「身体」を忘れた日本人 JAPANESE, AND THE LOSS OF PHYSICAL SENSES
- 山と渓谷社 (2015年8月21日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784635640022
作品紹介・あらすじ
豊かな自然と付き合う中で、身体を使って暮らしてきたはずの日本人。解剖学者・養老孟司とナチュラリストのC.W.ニコルが、現代人の自然欠乏による「身体感覚の衰え」を語る。
感想・レビュー・書評
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自然の中で、子どもたちが、五感を使って遊ぶことの大切さを説いていた。ゲームばかりで遊ぶのでは脳の発達によくない。大人も子どもも、身体の感覚を呼び覚ます自然ともっと触れ合おうと呼びかけていた。私も、公園の散歩やガーデニングなどに励んで、自然と触れ合う機会を増やそうと思った。
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タイトルから内容を想像して手に取り、果たして期待した通りの話。でも、2人の年配の男性が、自分たちが子供の頃はこうだった、あの頃はよかったが今は駄目だ、を延々と繰り返しているようにも思えて、本筋では共感しつつも、引いた目でバランスが良くないように思った。
一つ印象に残ったこと。今でこそ、森を守ろう、自然と共生しよう、といってもある程度共感される流れもできてきている。が、高度経済成長まっしぐらの日本で、森を守ろうと1人で国などを相手に闘ってきたニコルさんの日々の壮絶さは、ちょっと想像を超えていると思った。「鬼」と言われた、というのも肯ける。 -
【情報偏重社会と自然】
先日『風を見た少年』を読み、もう少し読んでみたくなりました。今回は養老先生との対談。
黒姫でアファンの森を運営していたニコルさん。
今の日本の状況を否定するのではなく、可能性を信じているからこその愛のある言葉と行動の数々。
2015年に出版された本。当時はSDGsの前のMDGs時代。
今では主流メディアでも話される持続可能な発展、この対話は本質をついているように思った。#海の豊かさ #SDG14 #陸の豊かさ #SDG15 も、全てつながっていることが強調されていると思いました。
例えば、
システムに組み込むこと。
竹を伐採するという行為について、その切った木をどうするかという考え
を明確にせずに行っても持続的ではない、と。
流域で考える。ー「海は7つもありません。1つです。」エチオピアに27歳で行って国立公園の設立に取り組んだニコルさん。ナイル川の水資源の取り合いに触れる。
子どもと教育についても。
公園にはコンセントがないから遊べない、という子ども。
「子どもから自然を取り上げると世界が半分になる」と。
感覚と意識。秩序と変化。
感覚は違いを識別するもの。意識は同じにする能力。
視覚・聴覚を共に理解するため、目と耳が折り合う、ために、意識が作り出した時間と空間という概念。
意識は変化しないものしか扱わない。今の時代の人は、変化していくものを扱うことが下手、という。身体感覚がおろそかにされている生き方なのだろうと思う。
人間は状況の産物。
成功体験が邪魔になる。
同じ自分にこだわらない。
対談を読んでいると抽象的なこともとても自然に入ってきて、とても興味深く勉強になりました。 -
昆虫を追って暮らす解剖学者と、黒姫の自然と共に生きる作家。現代の日本人が失ってしまった「身体感覚」の大切さを語る。
そもそも人間は体内にだって無数の細菌を飼っていて共存しているように、常に自然環境や他の生物と密接に生きているはずであるのに、そのつながりを否定してしまう「都会」という生活環境が、さまざまな問題を生んでいる。もちろんそのくらしは快適で、人間は危険や苦しみを避けてここに至ったのも事実なんだけれど、行き過ぎた都市化はやはり問題を生じている。
養老先生が提唱しているように「参勤交代」〜都市と田舎を強制的に行き来させるような施策も、意外に面白いのかも知れない。私自身、田舎暮らしにはおおいに興味を持っているのだけれども…。 -
帯表
都会の人は、弱い
帯裏
文明社会は、気温も明るさも一定で、風も吹かないという環境をつくりたがります。それが必要なときもあるけれど、そういう環境では感覚があまり働かない。だから、自然の中で、温度も変わるし、太陽も動くという環境で、五感を鍛えたほうがいいと思うんです。
-養老孟司
(第五章「聞くこと、話すこと」より)
私は、50年前の日本の自然を見て、素晴らしいと思ったから日本に住み着いた。もし、いま日本に来たら、日本人にはならなかったでしょう。日本はずいぶん変わってしまった。
-C・W ニコル
(第七章「これからの日本のこと」より) -
東日本大震災でせっかく津波から助かったのに、そのあと低体温症で亡くなった子どもとお年寄りが多かったという。それは火をおこせなかったから。燃やすものはたくさんあったはずなのに、海水に濡れたから燃やせないって思い込んでいたから
(CWニコル P76-77)
危機にあって必要なのは知識よりも知恵。ときに単なる知識は思い込みを生み、非常時には役に立たないばかりか、かえって命を危険に晒すことにもなる。知識は体験(=身体的経験)を重ねて知恵となる。人間は火の使用をもって他の動物と区別されるというが、火おこしの知恵を失った現代人は原始の祖先より進化したといえるのか?。。。俺も含めて、なんかヤバイな。。。そんなことを思った。 -
2021-3-21 amazo 575-
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人は生き物と共存している。
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極地での経験と自然に向き合ってきたニコルさんと、
戦争前後の日本人とその環境の変化を肌で感じるの養老さんが、
戦後日本の自然環境を経験ととも懐古しつつ、現代人への提言を述べる本。
1+1=2が納得できない人へ。
身体を回復するというのは、違いを感じ取る感覚を取り戻すところから。
ヒト同士、都会の中のルール。存在と言葉を同じものと捉え、概念的に組み合わせ処理していく。
身体的、あるいは精神的にも本来の動物として感覚は、ずっと変わらない脳と身体に依然残っている。
養老孟司さんの、人の特徴的な力の一つは、同じにする力を持っているというのは非常に頷ける。
在るものは、全ては違うのに、同じだと考えてしまう。これが行き過ぎると、周囲がすべて数値化できたり、同じもののように感じてくる。