夜と霧 新版

  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622039709

感想・レビュー・書評

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  • 『感想』
    〇心理学者でもある著者のナチス強制収容所での体験を、精神面の分析をしながら記されている。

    〇ナチス批判などは一切書かれていない。ただ収容所の現実を淡々と述べている。自分たちがなぜこんな目に遭うのだと思っていただろうに、ただ真実を伝えたいと感じていたのだろうか。

    〇ナチスが悪で被収監者が善というわけではない。被収監者でも自分だけが助かればよいと、ナチスに寄っていった者もいるし、ナチス側にも小さくとも温情を与えてくれる者もいる。

    〇人間の理論上の行動と、極限状態に置かれた場合の行動とが違うことがよくわかる。感情がなくなっていっても、仲間を大事に思えるということは人間という種への希望だ。逆に同じ人間に対してひどいことができることは恐ろしいが。

    〇辛いことをしているときにそのゴールが見えないのはきつい。例えば試験ならばその日を超えれば結果はともかく終えることができる。仕事にしても小さなゴールは設定されて、そこで一息つけることができる。楽しいときにも終わりがある事も、そう考えればもったいないようで大事なことだ。

  • 名著の1977年版にもとづく新訳。

    もともとのタイトルは、「心理学者、強制収容所を体験する」というもので、「夜と霧」という邦訳のタイトルはナチスの占領地域の反ナチ的な人物を強制収容所送りにする政策の名前を踏襲したもの。

    旧訳を読んだときの記憶はあまりないのだが、印象としては、まさに「心理学者、強制収容所を体験する」という感じで、著者の体験を踏まえながらも、客観的、俯瞰的に状況を心理学者として観察して、記録したという感じが伝わってくる。

    こうした状況のなかにおいて、人間性がいかに崩壊していくかということを客観的に記述するとともに、そうした状況にもかかわらず、人間がいかに人間らしくありつづけることができるのかを静かに記述している感じ。

    いわゆる感動というより、じわっとくる感じかな?

    ホロコーストの記録資料というより、フランクルの心理学を裏付ける本という印象が強まった気がする。

    旧訳と新訳の2人の訳者のあとがきがとても興味ぶかい。とくに、池田香代子さんの旧版には「ユダヤ人」という言葉がでていないのだが、今回の原本となった77年版には「ユダヤ人」という言葉がでてきて、ユダヤ人が寛大だったSSの収容所長をかばうエピソードがあらたに紹介されているという。

    これは、イスラエル建国後の情勢を踏まえてのものではないか、被害者が加害者になる状況を危惧してのものではないかという解説はとても深いものを感じた。

    こんなところのにもフランクルの素晴らしさが滲みでているな。

  • 第二次世界大戦中にナチスによる強制収容を体験した著者。専門である精神医学の分野から、強制収容所における人間の心の状態変化を観察し、人間とは?生きる意味とは?を問うた作品。

    読み終えた感想は…言葉にできない感情でとにかく胸がいっぱいになった。

    人間の尊厳をこれまでもかとこき下ろして無下に扱われる、生命がいつ絶たれるか分からない状況下。多くの被収容者が感情を消滅させて内面が死んでいく。家族に会いたいという想いまでも失い、周りが拷問を受けても何も感じない不感無覚状態に陥る中で、ほんのひと握りの被収容者は、むしろ精神性を深めていったという。

    愛する人を想うこと。夕日を美しいと感じること。
    人間の無惨さと同時に、自分自身の覚悟によって人生の尊さを享受することができるという希望に震えた。。

    「わたしたちが生きることからなにかを期待するのではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ。」
    そのなにかを意識することで、私たちは生きることから降りれなくなる。それこそが生きる意味。

    人生って、生きると決めるのは自分自身だけれど、同時に生かされている、という事実に感動しました。

  • これからの人生で、何度この本、言葉に救われていくことになるんだろうか。この本を知っている人生と知っていない人生とでは、生き方の深度が変わる、とすら思う。誇張なく、本気で思う。この本に巡り会え、手にとれたことにまずは感謝をしたい。人間とはどうしてこんなにもむごく、強く、弱く、脆く、そして、尊いのか。一気に読破した。

