邪悪なものの鎮め方 (木星叢書)

著者 :
  • バジリコ
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感想 : 107
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  • Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784862381606

感想・レビュー・書評

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  • 内田先生の著書を読むと、自分自身のひっかかりが、あぁここにあったんだなと気づく事が多々ある。とても上手に言語化して下さっている。

    こだわる=居着く
    自分の採用した説明に居着いてしまうと自力で現況を改善するのが難しくなる
    被害者意識をもつ=弱モノである自分に居着く
    これは自分自身にかけた呪いである

    被害者意識を持つ事に関して、非常に嫌悪感があった。
    (人がというより、自分自身に対して。)
    それはこういうことだったんだなーとそとんと腑に落ちた。
    責任の矛先を自分に向けることはとても勇気がいるししんどい。
    でも、ヨワモノである自分に居着いてしまった時点で、そこから抜け出せなくなる。
    抜け出すにはヨワモノである自分に居着いた自分を一度否定しなければいけない。ただでさえ勇気がなくてしんどいから逃げてしまった道なのに。
    自分にとって居心地の良い説明につい居着いてしまいたくなる。でも、自分自身に呪いをかけないように自分で自分を奮い立たさなくては。それができるのは自分しかいない。

    記号的殺人の呪いに関して
    あぁだから村上春樹はアンダーグラウンドで被害者の方々をインタビューしていくことで、「喪の儀礼」を行うことが必要だと感じたのかもしれない。

    バジリコ株式会社
    2010年

  • ずっと気になってた人の本なので読んでみました。
    だってタイトルからして気になる。

    ひとつひとつが短いエッセイなので読み易いんだけど、
    ひとつひとつ読んだあとに考え込んでしまう。
    今起こる事件やいろいろのムードについて、
    なんかすごく客観的に、雰囲気を掴んでるというか。
    言葉でその雰囲気をちゃんと説明してくれてるのか。
    あ、なんかよくわかんない感想になってるな。

    タイトルにもある「邪悪なもの」の定義がなるほど、って思いました。
    本によると、「どうしていいかわからないけれど、何かしないとたいへんなことになるような状況」ということです。
    これってさ、なんか結構よくあることじゃない?
    それに対する知恵というか、
    考え方を提示してくれるように思いました。

    あと印象的だったのは、「父」と「子ども」に対する考察。
    優れた物語は「私にだけわかるように書かれている」と、
    読者ひとりひとりに思わせるという話。
    あと犯罪の「歌枕」な構造。日本的な呪いの話。
    「内向き」でいいじゃない!ていう話。
    あと草食男子についてとか家族の儀礼についてとか。

    と、どんどん挙げられるので、
    ちょっと読み返してみようと思います。
    そしたらまた気になるところは変わっている気がする。

    去年出た本ですけど、今読むととても面白いと思う。
    多分去年読んでても面白かったと思う。
    とにかく、「今」読む本なんだろうなぁ。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「なんか結構よくあることじゃない?」
      そう思います。こう言う捉え方が上手いですよね!

      「とにかく、「今」読む本なんだろうなぁ。 」
      内田セ...
      「なんか結構よくあることじゃない?」
      そう思います。こう言う捉え方が上手いですよね!

      「とにかく、「今」読む本なんだろうなぁ。 」
      内田センセの本は、今動いているコトと本質的なコトが、程よくミックスされているからでしょうか、いつ読んでも新鮮に感じます(私の物覚えが悪いのも一因かも知れませんが)
      2013/03/21
  • 内田樹さんを私が好きな理由は、理性の外側に人間の強さがあると考えているところです。僕の読書と似たような点がある。読書は、本から意味を取り出すなどということではなく、読書は、読書として意味がある。と、かんがえているんだけれど、そのような根本的な考え方の部分を共有できている気がするのだ。

  • 「1Q84」について書かれたエッセイが2篇ぐらいあって、きっとネタバレしているだろうから、先にずっと積んでおいた「1Q84」を引っ張り出しようやく読み出したのだが、なぜだかとてもページが重くて、結局こちらが先になってしまった。
    「1Q84」が楽しく読みやすいということは間違っていて、このエッセイ集が止まらなくなるということは残念なことに正解だった。

    著者のエッセイはずいぶん読んでいるが、最も軽く、笑えて、しかし示唆に富んでいる。
    3.11以降どうも暗く、硬いのだ。本作のノリが好きだ。
    恢復希望。

  • 【期待したもの】
    ・内田センセーの「呪い」タイトルは読んでみたかった。

    【ノート】
    ・なかなか自分にとって衝撃的な作品。内田センセーに「こういうことだと思うんだけど、君はどう?」と問い詰められているような感じだ。
    「『呪い』というのは『他人がその権威や財力や威信や信望を失うことを、みずからの喜びとすること』である。さしあたり、自分には利益はない。
     でも、『呪う人』は他人が『不当に占有している利益を失う』ことを自分の得点にカウントする。 (P81)」
     よくぞ自分の中でもやもやしていたものに、ここまで光をあててくれた、という感じもある。やはり、まずは名指すことから始まるんだなあ。

    ・スキナーの「略奪大国」にも通じる。ちょっと道徳の時間っぽい表現になってしまうが、他人の成功を妬み、嫉む心が、個人を蝕む、というものだった。

    ・内田センセーは「呪いの時代」という著書で、いかに、この呪詛空間を祓うかという論を展開しているらしいが、それを読む前に、自分で考えてみよう。名指すことができれば、自分なりの解法を考えることは可能なはずだ。

  • 内田樹氏の幅広く柔軟で奥深い思想が、縦横無尽に広がる。
    右とか左とか、あるいは手垢のついた既成の論理を超えた思考法が、身近な問題から世界的な問題までにどう向き合うかの、ヒント満載の一冊。

  • p.50
    暗号はそれがあたかも暗号ではないかのように書かれなければ意味がない。だから、書き手から読者への「コールサイン」はつねに「ダブル・ミーニング」として発信される。
    表層的に読んでもリーダブルである。でも、別の層をたどると「表層とは別の意味」が仕込んである。その層をみつけた読者は「書き手は私だけにひそかに目くばせをしている」という「幸福なさっかく」を感知することかできる。

  • 「どう振る舞っていいか分からないときに、適切に振る舞うためにはどうしたらいいか」、その答えを「ディセンシー(礼儀ただしさ)」「身体感度の高さ」「オープンマインド」と解く著者。その心は・・。

    自分にとって、一番ドキッとさせられた項は、「原則的であることについて」。原則的であることが必須である側面としては、親が子供たいしてとる態度であるが、一方で原則的でない方がよい局面もあるいう。例えば、教師、さらには「老師」というような格になると、相手が幼児的な段階にあるときは原則的に振る舞い、相手がが十分に成長してきたら無原則に応じる。問題は、これを自分に対して適用する場合だ。往々にして、私たちはは自分たちにも原則的を適用し、自分を律しようとする。幼児な自分を制御する親=自分であろうとする。しかも、親と子供の関係と異なり、いずれも自分である場合には、制御する自分を乗り越えようとは思わないため、原則そのものを疑いにくい。その結果陥るのは、「若い頃にはなかなか練れた人だったのが、中年すぎると手のつけられないほど狭量な人になった」というケースであるという。

    自律とはかくにややこしいものかと思わされた一節。

  • 140724

  • 内田さんの本を読むと、自己肯定感が出てくるので好き。家族や社会との関わり方が見えてくる。自分を愛するように他者を愛せよ!

著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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