街場の教育論

著者 :
  • ミシマ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (298ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903908106

感想・レビュー・書評

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  • 学校はどんな場所であるべきか?
    意見の違う先生が複数いること。親と違う価値観の人がいること。
    子供たち自身に矛盾と共通点を考えさせられる場であるべき。


    ★面接のポイントについて


    転職を繰り返す人の心理とは?
    ・仕事の成果がすぐに反映されない。
    ・仕事の成果を個人としてではなく集団として反映されるから。サボってたあいつと同じ評価かよ〜。
    ・学校のテストのように、努力がすぐに反映されない。

  • 多角的に見る内田さんの視点。最低限あらゆることは多角的に見られないと、根本的なお話にならないと思う。

  • この本を読んで最初に思ったのは、今年大学に入った長男が、どのように「学び」と向き合うのか(あるいは向き合わないのか)、ひとつ興味深く見守っていこうということだった。
    こないだ内緒でカバンの中を見てみたら、簿記やら心理学の教科書があった。いずれも私は体系的に学んだことがないから、これから息子と話をするのが楽しみだ。

    閑話休題。

    内田老師のブログは更新されるたびに読んでいるのだが、この本からも同じ思想の「底流」を感じた。
    大人の言っていることが「同じことを繰りかえし何度も言っている」ようにしか聞こえなくなったら、「成熟」したということなので、つまり「ウチダ思想」(っていうかウチダ流思考回路)に関しては、私も「成熟」の域に達してきたのかも。

    この本のテーマである教育問題に関して、内田老師は「評論家の言うような簡単な解決策などない」という。
    だが私は文科省(の初等中等教育局)をなくするのがまずは早道だと信じている。明日そうなっても学校現場はたぶんまったく影響を受けない。
    県や市の教育委員会レベルが一時的に混乱するだろうが、そこから立ち直る(権限移譲)段階でいろんなことが整理されるのではないかと思う。

    それからとても面白かったのが、受験対策と同じ考え方でで就職活動をして結局失敗してしまう学生達のことが書いてある箇所だ。企業の採用担当者が「採用すべき人は会って5秒でわかる」という、その秘密も解き明かされている。就職活動に行き詰まっている人は必読では。

  • 久ぶりに内田先生の待場シリーズを読みました。
    やっぱり内田先生の講義からできている本は
    読んでいて楽しい。教師だけではなく会社における
    人とのコミュニケーションやマネージメントに
    非常にためになる内容だったと思います。
    いつも思うのですが、この人の流れるような
    ちょっと音楽のような文体は、なんでこんな文書が
    書けるのかいつも感動します。特にこの待場シリーズでは。。

  • ・教育の根本的改革は不可能である・・・現場を否定し、すべてストップし、新しいことをやることはできない。故障している車を運転したまま修理することと同じ。
    ・教育はビジネスではない。・・・これも正論。
    ・競争を強化しても学力は上がらない。
    ・現場のキャリア教育に危機感。大学は就職予備校ではない。・・・正論だが、やはり理想論か。

    全体に「内田さんが考えている教育論」であり、一般論ではないと思ったほうがいい。

  • 教育が子どもを守る為にできた歴史的経緯に敬意を表する。先人の功績を伝えることをもしできるなら、畏れ多く思うけど、自分の務めと・・
    ミシマ社もなんだか忘れがたい・・ありがとう

  • 読んだことあった。間違えて借りちゃった。。

  • 少し、元気が出ました
    特に
    教育論の落とし穴
    教育はビジネスではない
    キャンパスとメンター
    コミュニケーションの教育
    踊れ、踊り続けよ
    は、心に響きました

  • 著者の意見には賛同できない。
    「教育はビジネスと違って、簡単に改革できるものではないから、現状維持を基本に現場に任せて少しずつ変えていくしかない。」といっているが、教育界(先生方を含め)は、本当に我が国の教育を良くしようと努力しているように見えない。わたしには、ビジネス界の方が、ずっと厳しく血の滲むような努力をしていると思うけど。教育は、改革が難しいのではなくて、教員方が現状にしがみついて改革をしたくないだけではないのか。教育界も既得権益を守る官僚と同じに映る。先生方を勇気づけたいと言ってるけど、結局は「慰め合い」になるだけで、教育界に進歩は望めないと思う。いくら先生方が一生懸命やっていると言ったって、教育界自体の方向性が誤っていれば、結局はGMと同じで、倒産させるしかなくなるというのが自然な考えではないか。改革が難しいのは何処だって同じ。教育界だけが特別じゃないんだ。甘えは許されないと思う。

  • 面白い。

    流れるように頭に入ってきて、ストンとおちる。見事に。
    特に、この本は大学院での講義録を編集したものだから話し言葉そのままで、流れにまったくよどみがない。

    本当にクセになる、内田さんの本は。

    第 1講 教育論の落とし穴
    第 2講 教育はビジネスではない
    第 3講 キャンパスとメンター
    第 4講 「学位工場」とアクレディテーション
    第 5講 コミュニケーションの教育
    第 6講 葛藤させる人
    第 7講 踊れ、踊り続けよ
    第 8講 「いじめ」の構造
    第 9講 反キャリア教育論
    第10講 国語教育はどうあるべきか
    第11講 宗教教育は可能か

    「義務教育とは、子どもは学校に通う義務がある、ということではない。義務があるのは親。」というのは、試合前の計量。
    「教養教育とは、コミュニケーションの訓練。専門教育とは、内輪のパーティ。」「使える専門家というのは、自分は何ができないのかをきちんと理解している人。」あたりのジャブをくらい、「教師は言うことなすことが首尾一貫していてはいけない。」は右ストレート!
    ふらふらになったところで「学びの扉を開く合言葉は『先生、教えてください。』」で最初のダウン。「もっとやりがいのある仕事を、と言って退職する若者が求めるのはモジュール化された仕事。非正規雇用とは、まさにモジュール化された仕事。」で二度目のダウン。

    そして、三度目、TKOとなったのが、第8講の以下の箇所。

    子どもたちは、まず集団を形成することの楽しさを知る。
    小さな子どもたちを放っておくと、いつのまにか近づいて、
    同じ遊具を、相手の身体に触れて遊び始めるのがその例。
    彼らはこうして集団のメカニズムを理解するようになる。
    ところが、今の教育現場では、子どもたちに「集団の形成」
    の術を学ぶと同時に(あるいはそれより早く)「個性の発現」
    が課せられている。本来なら、集団を形成して、ひとつの
    共生態を作り出すことに専念すべきときに「集団を作るな。
    個別化せよ。自分の受け取るべき報酬を他人と分かち
    合うな。」というルールが子どもたちに浴びせかけられて
    いる。
    ここで、子どもたちはどうしていいか分からなくなる。

    なんとこの部分、先日読んだ『「痴呆老人」は何を見ているか』のレビューで取り上げたことと限りなく近い! 

    http://mixi.jp/view_item.pl?id=977758

    子どもたちが成熟する前にダブルスタンダードを提示してしまって、子どもたちが混乱するという図式はまったく同じもの。

    やっぱり大人がしっかりしないとダメなんだ、という認識を改めて持って、マットにはいつくばった。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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