    強制収容所の過酷な状況下で、この極限状態で、瀕死の状態で、どうして死を選びたくならないのか。どうして生きることを、こんなにも、ここまで、求め続けるのか。現代の生ぬるい生活下で「死にたい」と軽々しく口にする自分。なんと浅はかで、薄っぺらいのだろうか。恥ずかしくて、情けない。

    アウシュビッツ強制収容所。死ぬまでに必ず訪れたい、いや、訪れなければならない場所だ。死にたい、と思ってしまった時や、そう呟く声が聞こえた時。わたしはこの本をもう一度思い出したいし、そんな人へ、この本をおすすめしたい。


    ──私たちが生きることから何かを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることが私たちから何を期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えなければならない。

    ──苦しむこととは、何かを成し遂げることだ

    ──自分の持っている仕事や、愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分がなぜ存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

    ──あなたが経験した事は、この世のどんな力も奪えない

  •  この本の内容がすごいのであるが、翻訳がわかりずらい直訳長であるのが残念
    もう一つの本の方が読み易いかもq

    • yhyby940さん
      確かに翻訳がわかりにくいですね。私は精神的にかなり辛い時期、精神科医の先生に紹介していただき読みました。少し心が軽くなった気がしました。
      確かに翻訳がわかりにくいですね。私は精神的にかなり辛い時期、精神科医の先生に紹介していただき読みました。少し心が軽くなった気がしました。
      2024/03/13
    • 雷竜さん
      コメントありがとうございます。究極の困難の中でも、生きるということを諦めないことがいかに大切か。そのためには絶望しないこと、不満を持たない、...
      コメントありがとうございます。究極の困難の中でも、生きるということを諦めないことがいかに大切か。そのためには絶望しないこと、不満を持たない、腹を立てないこと、自分の限界に挑戦すること。この本は生きる力を与えてくれたような気がします。
      2024/03/13
    • yhyby940さん
      ご返信・フォロー、ありがとうございます。おっしゃる通りですね。この本は絶望の中でも希望を持ち続けることを教えてくれたように思えます。
      ご返信・フォロー、ありがとうございます。おっしゃる通りですね。この本は絶望の中でも希望を持ち続けることを教えてくれたように思えます。
      2024/03/13
  • アウシュヴィッツ強制収容所に収容された心理学者フランクルの体験記である。
    毎日が死と隣り合わせ、食べられない、理不尽な暴力、奴隷の様な毎日、そんな苦しみの中、被収容者が何を希望として生きたのか。何を想って死んでいったのか。
    細かい描写等は描かれておらず、被収容者たちの心理的な面が描かれている。

  • この本の原題は、「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」。『夜と霧』というのは、ヒトラーが政治犯たちを捉え「消し去った」総統令の呼称から取った邦題とのこと。

    ナチスの収容所に入れられた著者が、「体験談」ではなく、心理学者としてのアプローチで、ちょっとした偶然のような違いで生死が分かれる極限の状態にあった、収容された人々の精神状態の動きを考察するもの。収容所に入れられた直後から、先の見えぬ困難を極めた収容所での日々を経て解放されて以降まで、著者自身の精神状態に加え、収容所の中で接したいろいろな人々の言動や心理状態を証左に、生きるとはどういうことか、「まともな人間」であるためにどのような心持ちでいる必要があるのか、著者の考えが示されています。

    ナチスの収容所という、仮に戦争を知っている世代だとしても安易に想像できると言ってはならないような、そんな壮絶な体験をした著者の言葉はとてつもなく重い。

    生きるためには、生きることから何を期待するのかではなく、生きていれば未来にわたしたちを待っているなにかがある、と信じること。それができる人間は、どのような苦難にも耐え、「まともな人間」として生きることができる(生き延びられるかどうかは別として、生き方として)。究極の状態にあっても、自分を見失わないための魂の武器はある、それは芸術であり、ユーモアであり、自然の美しさであり、時に宗教でもある。そして、かけがえのない、愛する人の存在も。

