- Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
- / ISBN・EAN: 9784591178720
作品紹介・あらすじ
行きたい場所へ行き、会いたい人に会い、生きたいように生きる。ぶれない意志をもつ写真家が1枚の写真とともに切りとる、息子のこと、写真のこと、病気のこと、旅行のこと……。新たに書き下ろしエッセイと古賀史健とのロング対談「エッセイでも写真集でもない、あたらしい本の形」を加え、人気連載を書籍化。【本文より抜粋】病院にいく準備をして玄関で靴をはいていると、妻と息子が応援してくれた。たけのこがのびるような感じの手の振りと変な踊りと歌で、足をバタバタさせながら「がんばれっがんばれっ」と応援してくれた。おもわず笑ってしまった。写真をたくさん撮ろうかとおもったけど、こういうものほど目に焼き付けておいたほうがいい。きっとぼくが死にそうなときにみる景色はこれだろう。(「写真には撮らない景色」より)気仙沼でお世話になっている民宿を訪れると、お正月の挨拶のように近所の人が訪れ、みんなで会話をしたあとに海で一緒に黙祷をした。「私たちも笑顔になっちゃいけないって思ってたんだけど、そうじゃなくて明るく生きたいんだよね。」といっていた。現地を訪れないと吸えない空気感がある。いつか妻と息子を連れて行ってあげよう。(「3.11の気仙沼」より抜粋)小学校の入学式の日は雨がしとしと降っていた。息子はすこし残念そうだった。お父さんは雨の日が好きだよといった。息子はぼくが雨好きということを耳のタコがずぶ濡れになるほど聞いている。そろそろウザったく感じているだろう。だけど息子はぼくが雨の日が好きな理由までは知らない。息子が生まれた日が雨だったから、ぼくは雨の日が好きなのだ。いまでも雨の日に一人で車を運転していると、息子が生まれた日のことを思い出す。(「息子が生まれた日から、雨の日が好きになった」より抜粋)【目次抜粋】・治療のこと・写真には撮らない景色・お寿司屋さんへ・料理はおもしろい・大人にならなければ気づかなかった・チョココロネをわけあって・お年玉でお金の教育・3.11の気仙沼・外出自粛の週末・あたらしい日常を生きる・ヘタだけどいい写真を撮ろう・雪の山で撮影していた・息子が生まれた日から、雨の日が好きになったほか、全51本
感想・レビュー・書評
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写真家の幡野広志さんの写真付きエッセイ。幡野さんの本を読むのは4冊目。
病気の方の心理、余命を意識している人が、自分がいなくなった後にも息子にどんなふうに生きてほしいか色々と考えて、日常から丁寧に接している様子、そして、病気とは関係のない旅先での出来事など、色々とカジュアルに書かれています。
文章と関係のある写真が載っているのですが…(大変申し訳ないことに、)
載っている写真の中で一番いいなぁとしげしげ見つめてしまった唯一の写真が、まさかの、著者の小さな息子さんが撮ったものだったんです。自分でもびっくりです。
そして、一番心を鷲掴みにされたのが、巻末の、古賀史健さんとの対談でした。
最近『さみしい夜にはペンを持て』で話題の古賀さんですが、幡野さんの本を読んでいるときの気持ちよさが、松尾芭蕉の『おくのほそ道』を読んでいる時のものに似ていると発言したのです。それがものすごく納得できて、この本の良さが一気に滲み出てきた感じがしました。その話と関連して、一般に、写真集には「ことば」が足りない。「ことば」あると、写真が自由になるという幡野さんの言葉も響きました。
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幡野さんが写真家というのを忘れてしまうぐらいエッセイに引き込まれてしまって、エッセイのあとについてくる写真はおまけ状態。
これを見ているとエッセイも書きたくなりますな、それも散歩中にパチリと写真を撮って、あとからそのことについて書いてみる。
そうすると、歩くスピードも遅くなるし、見る視野も広がりそうです。
「ひとり」「生活」「日常」「ことば」「写真」「エッセイ」「フォトエッセイ」・・近くのものを遠くから、遠くのものを近くに寄ってみようでおます -
タイトルでめちゃくちゃグッと来て一気読みしてしまった。
後書きでも触れられているが、これぞフォトエッセイというか、文章と写真の比率が抜群に良い。
作者がガンに罹患しているという背景情報があるので、言葉の端々に物悲しさを勝手に見出してしまうのだが
