- Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622076391
作品紹介・あらすじ
他者との非暴力的な関係が政治のはじまりだ。ケアの倫理から政治的主体を根底的に覆し、傷つき依存する関係から社会を構想する、フェミニズム理論の到達点。
感想・レビュー・書評
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すべての人は生まれるとき、病んだ時、亡くなる時、必ずケアを必要とする。その声に時に葛藤しながら、母たちは応えることしか、他に選択肢はない。
著者は、自律した個人を想定し、自らの意思で選ぶことができる、という近代国民国家の前提に、公私二元論自体に隠蔽されたものを、明らかにしていく。重厚な論。
前半の政治思想史、リベラリズムの解釈については読み込みすぎかなという気がしないでもないし、読むのに予備知識がないと難解。
でも心を奪われるのは、第二部と第三部。ここだけでも十分伝わる。
「人類の歴史のなかで、わたしたちがまったく想像も及ばない多くの人たちから奪われてきたものこそが人権」で本質的には実定法において規定される権利は、厳格にいえばもはや人権ではない、と。嘆くこと、そこに危険性も同時にはらみながらも、証言の政治を実現する新たな地平が非暴力の中に切り開かれるのではと。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
以前の『法の政治学』も難しかったが,今回もそれ以上に難解だった.でもおそらくそれはデリダ周辺の予備知識がないせい.
内容は著者の集大成といえるものでとても豪華.著者は最近ではすっかりケアの人として引っ張りだことお見受けするが,おそらく本書の影響か.
前半のリベラリズム批判は,以前より著者が論じられてきたものを,さらに磨きがかけられており,読み易くまとまっている.
そして「家族」から問い直していく,すなわちケアの倫理を救い出す作業(途中,ノーマ・フィールドの引用には思わず目頭が熱くなったりした).そして後半で,初めての著書『法の政治学』で取り上げていた従軍慰安婦問題について再び戻っているところなんかに集大成感がある.あらためて,一貫した研究をされていたんだなとも思う.
著者はリベラリズムを批判するにしても,フェミニズムからどのような政治構想が可能だろうか,と自らに課題を課す.
相変わらず問いの立て方がえげつない,というかあえて自らが引き受けたという方が正確か.その課題に本書でどれくらい答えられたか,著者本人もおそらく道半ばと答えると思う.それでも,その核となる部分とその目指す射程(国民国家の外へ)を描くには至っており,引き続き著者のいく先を追わなければならないと思わせる.
頻繁に参照・引用する海外文献が気になるものの,だいたいが未邦訳でつらい. -
大学入試問題として出された書籍として朝日新聞で紹介されていた。早稲田大学に提出された博士論文であるだけあって、結構難解であるので、学部生が読むには難しいのかもしれない。また、バトラーやアーレントの論をもとにして論述している所もあるので、バトラーやアーレントの著書をすでに読んでいることが前提となるかもしれない。
したがって、大学院の修士あるいは博士課程での基本書として読むのが適切に思われる。 -
【電子ブックへのリンク先】
https://kinoden.kinokuniya.co.jp/muroran-it/bookdetail/p/KP00000235/
学外からのアクセス方法は
https://www.lib.muroran-it.ac.jp/searches/searches_eb.html#kinoden
を参照してください。 -
烏兎の庭 第五部 書評 1.31.16
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto05/bunsho/okano.html