けをしている叔父さんから聞いたヘンダワネ(イランのスイカ)のタネの話に惹きつけられた…。
年々、日本で生活をする外国人は増えているが、彼らはそれぞれのコミュニティを持っていて、なかなか接点を持つのが難しい。島国育ちの日本人もコミュ症多いし…。
アリとナオのようになれたら理想的だ。
余談だが、イランのお料理もギャッベも非常に魅力的に書かれている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
面白かったよー。
単純だけど私もイスファハンに行ってみたいと思ったし、アラビアンナイトのような、ヘンダワネのタネに閉じ込められていた秘密の物語に魅了されちゃった。 -
(No.12-91) 児童書です。
内容紹介を、表紙裏から転載します。
『サッカーが得意なクラスの人気者、イラン人のアリと、絵ばかり描いていてヘンな女子といわれる直(なお)。
アリが隠している心の秘密に気がついた直は・・・?
イランのスイカ、ヘンダワネのタネが結んだ直とアリの物語。』
図書館の棚で見つけた明るい色の表紙の本。どうやら夏休みの話らしいと分かりましたが、冬に読むのもいいだろうと借りてきました。初読みの作家さん。
最近の小学校はこんなに国際色豊かになってるのか(地域的なものもあるでしょうが)とびっくりしました。
両親とも外国人、片親が外国人、という子供たちが何人もいるので、たとえ日本語が少々不自由でもくじ引きでPTA役員を決めてしまう。それは大変ですね。
アリは両親ともイラン人です。お父さんは日本語がけっこう出来るようですが、お母さんは会話はまあまあ程度、読み書きは不自由です。直とアリのお母さんはくじで役員に当たってしまい、直のお母さんがいろいろ手助けしているうちに二人のお母さんは仲良くなりました。実は直とアリはクラスで接点が無く、別に親しいわけではありません。
夏休みアリのお母さんのSOSで、アリと直は直の弟も一緒に、直のお母さんの妹・リコ(つまりおばさん)の家に泊めてもらうことになります。
独身で芸術家のリコさんの家で、お互い学校では知らなかった一面を知ることになるのです。
お母さんが大好きなのに、日本語がつたないお母さんを恥じてしまうアリ。日本に溶け込もうとするあまり、イラン語やイランの話を自ら封印してしまうアリが切なくて。
学校から離れた環境で過ごすことで、解き放たれた二人の心にほっとしました。それには直の弟・暖(だん)の存在も大きかったです。直たちは5年生ですが、暖は3年生。イランとかに関係なく、暖は年上のアリにかまってもらえることに舞い上がりはしゃいで、微妙な雰囲気などぶち壊してくれます。
不思議なことがちょっと起こりますが、とっても現実感がある話でした。
児童書でたまに、普通大人はこういう反応はしないというのがありますが、どの大人もいそうな人ばかり。私はそういう児童書が好きなので、とても好感が持てました。 -
直は、学校でも絵ばかり描いてて、ヘンな子だと皆に思われている。
同じマンションに住む、イラン人のアリは、サッカーが得意で明るくて
クラスの人気者だ。
アリのお母さんがイランに出かけることになり、お父さんも出張先から
戻れないということで、お母さん同士で仲の良い直の家に、アリを一晩
預かってほしいと頼みに来た。
この日は直の叔母さんのリコちゃんちに、泊まりに行くことになっていたが、
急きょ、アリも連れて行くことになった。
直の弟の暖は、サッカーができると大喜びだ。
アリは日本に馴染みたいために、イランの言葉でしゃべる母親を疎ましく
思っていたが、リコちゃんちで過ごしているうちに、実はそうではないことに、
直は気付き始めた。
アリは、直の知らないイランのことを、たくさん話してくれたのだ。 -
国際理解のもう一歩先に踏み込んだ感じかなぁ。
いつも絵を描いていて「ヘン」といわれる直と、ヘンなガイジン扱いされたくなくて、ペルシア語を話さないイラン人のアリ。
日本でまわりに溶け込んでやっていくのに、イランが好きなことを隠していたり…。
いろんな葛藤があって胸が痛いです。
人を理解しようとする気持ち。本当は、皆持ってる筈なのに、現実ではそうでなく、生きにくさを感じるって、悲しいですね。
直とアリの素直な言葉と真っ直ぐな気持ちがまぶしかったです。
「ヘンダワネのタネの物語」。
タイトルが秀逸!と思いましたが、本の中からいろんな色や鮮やかでキラキラした世界が飛び出してくるようで、ステキでした。 -
絵ばかり描いていてヘンな子だと思われている小学生、直と、イラン人の同級生、アリのお話。
不思議成分をふくみつつファンタジーではない現実のお話。
ヘンダワネとはイランのスイカのこと。
直と直の弟の暖とアリは直のおばさんのリコちゃんの家で一晩あずかってもらうことになる。
ヘンだと思われてもひとりで絵を描きたい直と、ヘンだと思われたくないアリ。
でも日本人の変わり者と、出自が違う異物の「ヘン」は同じ「ヘン」ではない。
日本語が下手な親や祖国に対する複雑な感情、アリが語る魅力的なイラン、アリがおじさんにきいた物語。
知っている世界と知らない世界と物語の世界が違和感なく溶け込んで、新藤悦子の物語世界に引き込まれる。
ただ、現実に近いだけに気になる部分も少々あった。
たとえばアリをみんなが呼び捨てにする。年下だけどサッカークラブで交流のある暖はともかく、小5の女の子がろくに話さないクラスメートをいきなり呼び捨てにするか?母親同士が仲良しなだけの関係で、他人の子を呼び捨てにするか?姪甥の知り合いの初対面の子をいきなり呼び捨てにするか?
でも小学校のころ、仲良しの子以外は名字で呼ぶのが普通だったけど、外国人の子だけはみんな名前で呼んでた。
さすがに「くん・ちゃん」はつけていたけど。あれはなんだったんだろう。名字はよびづらかったからか?
その子たちは途中から引っ越してきた子たちだから外国語が母語だったけど、決して話さなかったし、アリのように「普通に」日本の文化の中にいた。
きっと私たちが(故意ではないにしろ)話させなかった。そういうことを思い出した。
直がアリに対して思う「がんばって漢字を覚えたり」とかリコちゃんが遊牧民に抱く「(歌いながら絨毯を織るのは)仕事と遊びを区別しない自由さ」という感想にも違和感がある。
「日本育ち」なら「がんばって覚えた」のはむしろペルシャ語じゃないのかとか、歌と仕事って辛い肉体労働にこそ現れるもんなんじゃないの?とか(織物の場合は違うかもしれないけれど)
母親たちが地の文では名前で呼ばれる。それはアリが「イラン人」ではなく「イラン人である個人」であるように、彼女たちも「母である個人」だからなんだろうな、と思ったけれどそれだとこちらも呼び捨てとさん付けの基準がわからないや。直視点なんだろうか。
絵はいまいち。きれいだけどこの作品には合わない。
やたら広くてでかい縁側や、「見た目はイラン人」じゃないアリ、「一重」じゃない直、日本人もイラン人も紙より真っ白な表紙、誰もが振り向くほど美しいはずなのに美しくないトゥーバさん、「色だけ」じゃない直の絵。
挿絵が文の邪魔をする。
スイカな見返しは素敵。