    ガス室を作ったのも人間、祈りを唱えながら苦難に耐え死に向き合い立派に生きたのも人間。収容監視者の中に、被収容者に人間らしく対峙した人がいる一方、被収容者の中にも弱い者を痛めつける卑劣な言動をとった者もいる。すべて決めるのはそれぞれ個人の人間ということ。人間という存在の恐ろしさと希望の両方を示してくれた本でした。

  • 「生きる意味は何か」という問いから「人生が私たちに求めるものは何か」というコペルニクス的転回の意味が少し理解できた気がする
    結局人は生きる意味を自己完結することは不可能だということ
    どんな環境に置かれた時でも、人間の尊厳を保つための選択肢は万人に与えられているということ
    「finis」には終わり、目的の二つの意味があって、終わる見通しがなければ目的を見出すことができない、という部分がすごく印象に残ってる

  • 難しい。
    昔の本だからだろうか。
    活字が活字として、ただ流れていく。
    何度も同じ部分を読み直して、
    ようやく最後のページまで辿り着いた。


    飢餓 寒さ 罵倒 病 ・・・
    様々なものが「被収容者」の生きる力を
    蝕んでいくなかで
    「私が私であるもの」をみつけていく。


    「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」
    夕日や朝日、広がる草原
    自然の美しさに想いを馳せるしかない時も

    「奥さんにも、『底の方から』一杯って言ってしまうね」
    ユーモアを魂の武器にして、状況に打ちひしがれないようにしていた時も

    いつだって「人間」である。
    「苦・死」もふくめて「生」なのだ。





    体験記でも解説書でも専門書でもない。
    人々に潜在する心だった。


  • 勇気をだしてやっと読めた。平時だとどんな心持ちで読んだらよいのかわからず、手に取れなかったけど、ストレスのかかる今だからこそ、読めた本。特別な読書体験になった。つらく厳しい描写が続く中、人間の強さや愛について、など救いもありました。著者のその後が気になるので、他の作品も読んでみます。

    ブログ「新型コロナ自粛期間の読書一覧」
    https://hana-87.jp/2020/06/02/jishuku/

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著者プロフィール

ヴィクトール・E・フランクル[Viktor E. Frankl]はウィーン大学の神経学および精神医学の教授であり,同時に25年間にわたってウィーン市立病院神経科科長を務めた。彼が創始した「ロゴセラピー/実存分析」は,「精神療法の第三ウィーン学派」とも称される。ハーバード大学ならびに,スタンフォード,ダラス,ピッツバーグの各大学で客員教授として教鞭をとり,カリフォルニア州サンディエゴにあるアメリカ合衆国国際大学のロゴセラピー講座のディスティングイッシュト・プロフェッサー(注:Distinguished Professorは,日本語の名誉教授,特別栄誉教授に似ているが,厳密にはそのどちらの概念にも当てはまらない)でもあった。
 フランクルは1905年にウィーンに生まれた。ウィーン大学で医学博士号を取得し,のちに哲学博士号も取得した。第二次世界大戦中は,3年間にわたってアウシュヴィッツ,ダッハウ,その他の強制収容所での生活を経験した。
 フランクルは40年もの間,世界を股にかけて数え切れないほどの講演旅行に出た。ヨーロッパ,北アメリカおよび南アメリカ,アジア,アフリカで二十九もの名誉博士号を与えられている。アメリカ精神医学会のオスカー・フィスター賞,オーストリア学術アカデミーの名誉会員資格などの表彰や名誉資格も多数ある。
 39冊の著作はこれまでに43か国語で出版されている。“…trotzdem Ja zum Leben sagen”(注:邦訳名『夜と霧』)の英語版はミリオンセラーとなり,「アメリカでもっとも人々に影響を与えた十冊の本」に選ばれた。
 ヴィクトール・フランクルは1997年にウィーンで没した。

「2016年 『精神療法における意味の問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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