稲の大東亜共栄圏: 帝国日本の〈緑の革命〉 (歴史文化ライブラリー 352)
- 吉川弘文館 (2012年8月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784642057523
作品紹介・あらすじ
稲の品種改良を行ない、植民地での増産を推進した「帝国」日本。台湾・朝鮮などでの農学者の軌跡から、コメの新品種による植民地支配の実態を解明。現代の多国籍バイオ企業にも根づく生態学的帝国主義の歴史を、いま繙く。
感想・レビュー・書評
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歴史の審判というか、歴史における評価は厳しいと感じた。
稲の品種改良ということは、学校の社会科で(確か〈農林一号〉のことは)習った記憶がある。東北の飢饉被害を起こさないようにするため、冷害に強い稲の品種改良をするということは、単純に良いことと思っていた。
しかし、問題はそれほど単純ではなく、稲の品種改良が現場農民に与える影響、さらに朝鮮、満州、台湾等における植民地支配の経済的意味での尖兵的役割を果たしていたこと、改良品種の多くは大量の肥料の施肥があって初めて増産が可能な肥料依存性の高いものであったこと、などを本書を通して初めて知ることができた。
グローバリズムの進展の下、低開発国では商品作物の栽培、モノカルチャー化を余儀なくされているという話題は聞いていたが、その萌芽が戦前の日本に既にあったということを、著者は明らかにする。
収量の多い品種=優良品種と取られやすいが、水利施設の整備と肥料の増投ができる場合にしか効果を発揮せず、条件の悪いところでは、伝統品種の方が良好な成績であった。これは何を意味するのだろう。技術の発展が無条件に進歩とは言えない、現在であれば、はっきりと見えてきたことである。
本書では、品種改良に仕事人生をかけた技術者が相当数紹介されている。顕彰された者、現地からも評価された者もいれば、半ば挫折した者もいる。永井荷風の弟の永井威三郎が、朝鮮総督府農事試験場で品種改良事業に取り組んでいたなども、新たに知ることができた。
一見中立的に見える技術が植民地統治にいかに関わりがあったのか、新たな見方を教えられた。
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[評価]
★★★☆☆ 星3つ
[感想]
なんというか著者は品種改良や遺伝子組み換えという事に対し、否定的なのかなと感じる内容だった。
当事者達からすれば品種改良で多収化、耐病化、耐冷化を望むことは食料を確保することを優先したいと思うだろうし、当時は何かしらの形で国家に奉仕することは最も重要だったのだろうと感じた。
一方で「緑の革命」で行われた農業指導というものが現地の従来の農法を破壊し、結果的には先進国の肥料や農薬に依存することに繋がっているというのは新たな観点だったな。 -
タイトルだけでは大日本帝国はアジアに対して侵略と搾取だけでなく、現地の民生を向上することもしたというスタンスの書籍かと思ってしまった。そうではなく、帝国主義への批判精神を持っている。改良や改善が帝国主義になる。
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612.2||Fu
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地域史
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稲の品種改良によって植民地での増産を目指した大日本帝国。朝鮮や満州、台湾における農学者の事績を丹念に追いつつ、「生態学的帝国主義」の実態をあぶり出した本書は、現代のバイオテクノロジーによる多国籍企業支配を考える上でも示唆に富んでいる。
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近年技術革新が目覚ましい遺伝子組み換え産業。だがそれと並行して種子の市場での多国籍大企業による市場独占も進んでいる。遺伝子組み換えに伴う諸問題は、これまでの品種改良の問題と切り離せないことを著者は説得的に論じている。食物連鎖を支配することは、人を支配することでもある。『ナチス・ドイツの有機農業』の著者が、20世紀初頭の日本の植民地政策と稲の品種改良の歴史との関係に鋭く切り込んだ好著。
(選定年度:2016~)