- Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
- / ISBN・EAN: 9784892571053
作品紹介・あらすじ
強制的な昏睡、恐怖に満ちた記憶、敵機のサーチライト…都市に轟く爆撃音、そして透徹した悲しみ。
感想・レビュー・書評
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2022/8/29購入
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カヴァンは戦争を経験した作家。
戦中を感じさせる空気と、精神を病み病院に収容されている兵士たちを描いた作品が多く、カヴァンの他の著作とは少し趣きが異なる。
しかし他者に対する慈しむような視線とともに、自身との共通点をも見出しているように思う。読み返したい短編集。 -
短編集。
これは純文学?
ただひたすらに不安を煽られる、不気味な作品が並ぶ。
読み終わると全然頭に残ってなかった…。
「弟」「カツオドリ」あたりが好き。
☆2と3で悩んで3に。表紙は素晴らしいです。 -
興味深く読んでいるカヴァンだが、傑作アサイラム・ピースとは明らかに違う。これもカヴァンかと思うくらい違った。この「ナイーブなぶれ」も作家の味なのだろう。思い返せば自分で「うまい作家ではない」と感想を書いていた。自分以外皆敵という寒々しさは共通している。
前半では戦争によって病んだ兵士が異様に克明に語られる。当時はまだPTSDという言葉では説明されていなかったのだろうが、心の病とカヴァンの親和性+1945年出版の戦争の生々しい記憶。後半はカフカ的なダークファンタジーに軸足が移り、最後には”何を言っているのかわからない”ような「われらの都市」で終わる。 -
『ああ、ここでもまた』という疎外感に諦観。悲しみと絶望。カヴァンが書く世界は、70年経った今でも尖って屹立している。昨年から続々と著作が刊行されているのは、それだけ読まれているからだろうか。まさに、過去からやってきた未来の書物、なんだなぁ。
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『わたしはどうしようもないという無力感を感じていた。状況は既にわたしの手に負える範囲を超えてしまったようだ。言葉にするのは難しいが、起きていることの真の意味がどういうわけか私から隠されているという直感が私にのしかかってきた』ー『写真』
アンナ・カヴァンの小説を読んでいると、何処か胸の奥の方がひりひりとするような気分になる。それは誰しもが密かに守る傷つき易い柔らかな部分。それは自分にしか見せない自分自身とでも言うべきもの。他人とは解り合えない自分の考えを安置させる場所。それをアンナ・カヴァンはつまびらかにしようとする。
アンナ・カヴァンの文章を突き動かしているものは、自分は孤独である、という感覚だと思う。そしてその孤独感を生み出している仕組みの理不尽さに対する強い思い。何故自分だけが疎外されているのかとの思いであると思う。しかし矛盾するようではあるけれど、その孤独感は、実は作家一人のものではない。むしろ万人が「同じように」感じているもの。誰が決めたのかも判らないルールに対して感じる違和感や、自分以外の全ての人が疑問も持たずに同じ方向に向かっている社会の仕組みから常に乗り遅れているのではないか、と思う感覚。それは、自分自身の中に封じ込めておくことがひょっとしたら暗黙のルールなのかも知れないが、そんなこと誰がいつ決めたというのか。
繰り返して言うけれど、自分だけが周りと違っているという思いは、案外ありふれた思いだと思う。だからそれを不幸の種のように思う必要は、本来ないのだと思う。そこまで突き詰めて考えずとも、多くの人は自分自身の孤独感を声高に叫んだりはしない。ある程度の社交性を持って他人と交わり、他人の存在を受け入れる。自分が理解できない存在であるモンスターなどいない。けれど、ソーシャルネットワークでこれほど多くの人々が互いに個性を主張し合うということは、実は白黒裏返ってその孤独感を声高に叫ぶ行為と見るべきなのかも知れないとも思う。その時代的コンセンサスがアンナ・カヴァンの翻訳の新刊や復刊の流れを引き寄せているのだとしたら、自分たちはますます小さなセルの中に閉じこもり、他人との交わりを仮想現実の内にのみ求めていくようになるのだろう。
その孤独感が支配する世界は、他人との交わりを拒否するだけに止まらず、他人の存在を否定する世界でもあるだろう。その不寛容な世界はますます個個人の孤独感を助長し、ますます他人に対する不寛容さを肯定する。そしてその不寛容に対する方向性のみで人々を繋ぎ止める。その先にあるものは、アンナ・カヴァンが描くような、全てを精算してしまおうする世界の動き。第二次世界大戦の時代の空気が色濃く残るこの作品が復刊する今の時代に、その当時の空気と同質のものが存在しているように思うのは、空恐ろしいことである気がしてならない。 -
戦争時代のアンナ・カヴァンの作品。
ちょっと奇想度が低い? 現実と妄想のはざまに揺れる感じは他作よりは強いかもしれなくて、それゆえ痛々しさは強い。 -
1945年に発表されたアンナ・カヴァンの短篇集。
カヴァンといえば麻薬中毒と療養所での体験が常にセットで語られるが、この短篇集では戦争体験も重要なモチーフになっている。これまでに刊行された『アサイラム・ピース』や『氷』などと比べると、根底にはカヴァンらしい幻想性が流れているが、表層には寧ろカフカ的不条理性が表れているように感じた。
不思議なことに、前2冊(〝ジュリアとバズーカ〟と〝愛の渇き〟)はソフトカバーだったのに、『われはラザロ』はハードカバーに、そしてちょっとぎょっとするほど本文級数が大きくなっている。何でだろう……???
ハードカバーにするのはいいのだが、あの本文級数は何とかして欲しい。大きすぎると逆に読み辛いよ……。