こうして思考の文章化がされているというのは、万が一何かがあった時に残された人達の気持ちを癒す一助になるなと思った。
昨年割と仲の良かった友人が若くして亡くなったのだが、やつが普段何を考えていたか、どういうことを思っていたのかを知る術が失われてしまった。もう記憶の中の振る舞いでしか彼を思い出せない(そして、その記憶は悲しいことに徐々に薄れていくだろう)のがなんともやるせない。もしやつが何か文章を残していてくれたら…と読みながら思った。 -
“伝わらないんです、写真だけでは”
写真家の幡野広志さん。先日トークショーにも行ってきて、サインももらえた。
写真って撮るのも見るのも好きだけど、値の設定とか難しいことはわかんなくて。
どこかに出かけても、この観光地の素晴らしい景色は、上手なカメラマンが撮った方がいいから、いいや。って思うことが多い。
じゃ、私にしか撮れない写真ってなんだろう?と考えた時、その瞬間に時間を共有してる誰かの顔や、気配だと思う。でも、人にカメラを向ける勇気はないので、よそを向いてるところだったり、後姿だったりする。幡野さんも「人にカメラを向けられるのはイヤだから、向けないようにしてる」とおっしゃってた。
この本は、短いエッセイと写真がワンセットになっていくつも載っている。こんなことがあってね、それでね、こういう写真を撮ったんだ。というおしゃべりを聞いているみたいで。
雑談してると、いろんな話を思い出して、コロコロと話題が転がっていくことがある。この本を読んでいる間も、そうそう私もさーって何度もいろんな話を思い出した。
私は、読み終わった本の書影は必ず自分で撮影する。iPhoneだけど。読み終わった場所で撮るようにしてる。
実はバーミヤンで読み終われば、帰りにエントランスで撮ったり、電車で読み終わったら、車内で撮ったりもする。
私には、どこでどんな風に読み終わって、どんな気持ちで撮ったのか、写真を見て、自分のキャプションを読むと思い出す。文字だけでは、思い出さないことも、写真は思い出させてくれると思っている。 -
幡野さんの作品は今まで何冊か読んだ。
なぜ読みたくなるのか。
それは、考えがブレない、しかしマイナスなことも伝えてくれて、肩ひじ張った感じじゃない内容と、家族への愛に魅力を感じるからだ。
そして、伝えてくれる内容は芯があるが、ひと通り読むと、誰も傷つけてはいないとこが、読んでいて安心できる。
そして、自分の親や親戚を、公の書籍でここまで伝えてくれる方って、信じられる人だと思った。
今回、幡野さんの写真がたくさん載っていて、じっくりと見た。
おじいちゃんやビルにうつる東京タワーの写真が印象に残った。
おじいちゃんの笑顔、最高。
そして、優くんが自分で入学式に写真を撮れば、周りの人の表情は優くんに向けられたものだということだからってとこが、本当にその通りだ。自然に微笑んでしまうよね。そんなこと思いもしなかったよ。
そして、プロの写真家さんからの言葉で安心したことがある。
わたしは写真を見ても、善し悪しが分からない。もしくは、どれもいい。
そういう目がないと諦めていた。
しかし、幡野さんの言葉から、言葉より写真は伝わらないことを言われると、自分の見方で良いいんだと納得した。
読んだあと、心地よかった。
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おもしろかったです。
疲れた心にすっと入ってきました。
言葉も、写真も。
この、自然体な感じがして、親しみを感じるところが幡野さんのすごいところなのだと思います。
親としての目線に共感する部分が多かったです。わが子と出会ったことで好きになったものは、私にもあって。子どもが眼差しているものを愛おしく感じたりします。
自分の中にあるあたたかな感情、自然なありのままの感情が呼び起こされる感覚があり、安心して読める本でした。 -
今年読了した岸田奈美さんのエッセイで初めて幡野広志さんの存在を知った。
岸田さんの言葉もさることながら、写真家である幡野さんの言葉がとても印象に残ったので本書を手に取る。
2017年に多発性骨髄腫を患っている事を公表された幡野さん。
だが文章に悲壮感はなく、穏やかで時に軽妙な語り口は優しく心に届く。
エッセイと共に掲載されている写真は風景写真もあるけれど、日常のひとコマを切り取ったものには被写体を見つめる幡野さんの温かな眼差しが感じられ、胸が一杯になる。
どうか幸せな時間が長く続きますようにと祈りながら本を閉じた。 -
本のタイトルにある「息子が生まれた日から雨の日が好きになった」の文章がいちばん素敵でした
それと最後の巻末の対談
新しい視点と素直な感性を与えてくれます