- Amazon.co.jp ・本 (579ページ)
- / ISBN・EAN: 9784753102242
感想・レビュー・書評
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(20090407〜20090429読了)
・「個々の国家が同等な存在体として法的にみなされうる」(ハンス・ケルゼン)→「不偏的な世界国家」→「共同体」→「国際連合」P18
・規律社会から管理社会への行こうを認識する事が可能になった(ミシェル・フーコー)。P39
・国家組織、軍事介入は合衆国によって一方的に指揮される同盟国に対して<帝国>の目下の敵を武力によって封じ込めるプロセスを指導するよう要請。
・マルクス「資本主義はそれ以前の社会形態や生産様式よりもましである」と同じで、<帝国>はそれ以前の権力構造よりもましである。P66
・参考、ジャンボタン「国家論」1576年。君主とマルチチュードの統一や公と私の統一によって主権を生み出す事は不可能であり、また契約論的な枠組みや自然法的な枠組みに固執している限りは主権の問題を解決する事は不可能。P135
・サルトル、「全ての被抑圧者を同じ闘いの中に結びつける最終的な統一は植民地においては、この分離なしには否定の契機と私が名づけるものによって先立たれねばならない。この人種主義に反対する人種主義こそ、人種的差異の撤廃への通じる唯一の道」P139
・グローバリゼーションの暗い側面は感染への恐怖。P182
・「原理主義」という用語は今日のメディアにおいてしばしばその名で通っている社会的消費編成の多様性を切り詰め、もっぱらイスラーム原理主義に言及している。P194
・「全世界を探し回り地球の隅々から生産手段を調達し、あらゆる文化段階と社会形態からこれを奪い取り獲得する。資本が実現された余剰価値を生産的に使用するためには、その生産手段を量的にも質的にも無限に選択できるようにますます不変に全地球を自由にいうる事が必要」P195
・<帝国>の経済=組織は腐敗を通して機能する。P263
・レーニン、帝国主義を政治的な概念として批判している。P303
・マルクス、国民国家は個々独特の方法で限界を画する組織体にほかならない。P308
・アリギ、アメリカは資本主義的蓄積の次の長い同期を導く為にXXを日本に手渡した『周期論』。
・世界の指導者達が、グローバルな経済的、政治的秩序の確立においてニューディール政策が担う役割とそれが発揮する力を認識し始めていた。P324
・世界市場の統一化へと向かう傾向がもたらしたもう一つの重大な帰結として、グローバルなプロレタリアートの大部分がその移動性を増大させるようになった。P329
・プロレタリアートは資本が将来その採用を強いられることになるような社会的、生産的形態を現に創出している。P348
・中世以降の経済的パラダイムの継続。P363
?農業および原材料の搾取が経済を支配
?工業および耐久消費財の製造が特権的な地位
?サービスの提供および情報の操作が経済的な生産の中心
・脱中心化、非−階層的で非−中心的なネットワーク構造。P385
・マルクスとユンゲルス「資本家の利害を規制する失効期間としての国家」P390
・巨大なコミュニケーション企業が差し出す情報の根本的な内容といえば恐怖!!貧困に対する休みなき恐怖。未来に体汁不安が貧困者同士の仕事獲得競争を強いる。<帝国>のプロレタリアートの紛争を維持。P428
・価値や正義は計測不可能な世界に生息し、その世界で育まれる人間存在による絶えざる発明と創造のみが勝ちを規定する。P446
・一般的知性は蓄積された知、技術、ノウハウによて創造された集団的、社会的知性。P455
・統治の最も協力ア思想家たちでさえも、この弁証法と危機からうまく脱出できなかったおうに思われる。P470
・ヨーロッパの知識人たちのアメリカへの逃走は失われた場所を再発見する試みだった。P473
・腐敗を認識する能力はデカルトの言葉を用いれば「この世で最も公平に分配されている能力」。P484
・マルチチュードの目的論はテクノロジーや生産を自分自身の喜びや自分自身の力の増大に向けて方向づける可能性のうち。P492
・自分自身の移動を管理するという一般的権利はグローバルな市民権へのマルチチュードの本源的な要求である。P492
巨大組織の仕組みや危険性、今までのの歴史を振り返りながらその危険性も含めて詳細に観察している著書だと思います。内容量が多いので詳細に理解する為に再読が必要。
大変読み応えのある本です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
一回、挫折。
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前々から話題になっていて、気になっていたのだけど、とうとう読んだ。ちょっとずつ読んで、1ヶ月以上読むのにかかってしまったが。しかし、時間がかかったにせよ、意味がわからなすぎる。よくこんなの読んで、議論できる人がいるなーと感心するしかない。
おもしろかった点。
(1)現在の<帝国>は、規律的権力ではなく生権力であるということ。いろいろ出てくるけど、p433あたりにもはっきり書いてある。
(2)「ローカル」の弊害。グローバル対ローカルという二項対立への批判。ローカルもまた、生産されるものであり、「疑問の余地のないものであるといった前提」は間違っているとする。アンチはその対象を強化こそすれ、乗り越えることはできないという発想は重要だと思う(p67あたり)。ニ分法への拒否は p191あたりも参考になる。
(3)他者とは所与のものではなく、生産されたものとするところ(p169)。まあこのへんは、別にこの本のオリジナルではないかもしれないが。
(4)「人民」概念は、他者やその外部との関係において構築される固定的概念であること。「人民」という言葉は僕らも安易に使ってしまうけれど、その多元性の消去と平板さにはつねに注意しなければならないだろう(p253あたり)。
(5)循環史観への批判。「あらゆる循環論は、さまざまの意図と抵抗、敗北と勝利、人びとの喜びと苦しみを支配する客観的な法則を押しつけながら、歴史は人間の行動の産物にならないという事実をあざ笑う」「あるいはもっと悪質なことに、そうした理論は、循環的構造のリズムに合わせて人びとの行動を踊らせようとする」(p310)。その通りだと思う。だいたい「歴史は繰り返す」って誰が言い出したことなんだろう??
しかし、こういうこと思うのも、ある人から見たら唯物史観なのかな。僕は自分自身左翼だとは全く思っていないのだけど。
まあ、ぱっと思いつくのはこんなところか。しかし、最後のほうで強く主張されるマルチチュードの強さみたいなものは、この本が書かれてから7年立つけどほんとに育っているのだろうか?という気もする。ヨーロッパではそうなのかなあ。日本でその実践は、どのように考えられるべきなんだろうか・・・というか、「日本で」と考えている時点で、すでに間違っているのかもしれないが。 -
2007/05/18 購入
2007/07/16 読了
2014/12/11 移動 -
大学生のとき、なんか現代思想熱に駆られて購入した。発売を心待ちにしていた記憶もある。
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2006/05/09