治りませんように――べてるの家のいま

著者 :
  • みすず書房
4.07
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本棚登録 : 295
感想 : 39
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622075264

作品紹介・あらすじ

精神障害やアルコール依存などを抱える人びとが、北海道浦河の地に共同住居と作業所"べてるの家"を営んで30年。べてるの家のベースにあるのは「苦労を取りもどす」こと-保護され代弁される存在としてしか生きることを許されなかった患者としての生を抜けだして、一人ひとりの悩みを、自らの抱える生きづらさを、苦労を語ることばを取りもどしていくこと。べてるの家を世に知らしめるきっかけとなった『悩む力』から8年、浦河の仲間のなかに身をおき、数かぎりなく重ねられてきた問いかけと答えの中から生まれたドキュメント。

感想・レビュー・書評

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  • 統合失調症を理解するために手に取った。北海道のクリスチャン界では「べてるの家」はわりと有名なのではないかと思う。カトリックのうちの母も知っている。

    患者さんたち(みんな統合失調症)のエピソードの中に、病院で同じ入院患者を刺し殺した人と、殺された人の家族のものがあった。重大な事件ではあるが、みんなそろって教会に集まって故人を偲び、被害者の父親はこのままべてるの家を続けて欲しいと訴える。お互いの苦しみが痛いほどわかるからこそ、責めることなく、必要なのはべてるの家のような居場所であることをみんなで再確認する。人はここまで寛大な気持ちでお互いを助け、守り合うことができるのかと驚いた(そして泣いた)。それは病気をとおして得る人間性なのではないかと思う。

  • 医学部分館2階書架:369.28/SAI:https://opac.lib.kagawa-u.ac.jp/opac/search?barcode=3410163481

  • 「悩む力」の続編です。著者の斎藤道雄さんが10年の年月をかけて「ベてるの家」の人たちのことを「わかろう」と歩いた道のりで、出会った人たちの「ほんとうのこと」が記されています。
     斎藤道雄の二冊の著書を読みながら、ずっと考えていたことがあります。それは一言で言えば、
    ​「ぼくはどんな顔をしてこの本を読み終えればいいのだろう。」という問いです。
     で、この本の最終章を読みながら、ホッとしました。
     ジャーナリスト斎藤道雄自身も、「しあわせにならない」という生き方をする人間たちを前にして、たじろぎながらも、敬意をもって、そして執拗に「わかる」ことに迫ろうとしていたのだと感じたのです。
     「悩む力」にしろ本書にしろ、下手をすればスキャンダラスな見世物記事になりかねないドキュメントなのですが、著者自身の「人間」に対する姿勢が、見ず知らずの人間が手に取り、胸打たれながら読むことを、自然に促す「名著」を作り上げていると思い至ったのでした。
     ブログにあれこれ書いています。よろしければ覗いてみてください。
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202108080000/

  • ふむ

  • 精神障害者施設がべてるの家でのエピソードや理念が書かれている。手厚い就労支援と当事者研究を行うこの施設では、病気を治すことでなく病気と生きることを大切にしている。だからこその苦悩、豊かさを知ることができる1冊。

    自分が病気になったときと同様に、精神障害者は病気を治したいと思っていて当然だと思っていた。しかし、そうではない。病気があるから今のその人や人間関係がある。治る不安もある。治らないという諦めもある。幸せに生きるということの意味を考えさせられる。進歩的でないことがポジティブな意味合いをもつようになる。

    病院の、医者が主役にならない、患者を主役に、という考えもとても良い。べてるの家と病院が同じ方向を目指しているのが誰にとってもメリットだと思う。

  • ふわふわした本。

  • 社会

  • 日本は指揮官の采配やフォーメーションに重きを置きすぎるという指摘は面白い。

  • 極限状態を知りつくしている者の、乾いてひょうひょうとした、人を食ったような、しかし逆説的で鋭利なメッセージは、どれもとても示唆に富んでいる。
    ひとという生き物は、どんなであれひととのつながりによってのみ救われることが、きれいごとでなくすっと腑に落ちる

    <blockquote>P19 以来、べてるの家では幻聴に”さん”をつけ、死ねバカ系の原始的な幻聴にはていねいに対応し、洗練された幻聴に成長するよう育てていこうというメンバーのくふうが重ねられている。

    P19 お客さんというのは、頭の中に浮かぶネガティブな思考全般のことである。

    P45 「前までは薬が重たいとか、身体が動きにくいとか、頭が働かないとか、そういう苦労ばっかりだったんですけど、ここにきたら、陽だまりに移ったら、生活をする苦労に変わって…病気の症状は楽になったんですけど、なんか人間みたいな感じがしてきて、自分が人間ぽくなってきた感じがして、ちょっと人間って大変だぞって部分で、また苦しくなってます。」

