- Amazon.co.jp ・本 (28ページ)
- / ISBN・EAN: 9784834012316
感想・レビュー・書評
-
子どもの世界が生き生きと描かれて、読む度に友達と日が暮れるまで原っぱを駆け回っていた頃を思い出します。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
UniLeaf では、この絵本に透明点字シートを挟み込んで製本した、ユニバーサル絵本を貸し出ししています。
状況が「読みたい」になっている本はお貸しできます。
「いま読んでいる」になっている本は貸出中ですが、ご予約いただけます。
コメント欄に「貸出希望」と書いてください。
(送り先の住所などはここに書かないでください。) -
なかがわりえこさん、ぐりとぐら以外でも、けっこう楽しい本あるね。この本も、けっこう好きだな。
-
日帰り入院した病院のキッズスペースにあり。
術後ぼんやりしていたせいか6歳児の反応はイマイチ。そりゃそうだ。自分が手持無沙汰だったので読んだのだった。
漁夫の利、という言葉が浮かんだのだった。 -
ジブリ美術館で映像化されていると「本へのとびら」で読んで、理由を知りたくなった。まだ読んでいなかったし。
最初、確かに読み物としてはテンポも良くて感覚的には面白いんだけど、ロジック的には正直何なのかよくわからなかった。ストーリーも絵も、ギミック的にはすごく単純。思うのは、ページの密度が等間隔な絵本って、完成度が高いと思う。
整理していくと、利害の一致しない他者との出会って小さな社会が発生するプロセスと、成長過程にある個の生理「ゆうじ」という実現を目指す自己、何事かを為そうとしている能動的な存在が揺れている。
ギックはうさぎの子どもであって人の子どもではないことも、メタファーになっている。だから、その振る舞いはうさぎの子どもとして完成された印象を与える。うさぎの子どもはこんな感じだろうなって思う。それは条件が投与され、反応、対応している存在でしかない。ある意味、自然物。
故に後半登場するギックのおばあさんは、完全に中立の立場として読み手は納得できる。未成熟な能動性と完成された対応の存在が対比されること、その力関係が拮抗した状態にあることのメッセージは何だろう。
魔法のつえという思い込みの共有、不完全な中立であり、かつ上位の立場の者がその魔法の利を受容し、それを運ぶ者たちは自己の内部と関係性のバランスを同時に得るという安息は、日本人的な神と自然と人間の力関係に似ていて、仮想の競い合いという儀式的な振る舞いを通過して、目に見えない平穏を共有するという古人の知恵を絵本化しているとも言えるんじゃないか。
そのあたりに宮崎駿の言う文化があって、だからこの絵本が映像化されたんじゃないかという気がする。 -
子どもらしい元気な張り合いが楽しい。
-
テンポよく、先が気になる内容でした。
-
ぐりとぐらでおなじみのなかがわりえこさんとおおむらゆりこさんの作品。絵がとってもかわいいです。
-
資料ID:W0142569
請求記号: E||91||Ta
配架場所: 本館2F絵本架 -
ゆうじが原っぱに宝探しごっこに行くと、ちょうど魔法の杖のような棒を発見する。
いいものを見つけた、と拾おうとすると、うさぎのギックも同時に見つけていて、どちらも自分が先に見つけた、と譲らない。
どちらのものか、勝負をして決めようとするが…。
かけっこ、相撲、幅跳び。
全く互角で決着が付かない。
そこでギックはおばあさんにいいアイディアを出してもらおうと、2人してギックのおばあさんの家に行く。
おばあさんは、かけっこ、相撲、幅跳びで勝負をしてみてはと言うが、それえは勝負が決まらなかったことを言うと、今度は宝探しで勝負してみては、と言う。
2人とのあの棒こそが宝になる、と取りに行くがやっぱり同時で一緒におばあさんの元へ戻る。
杖にちょうどいい棒を見たおばあさんは棒を受け取り、足取りも軽く家の周りを歩いてみる。
こんなに歩きやすい棒は今までになかった、どちらが一番なんてことはないと言うおばあさん。
2人はおばあさんがこんなに喜ぶなら、ともう棒がほしくなくなったのだった。
そうして3人はおばあさんの家でおいしいお茶とお菓子を食べたのだった。
読んでいる最中、あの棒はおばあさんの落し物かと思ったけれど、そうではなかった。
何で勝負しても同着の2人。
いいコンビだ。