トランスクリティーク ― カントとマルクス

著者 :
  • 批評空間
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  • Amazon.co.jp ・本 (452ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784860410018

感想・レビュー・書評

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  • 久しぶりに柄谷さんの新著「力と交換様式」を読んだら、なんか大味な感じがして、どうしてこうなったのだろうと不思議に思い、これを読んでみた。

    1998〜99年に雑誌に掲載されたものに大幅な加筆修正をして、2001年に出版されたもの。

    あと書きを読むと、この本は柄谷さんにとって「特別な著作」で、分厚いし、「40年前から考えてきた諸問題に決着をつけることができた」とのこと。さらに「どうしても見出しえなかった積極的な展望を見出すことができた」とのこと。

    そうか〜、2000年以降の柄谷さんを理解するためには、これを読まなければならなかったのだな〜、と納得。

    これ以前も、結構、柄谷さんはカントやマルクスを論じてきていたわけだが、ここでこの2つが一体のものに組み合わさっている。

    とくにマルクスの読解はとてもスリリングなものであった。いわゆるマルクス主義的な理解で、マルクスを読んでも、とくに「資本論」や「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」を読んでもなんだか分からない、ここには何か違うものがある気がするが、なにが違う分からない感覚があったのですが、そのあたりの違和感がかなり解消された気がする。

    そして、マルクスやカントを、ヘーゲル、フロイト、フッサール、ウィトゲンシュタイン、レヴィ・ストロース、デリダ、ドゥルーズ、などなどとの関係付けながら、説明してくれて、さらにはアダム・スミスやリカードの経済学との違い、さらにはルカーチやグラムシ、アルチュセール、フランクフルト学派、ウォーラステイン、日本のマルクス学者などなどとの関係も整理してくれる。そして、アーレントのカント解釈との関係もなるほどであった。

    難しい内容ではあったが、これまでのいわゆるマルクス主義の解釈を退け、本当にマルクスの「可能性の中心」を見つけ出していると思った。

    柄谷さんによると、ソ連崩壊後、資本主義が勝利したかにみえるなかで、ポストモダーン思想が共産主義との対立構造のなかで、存在していたという認識がでてきたようで、柄谷さんが、90年代以降、いわゆるポストモダーンなところから、左翼的な知識人的なスタンスに印象が変わったことの説明にもなっている。

    つまり、マルクスのテキストをしっかりと読めば、マルクスの言っていることと現実の共産主義は全く違うものであるということ。

    そして、マルクスがもともと言っていたことは、後のマルクス研究者を含め、その批判者・批判的継承者よりも、深いところがあり、そこから今日の社会に対しての有効な示唆があるということ。

    内容的に細かいところを整理するほどまだ理解が進んでいないのだが、この本で示唆される「積極的な展望」の部分が展開したのが、「世界史の構造」(まだ読んでないけど)そして「力と交換様式」だったんだろうな〜。

    この本で示されるカントやマルクスの読解、批評性には、とても共感するのだが、「積極的な展望」になると個人的には疑問も湧いてくる。

    批判を超えて、なにか「積極的」なものを生み出しいくことの難しさを改めて認識した。

    ★が4つなのは、わたしがあまり理解できていないところも多いので、一つ★を減らした。ちゃんと全部丁寧に読めば、★は5つになると思う。

    ちなみにわたしは古本で単行本の初版を買って読んだのだが、サイバネティクスの元祖としてロバート・ウィーナーという名前が2回くらい出てくる。これは、ノーバート・ウィーナーの間違いとおもわれる。そこはちょっと残念。その後の版では修正されているといいのだけど。

    この本とは関係ないけど、ある本で、おそらくハーバート・サイモンのことだろう人の名前が、ロバート・サイモンと書いてあって、再版でも修正されていないのでがっかりしたこともあったな〜。

  • 2005.04.12―読了

    著者は、序文冒頭でこう述べる。
    「本書は二つの部分、カントとマルクスに関する考察からなっている。この二つは分離されているように見えるけれども、実際は分離できないものであって、相互作用的に存在する。私がトランスクリティークと呼ぶものは、倫理性と政治経済学の領域の間、カント的批判とマルクス的批判の間の<transcoding>コード変換、つまり、カントからマルクスを読み、マルクスからカントを読む企てである。」と。

    著者は、カントでは「純粋理性批判」を主に、マルクスでは「資本論」を主に、それぞれを思惟的思想的体系の書として読み解くのではなく、あくまでカントとマルクスに通底する<批判>の意味を現前化しようとする。

    「道徳的=実践的とは、カントにとって、善悪の問題などではなく、自由の問題であり、自己原因的であること、また他者を「自由」として扱うことを意味するのだ」と。
    したがって、「カントの「自由の王国」や「目的の国」とは、コミュニズムを意味することは明らかであり、
    逆に、コミュニズムはそのような道徳的な契機なしにはありえない」と。
    あるいは、マルクスの「資本論」について、まず「ヘーゲルとの関係で読まれるのが常であるが、『資本論』に比べられる書物は、カントの『純粋理性批判』だ」といい、
    資本論におけるマルクスの批判は「資本主義や古典経済学の批判などというよりも、資本の欲動と限界を明らかにするものであり、さらに、その根底に、人間の交換(=コミュニケーション)という行為に不可避的につきまとう困難を見出すものだ」という。
    また「マルクスにとってコミュニズムは、カント的な『至上命令』、つまり、実践的=道徳的な問題である」と。

    本書の序文をごく簡単にスケッチすればそのようなことなのだが、
    一読したからといって、本書全体について、ごく短いものにせよ書評など私にはとても覚束ない。
    なのでさしあたりは上記の如く引用紹介のみにとどめることでご勘弁願う。

  • 【配架場所】 図書館1F 134.2/Ka6

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著者プロフィール

1941年兵庫県生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学大学院英文学修士課程修了。法政大学教授、近畿大学教授、コロンビア大学客員教授を歴任。1991年から2002年まで季刊誌『批評空間』を編集。著書に『ニュー・アソシエーショニスト宣言』(作品社 2021)、『世界史の構造』(岩波現代文庫 2015)、『トランスクリティーク』(岩波現代文庫 2010)他多数。

「2022年 『談 no.123』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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