- Amazon.co.jp ・本 (277ページ)
- / ISBN・EAN: 9784642052290
作品紹介・あらすじ
平安時代中期の天皇。外戚である藤原氏の摂政・関白、とくに道長と協調して政務や儀式を統括し、王権と摂関家の安定を築く。漢詩や和歌、笛に優れ、王朝文化を開花させる一方、定子や彰子などの后を寵愛し、理想的天皇像の原型となった。古記録や文学作品を丹念に読み解いて、31年の短い生涯を辿り、「英主」一条天皇の新たな実像に鋭く迫る。
感想・レビュー・書評
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2024大河への助走⑤
時代考証の先生の著書
自分が知ってる "平安時代" ってほとんど一条朝の時代なのでは?と思うくらいなのに、たった30年強だったのは驚きだった。それだけ人材に富んでいて濃い時代だったんだろうな。
いろんな史料から引用してくれていてよかった。説話から見るってのもおもしろい。信頼度は低いけどこういう解釈ができる、って言ってくれるので安心して読めた気がする。
閨関連の事象についてはオブラートに包もうとして却ってちょっと気持ち悪い表現になっている感があった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
藤原氏サイドからえがかれがちな摂関期を、天皇のがわから、きちんと資料を使って描いた労作と言えます。
見出しのところに西暦何年のことか、書いていただけると助かるのですが。わざわざページをめくって、これが何年のことかと確認するのが面倒ですので。
気づき;
☆大変ご苦労の多い人生で……。同情に堪えません(苦笑)。花山帝とか三条帝のほうが、人間としてはフツーなのではないかなといつも思っています。
☆道長とは子供のころからの長いつきあいであったようですが。彰子に二人目の皇子が生まれると、すぐに一条帝を譲位させようと画策する道長の姿には慄然としてしまいます。
「一条→三条と、理屈をつけては譲位させる長い道のり」と、「一条帝とある程度うまくやりながら、三条はパスして直に後一条を位につける」のと、どっちがうまいやりかただったのかなあと考えてしまいます。
幼帝のほうが都合がいいのかな。でも道長という人はなんだかんだ周囲のことも考えてそれほど乱暴な政治判断はしないタイプのように思えますので、後者でもよかったような気もしますが。
☆藤原顕光について。この本によると一条帝はわりと元子さん(顕光女)のことが気に入っていたらしいです。
顕光さんは、無能というレッテルが貼られていますが、それは実資によってぼろくそにいわれているからだと思われます。
敦明親王の妻延子さんもそうですが、娘さん達は愛される優しい女性に育っているのではないでしょうか。
二人ともあまりよい末路を迎えてないぽいのは残念なことですけども。
☆最期のシーン、行成が漿(飲み物)を供すると、一条は「もっともうれし」と仰せた。
一条はさらに行成をそば近く召し寄せ、「此れは生くるか」(自分は生きているのだろうか)と語っている。(権記)。これが一条の最後の言葉となった。
p220
この言葉には胸をうたれます。 -
この時代の歴史の一般向けの本を読んでいつももやもやするのは、歴史書なのに、大鏡や栄花物語といった物語が引かれるところ。この本では、基本的にこれら歴史物語を、史実の叙述から排しているので、非常にすっきりした。一方、(網羅的に残存していないためもあろうが)断片的に引かれることの多い同時代の古記録を、基本的・公的な史料と併せて、一条天皇の生涯を通して系統的に叙述に利用していて、周辺人物の個性に比べ若干無個性で受身な人物像しか提示しにくい一条をかなり立体的に浮かび上がらせている。
個別にもやもやしていたことがわかったような気になったりもした。
敦康の立太子については、歴史の後知恵では、そりゃもう目がなかったのでは…となんとなく思っていたが、一条が最後の最後まで粘っていたことや、当時は直系相続というより、兄弟間ないし迭立によりジグザグ相続が普通だったことを考えると、結構可能性があったんだなあ、彰子もそれを望んでいたというのもホントなのかもなあ(後年の行動を思うと、ちょっと信じられなかったのだが、敦康をはさんでも自分が産んだ皇子を帝位につけることの障害には必ずしもならないと思っても自然。もちろん当時の若さもある)、と思えた。
なんとなく天皇の元服は11歳くらい、と思っていたのだが、それは一条が最初で、それまでは15歳くらいが多かったこと、11歳くらいで元服して添臥がついてもすぐに性体験をしたわけではないのではないか、という示唆も、具体的な第一子誕生時の年齢を示されて、そうかあ・・・と思った。
少なくとも摂関期の天皇は、どのキサキ等と寝るかを、単なる自分の好みで決めたわけではないことも非常に納得だが、その中で、そのへんもマジメそうな一条が、(定子だけでなく)元子に相当執着していたのも興味深い。父の顕光がもうちょっと有能で、元子の最初のお産(?)のトラブルがなければ、(頼定との間には子供産んでいるんだから)歴史は変わっていたかもしれない。
ただ、子供が生まれていないことを、生まれる「可能性」がなかったのではないかと推測していることが多すぎるような気がした。やってもできないこともあるじゃん… 特に円融天皇が、「最初の皇子の母親として、遵子ではなく詮子を選んだ」(p.2)というのは、どうなんだろう… その後の円融と詮子の関係(里居を続けた=2人目以降の皇子の誕生の可能性を失くす)や、特に、子のない遵子を敢えて中宮にしたことなど考えると、別に遵子を排したわけではなく、遵子(頼忠)か詮子(兼家)のどちらかから皇子と思っていたが結果的にできたのは詮子のほうだった、くらいなのではないか。
それにしても、中関白家は公家社会で嫌われてたんだね。兼家・道隆の強引なやりようによって、すでに反感があったところに、彼らの早い死、伊周らの軽挙があって決定的になったんだろうが、特に、高階氏との関係が大きな要素だろう(高階一族の濃いい個性以前に、藤原氏でも王族でもない姻戚との密接な関係を藤原氏をメインとする公家社会が毛嫌いしたんだと思う。)ということを考えると、道隆と貴子は恋愛結婚だったんだろーなーと思うんだが、高階氏の女を正妻として遇すことを兼家がよく許したもんだと不思議に思う。自らを恃むところの大きい兼家には、それくらいどってことないと思えたのだろうか? -
私が認識していた一条天皇は、権力闘争の渦中から逃れることはできず、愛した女性は先に逝き、遺された子を守り切ることも難しく、それでも次代を継ぐ皇子たちをもうけ、ちょっとメンタルが心配になってしまうお方。
知っていた以上に病に悩まれていたんですね。 -
手元に置いておきたい一冊。さすが倉本さん!
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藤原摂関家を語る上で只の御輿のように表現されることも多い一条天皇について書かれた本。なかなか気骨ある帝であったことが分かる。
他説の引用には必ず出典が書いてあるので見やすく興味もそそる。吉川弘文館の本はそういう点で総じて読みやすい。 -
この手の本にしては非常に読みやすい文章を書かれるので、一条朝の入門書としては最適でした。