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感想・レビュー・書評
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主人公は憂いのある男性、ある曇った冬の日暮れの横須賀線、十三、四才の少女が出発し始めた列車に駆け乗って来ます。少女に不快感を持ちながら同じ時を過ごしていたのですが、あるキッカケで彼女の境遇を知り、わずかに憂いを忘れることができた...と言う内容です。
ついつい人は性悪説を信じちゃうものですね。ニュースと言えば犯罪関連が多い古今東西、それが心に闇を作っちゃうんだと思います。そんな時に、少しだけでも相手のことを知ることができれば、ちょっとは光が射すのかもしれません。でも特に自己を開放しない現代、課題は課題ですね。
そんなことを考えさせられた作品でした。淋しい駅や車内、少女の姿や列車がトンネルから抜ける様子、それらの情景がありありとイメージできました。そして心の薄い闇は一瞬で消し去ることができます。でも根強い闇は...芥川龍之介はじめ文豪達が自殺したことを考えると、あまり社会や人生の答えを出そうと熟慮しちゃいけないのかもしれませんね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の短編小説。初出は「新潮」[1919(大正8)年]に全2章構成の「私の出遇つた事」の「一」として掲載。短編集「影燈籠」[春陽堂、1920(大正9)年]に収録された際は、「二 沼地」とそれぞれ独立した作品として扱われた。小学校の国語教材としても使われている。横須賀から電車に乗り合わせた少女が窓から弟らに蜜柑を投げる話。
「Amazon内容紹介」より
書いてある内容は淡々とした日常.大正の時代の何の変哲もなく日々の暮らしが流れていくように書かれている.
灰色のまま進む日常の中に一人の少女が投げた蜜柑が、灰色の日常を鮮やかな橙に色づける.橙だけが色をもっているように、そんな風に感じた作品. -
横須賀駅から乗った汽車での「私」と故郷から奉公に行く娘とのひと時を、作者の体験をもとに描いている。
「Amazon」より
曇った冬の日暮、薄暗いプラットフォーム、機関車が吐き出す黒々とした煙の中に突如現れる蜜柑.灰色だった世界が、オレンジ色に染まる瞬間の光景は美しい.
ただ、こんな時代のことだから仕方のないことだけど、身分がどうこうという部分に、途中まで純粋に楽しめない.蜜柑はそんな暗い部分も吹き飛ばす、鮮やかな生の営みを象徴する. -
凄く短い話の中で、心が洗われた気がする。
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まずラストのあの開ける感じ窓から風が強く入ってきて汽車の車内と全身を蜜柑の香りが幻であるが混じり込んで優しく包み込む感じ、素晴らしい。また人の価値観とはこんなにもすぐ変遷するのだなと実感した。美しいものは。ほれ美しいだろ!そういうものでは無いと無意識の了解で持っているのが人だと思う。解釈を拒絶するものまさに初めはそうであろう。だが美しいと思っても拒絶し続けるものである。己が覚悟出来ても相手は否だ。
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ちょっとした日常の一コマを切り取ったような短編物語。
普通過ぎて、最初は作者の意図が分からず読んでいたら、途中からどんどん文章が走りだしたみたい。白黒の映像に、鮮やかな色が見えてきたような、そんな感覚でした。
生き生きとした情景が心に残って、読んだ後もほっこりします。
さすが芥川、と思いました。 -
横須賀発上りの二等客車で発車を待っていた私(芥川)の前の席に座った十三四才の田舎者らしい小娘は、下品な顔立ちと不潔な服装でした。不快な思いで夕刊を拡げてみれば憂鬱な記事ばかりで嫌気がさしウトウトしていると、いつの間にか私の隣に小娘が座って汽車の窓を開けているのでした。やがて踏切の柵の向こうで赤い頬の三人の男の子が手を振り歓声をあげているの見つけると、霜焼けの手で懐から「蜜柑」を取出し、五つ六つ窓から投げてやるのでした。恐らく奉公先に向かう途中の見送りに応えた娘の手には、三等切符が握られていました。
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「私」は、横須賀線の車内に居る。
倦怠と疲労感な時に、一人の娘が駆け込み乗車してくる。
その田舎娘の不潔な容貌と、三等切符なのに二等客車に座る図々しさに、「私」は不機嫌いっぱいになるのである。
わかるなぁ~。
昔、電車通勤通学していた時分、疲れているのだけど平和な車内で、電車の揺れに揺られながら心地好い気分に浸っていたのに、不快人物の登場で台無しになってしまうというシーンを思い出してしまった。
しかし「私」は、その娘の身の上を知ると倦怠感などが、吹き飛んでしまうのだ。
むやみやたら人を見た目で毛嫌いしてはいけませんですね。
日常のちょっとした出来事での、「私」の心情のうごきが共感を呼ぶ。