いつかたこぶねになる日: 漢詩の手帖

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  • 素粒社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784910413006

作品紹介・あらすじ

池澤夏樹さん推薦!!!

「この人、何者?
極上のエッセーで、文体が弾み、とんでもなく博識で、どうやらフランス暮らし。俳句を作る人らしい。一回ごとに漢詩の引用があるが、その漢詩はいつも角を曲がったところに立っている。しなやかな和訳と読解が続く。
世の中は驚きに満ちている、と改めて思った。」
(本書帯文より)

フランス在住の俳人・小津夜景さんがつづる、漢詩のある日々の暮らしーー

杜甫や李賀、白居易といった古典はもちろんのこと、新井白石のそばの詩や夏目漱石の菜の花の詩、幸徳秋水の獄中詩といった日本の漢詩人たちの作品も多めに入っていて、中国近代の詩人である王国維や徐志摩も出てきます。

巻末には本書に登場する漢詩人の略歴付。

感想・レビュー・書評

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  • 漢詩に惹かれる。
    韓国時代劇ドラマを観ていても、登場人物たちが己の境遇に、また誰かを諭すとき、さまざまな場面でさりげなく漢詩を口ずさむ。
    「王妃が最も好きな書物はなんだ」
    「私は陶淵明の詩が好きです
     空高く舞う鳥と
     深い水中を泳ぐ魚のように
     自然で純朴なものに心惹かれます」
    『王になった男』でのひとコマ。若いふたりが初々しく会話を交わす。きゅん。

    漢詩集を開いて気になる詩を見つけたとき。
    その詩が生まれた所以を知ることや、その詩をドラマのドラマチックなシーンに当てはめ妄想することはできる。けれども、リアルな日常を過ごしているなかでハッと漢詩が思い浮かんだり、自分の状況にぴったりの漢詩を何気なく口ずさむなど、とても憧れるのに今のわたしには到底不可能。

    以前、井伏鱒二の『勧酒』の定型詩が好きだと感想に書いたのだけど、近頃は実際に作品に書かれていることをそのまま伝える自由詩が気になっている。
    もしも漢詩を自分の言葉で、口語あるいは文語自由詩に訳すことができたなら。おお、なんて素敵なことだろう。

    そんな私の憧れの漢詩との付き合い方を、まさに体現されているのが小津夜景さんだ。
    小津さんはフランスで暮らす俳人。
    このエッセイは彼女が日々の暮らしや思いを綴った文章に、思い浮かんだ漢詩を添え「漢詩の手帖」として、わたしたちをもてなしてくれる。
    もちろん漢詩の翻訳は著者が行う。
    その訳は、タイトルにもある「たこぶね」が海を自由に泳ぐようだ。孤独で、そしてなんだかまぶしい。

    食事について書かれた漢詩を綴った「釣りと同じようにすばらしいこと」のエッセイは面白かった。
    小津さんが昼ごはんに、ほうれん草入りのフェットチーネを茹でることにしたときのこと。朝市で手に入れた生麺に、具は冷蔵庫にあったベーコンを削ぎ、ベランダに茂っているバジルを摘む。
    そのとき杜甫の『槐葉冷淘』の詩が著者の頭をよぎるのだ。
    長い詩なので省略しながら紹介したい。

     『槐葉冷淘』 杜甫

     青青高槐葉 
     采掇付中厨 
     新麺来近市 
     汁滓宛相倶 
      (中略)
     碧鮮倶照筯 
     香飯兼苞蘆 
     経歯冷於雪 
     勧人投比珠 
      (後略)

     『槐の葉のひやむぎ』

     あおあおとしたのっぽの槐の葉を
     摘みとって台所にもっていく
     近くの市場からつきたての麺が届いたので
     槐の葉をすりつぶした汁と滓を練りこむ
           (中略)
     箸に照り映えるのはあざやかなエメラルドの  
      ひやむぎと蘆の芽入りのまぜごはん
     歯にさわると麺は雪よりつめたくて
     これを人に勧めるのは真珠をやるに等しい
           (後略)

    わたしは、あのまじめそうな杜甫がこんなに楽しい詩を書くとは思わなかった。同時に、エメラルド色のほうれん草のフェットチーネがもしも杜甫の食卓に出されたなら……なんてことを妄想しては、その摩訶不思議な可笑しさに、ついニヤリとしてしまった。

    難しそうで堅苦しいイメージの漢詩も、ちゃんと知れば現代に通じるものがたくさんあるんだなぁと、改めて好奇心がわく。
    そして、こんなふうにわたしの日常にも漢詩を取り入れたいと強く願った。

    最後に著者の訳で、とても気に入った漢詩を省略しながらではあるけれど紹介したい。

     『再別康橋』 徐志摩

     輕輕的我走了
      正如我輕輕的來
     我輕輕的招手
      作別西天的雲彩
       (中略)
     那榆蔭下的一潭
      不是清泉,是天上虹
     揉碎在浮藻間
      沉澱著彩虹似的夢

     尋夢?撐一支長蒿,
      向青草更青處漫溯
     滿載一船星輝
      在星輝斑斕里放歌
       (中略)
     悄悄的我走了
      正如我悄悄的來
     我揮一揮衣袖
      不帶走一片雲彩

