- Amazon.co.jp ・本 (395ページ)
- / ISBN・EAN: 9784840100090
作品紹介・あらすじ
何ひとつ、嘘はない。虚構に真実を求めて闘い続けた、壮絶で清潔な役作りの記録。黒沢明氏、伊丹十三氏など、多彩な交友録も含めて書き下ろす、現代演劇人必読の俳優論。
感想・レビュー・書評
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新国立劇場のこけら落としとして上演された「 リア王 」の役作りのために記録された俳優山崎努さんの日記を書籍化したもの
日記は、稽古開始の4ヶ月前の1997年7月14日から始まり、翌年1月17日から18日間の公演の日も欠かさず、千秋楽の2月3日まで書かれている
当時、山崎さんは60歳、押しも押されぬベテランの俳優が原作の読み込みや、ミーティング、稽古風景と、振り返り等々
こんな風に身を削るようにして、役作りをし、準備をされるのかと、正直驚いた
☆ 40年も俳優業をやっているのだから、笑わせたり泣かせたりすることはもう十分に出来るはずだ
肝心なことは、何のために演技をするかなのだ
演技すること、芝居を作ることは、自分を知るための探検の旅をすることだと思う
勇気を持って危険な冒険の旅に出て行かなくてはならない
手に入れた獲物はすぐに腐る。習得した表現術はどんどん捨てていくこと
☆ まず、戯曲を隅々まで理解すること。一行たりとも分からない箇所があってはならない
全体が分からなければ、自分の役がどのような役割を課せられているかも分からないはずなのだ
☆ 演技をひけらかしてはならない。登場人物が、俳優という生身の肉体を与えられ、舞台の上で生き生きと存在すること、それが芝居の生命なのだ。俳優は登場人物の中に溶け込み、消えなければならない
☆ 我々はこの十日間の本読みで各々いくばくかの手がかりを発見したはずである。すると、声の調子や感情の流れなど、うまくいったところをなぞろうとしてしまう
しかし、これは間違いなのだ
手がかりに固執した瞬間に、なぞった瞬間に、生き生きと、今
そこで息づいている役の人物が、役を説明しようとしている俳優の姿に変わってしまう
余すところなく語られる山崎努の演劇論、演技論は、揺らぐことがない
しかし、その反面、
公演が始まり、娘が観に来て上がってしまう。娘にはいい所を見せたいという気持ちがあるのだ。情けない。これまで上がったことなどなかったのに
この公演最大のとちり、7行もとばしてしまい、舞台上がフリーズ
うなり声を上げながら、さてどうしたものかと言葉を探す
公演中、持病?の癇癪を起こし、翌日相手の楽屋へ謝罪に行った
などという人間らしい一面も伺える
著者が、ちくま文庫・松岡和子訳「リア王 」を併読されると有難いとおっしゃっているが、その通りだと思う
はるか昔、誰の翻訳本か忘れたが、「 リア王 」を読んだことがあるが、こんな深い読み取りは、全くしていない
こんな風にして作り上げられた、実際の舞台を観てみたかった
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一九九八年一月に新国立劇場こけら落としとして行われた舞台、「リア王」の、稽古開始四ヶ月半前から楽日までの日記。演劇論、演技論として読むのだろうけど、的確でわかりやすい文章、精妙な着眼、経験を経た考察が、もっと広汎なノートとして読める。
俳優というのは不思議な仕事だ。脚本を一字一句徹底して読み込む。演出家が演出する。一人一人の俳優が演技プランをたてる。反応する。あわせる。仕掛ける。無視する。入念な、凄まじい意思の力で、役を作っていく。その結果、俳優は消え、舞台にある人物が生まれる。
自意識を手放すプロの記録。 -
リアについて。
道化とコーディリアはコインの裏表だった。