- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784791760619
作品紹介・あらすじ
人間は起源を忘れて彷徨する影だ-。忘れられた歴史への洞察と物語の断片を結晶化させ、世界への祈りへと到達する、畏怖すべき思考の軌跡。仏読書界に衝撃を与えたゴンクール賞受賞作品。
感想・レビュー・書評
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原書は2002年出版。背後に、ニューヨーク同時多発テロの衝撃がしずかに反響している。だからか、死の影が漂っている。
また、以後展開されていくことになる「最後の王国」シリーズの第1巻でもある。このタイトルは、バロックの作曲家の曲名に由来するらしい。
詩とも、小説とも、アフォリズム集ともつかない、この本書のおさまりの悪さ。不穏さ。定義できなさ。
谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」、和泉式部、古代中国や仏教などについての言及が多く、東洋へのエキゾティスムが鼻につくなと思いながら読んでいたが、どうも違うような気もしてきた。同じくらい、ヨーロッパがヨーロッパになる前についての言及もあるからだ。
どうも著者は、遡ること=革新だと考えているらしい。
また、著者自身音楽家であるから、イメージ(見えるもの)、言語(象徴)、音楽(見えないもの)、をめぐる議論がおもしろい。きっと、ラカンの影響を受けているのだろう。エゴというのがいかにちっぽけなものであるかを強調している。著者はじっさいに家族とも別れて隠遁生活に入ってしまうわけだけれど、本書にもその願望は充溢している。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
訳註を読むとキニャールはどうやら中国語ができるらしい、それも古典を訳せるだけの。ところどころオオエ(大江匡房?)とか、日本の古典に通暁しているところも匂わせる。彼のアフォリズム的行間に漂う切なさは、東洋由来の香辛料のようなものかもしれない。
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怒りや悲しみが沸点を超え誰かにぶちまけ発散していた時期から、行き場のない感情を内に秘め蓄積させ、書物の中に閉じこもり凌ぐようになったのはいつの頃からだったか。それは息苦しいけれど尊い行為だ。その尊さを実感するに充分すぎる読書だった。影に追いすがり影を纏いながら切り傷といくつもの痣を拵え「それがいまのわたし」と言い切ろう。痛みは常に過去に起因する。逃げようもない。なんと私は影をさまようこの湿った書物に励まされたのだ。大声で叫びあげるシュプレヒコールなど表層にすぎない。影に震える不可視の空間に真のの反骨を見出す。