     『ふたたび、さよならケンブリッジ』

     そっと僕は立ち去ろう
      来たときのように そっと
     僕はそっと手をふって
      さよならする 西の空の雲に
          (中略)
     あの楡の木陰の淵がたたえるのは
      清らかな泉ではなく天空の虹
     浮き草のあわいでもみしだかれ
      沈んでゆくのは虹のような夢

     夢をたずねようか?長い棹をさして
      青い草むらよりもっと青いところへと
      ゆるやかにさかのぼり
     舟(パント)いっぱい星をしきつめ
      星明かりのなか 僕はうたう
          (中略)
     ひそかに僕は立ち去ろう
      来たときのように ひそかに
     僕はひらりと袖をふって
      ひときれの雲さえ持ち帰らない

  • 漢詩の世界、とか完全に意表を突かれた、と思った。
    なんだか足りないピースを埋めてくれたような、満足感がある。ひとつひとつの漢詩が、この著者の日常のなかにきれいに溶け込んでいて、それがとても自然で、すっと漢詩の世界に連れて行ってくれる。英語の雑誌を感覚的に読み流すように、漢詩をなんとなく読み流してみるのも楽しいかもしれない。
    新しいようで昔からある、おいしいものを教えてくれた気持ちになった。

  • この本の文章を読むにつけ、著者はどんな経歴の人だろうと思う。なんだかハイソに浮世離れしている。言葉の達人らしく、勉強になるフレーズがいくつもあった。

  • 漢詩についての素養などまったくないけれど、だいじにしたいと思える本。

    p.136の入院時のスープのエビソードは、最近読んだ『食べることと出すこと』でのプレーンヨーグルトによる味の爆発を思い出したりした。

    そのほかこんなところがとても印象に残っている。

    p.182
    歴史上、日本人が漢詩というとき、いつでもそれは読み下し文を意味してきた。つまり漢詩は、視覚的・観念的には定型でも、聴覚的・実際的には音の数に縛られないフリースタイルの表現として人々に受け入れられ、愛されてきたのである。この認識はものすごく大切で、たとえば日本人が脈々と漢詩に求めてきたものとは、実は自由詩の感性だったのではないかとか、江戸後期から明治にかけて起こった監視ブームも、近代の夜明けを呼吸する人々が、より自在な言葉のテンポに自分の感情を乗せたかったからなのではないかとか、さまざまな想像が広がるし、またそこから見える世界も、とうぜんこれまでとは違ってくる。

    pp.212-213
    俳句は十七音のフレームに世界をおさめつつ、そのフレームの奥へ向かってイメージとか、マテリアルとか、テクニックとかいったレイヤーを重ねてゆくあそびだ。で、ここで誤解を生むのがフレームの存在で、これを一部の批評は鋳型にはめることだとみなして反動的だというのだけれど、いったいなんでそう思うのかが謎である。定型の使い手たちはそのつど新たに型と出会う、つまり世界を生き直しているのであって、カップケーキの型みたいなものを使用しているのではないのだ。ちょうど武術の型がそうであるように。

  • 漢詩ってとっつきにくいなぁ…と今まで思っていたけど、そのイメージががらっと変わった。雄大な景色を美しく綴ったものはもちろん、もっと細やかなものや身近なものをのびやかに歌ったものも多いんだなぁ…。特に食に関する詩の素朴さが好きだった。心がほかほかするようなエッセイの中にするっと漢詩が溶け込んでくるのが良い。
    筆者の書き下し文が素敵。いろんな人の声で朗読を聴いてみたい。

  • 漢詩なんて何にも知らないのに、エッセイから広がる漢詩世界の美しさにうっとり。

    「ないものをあると語り出すことによって はじめてこの世界はひとつの像として立ち上がる言葉の力の凄さ」とあったけれど、まさにこの本を通じて南フランスの情景が目前に。
    しゅわしゅわとした炭酸水の向こうに広がる空
    バオバブの実とクラブアップル
    「花生眼」の意味に納得し、ぼんやりとした視界に花を見つけた。

  • 手元に置いておきたい本。友人にもプレゼントするくらいお気に入り

  • とにかく面白かった。
    漢詩への興味がぶちアガる。

  • エピソードにからめて、意訳された漢詩が紹介されているから、受け取りやすい。意外に変わったことを言っているわけではないんだなと親近感。土地のイメージとかがわかっていればより楽しめそう。漢詩の翻訳方法などの議論も載っていて興味深い。



  • 文化の伝統と、"遠い異郷に逃げざるをえなかった「もたざる者」"とを慮っている。真っ青な空と海の彼方で時に流す涙が、漢詩を身近なものへと誘う。
    "存在は非存在に支えられている。"
    この一文に惹かれ、白居易と道真に魅せられた。もっと読みたい。

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著者プロフィール

1973年北海道生まれ。2013年「出アバラヤ記」で第2回摂津幸彦賞準賞、2017年句集『フラワーズ・カンフー』で第8回田中裕明賞を受賞。その他、著作に漢詩翻訳つきの随筆集『カモメの日の読書』『いつかたこぶねになる日』、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者・須藤岳史との共著『なしのたわむれ 古典と古楽をめぐる手紙』などがある。

「2022年 『花と夜盗』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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