    P76 「自分の置かれている状況と自分の病状とをみて、あ、これは健常者として生きて行くのとは、いろんな意味で違うかなって思ったんですよね。なんかこう、生活するためにお金を稼ぐこととか、生活することとか、そういうことを単純に追求しては生きていけない生きづらさを持っているなあって。」お金や仕事を「単純に追求して」いると、つぶれてしまう弱さ、生きづらさを抱えた自分がいる。

    P79 「健常者、いつもリスパダール飲んでるようなもんなんだろうか」健常者はよくも悪くも、自分たちと違っていつもまどろんでいるようなものなのだろうか。(中略)もしそこで、感情をすりつぶして生きているのが健常者といわれる人々であるならば、健常者とはいったい何者なのだろうか。

    P117 わきまえと同時に、爆発の中の「たいせつなもの」がここにおぼろげながら見えて来るのではないだろうか。それは「ひとの評価とか、ひとの目線というものから自立」するということ、言い換えれば、「他人の評価に生きない」ということと深くかかわっている。(中略)
    人の評価に生きない。たいせつなことを大事にする。人のかけがえのなさ、当たり前のことを取り戻していく。それはほかのすべてを越えた「たいせつさ」なのかもしれない。それが受け入れられないところで、爆発は自らを主張しているのかもしれない。

    P145 ”真剣ではあるけれど深刻にはならない”のがべてる流である。

    P192 しかし病気が治ったら毎朝7時に起きて仕事に行かなきゃならない、だから治らないほうがいいという時、その奥底のどこかに、この病気は治らない、自分は健常者の人生を生きることはできないという深いレベルでの悲しみがある。そして同時に、あえて言うならばそこには、なおかつ自分はそのような病気でよかったという安心がほの見えている。

    P196 あなたは生きていてもいいのだというメッセージをうけとめた当事者は、そこで一度は救われたようにみえながら、しかしのがえようもなく、ではどう生きていくのかという問いに直面しなければならない。そして生きていくことの現実にさらされながら、再びバリアーの後ろに戻り、そこからまた現実に戻ろうとする動作を繰り返している。

    P199 分裂病のような病気がよくなるかどうかは、「何よりも平々凡々たる事態、すなわち、私たちのありふれた人間仲間との接触」によってきまるという見方は、今日べてるの人々が言うこととほとんど違和感がない。

    P236 苦労は、この世界とつながるための窓であり、通路であり、方法であるということだった。それもただ過酷な環境でつらい想いをすればいいと言うのではなく、「人間としての苦労」をすること。すなわち人間は人間であるからこそ苦労するのであり、その苦労を経て人間になるのだということ、苦労は自らを高めるためと言うような自己完結的なものではなく、また単なる人生訓にとどまるものでもなく、自分を他者に開くために行われるのだという認識が、そこにはあるのではないだろうか。

    P250 けれどこの不安は、登りゆく人生を目指したころに抱いていた不安に比べて、なんと心安らぐ不安だろうか。深い不安を抱くということが、こんなにも人間を安心させるものだということを、私はべてるの家に出会うまで知らなかった。</blockquote>

  • 苦労の哲学
    ピア・サポートの章が良かった。

    精神障害者への偏見・差別の象徴的な事件が神奈川県相模原市で起こった。
    障害があるから不幸だ、かわいそうだという考え方は現代でも残っている。障害と向き合うこと、考えることが必要だと感じ、この本を手に取った。障害者として生きることと自分の思いを吐き出せる場がべてるの家にはあるのだと思う。


    自己承認は他者との関係性から生まれてくる。自然体でいること相手を認めることー3度の飯よりミーティングーに繋がっている。

    社会福祉、精神保健福祉など分野に精通している・障害になった(本人・周囲)場合がないと障害を理解しがたい面もある。また、余裕のない社会だと他者に寛容であることも難しい。
    メディアではNHK Eテレ「バリバラ」やハートネットTV、民放のドキュメンタリー番組など取り上げられる場が増えてきた。知ることから少しずつ始めていくしかないと感じる。

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著者プロフィール

ジャーナリスト。1947年生まれ。慶應義塾大学卒業後、TBSテレビ報道局の記者、ディレクター、プロデューサー、解説者として取材、番組制作に従事。ワシントン支局時代に、ろう者の世界と出会う。2008年開校時から明晴学園校長を務める。著書に『原爆神話の50年』(中公新書1995年)、『もうひとつの手話』(晶文社1999年)、『悩む力-べてる家の人びと』(みすず書房2002年、第24回講談社ノンフィクション賞受賞)『希望のがん治療』(集英社新書2004年)『治りませんように-べてるの家のいま』(みすず書房2010年)などがある。

「2010年 『きみはきみだ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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