- Amazon.co.jp ・電子書籍 (255ページ)
感想・レビュー・書評
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『善悪の彼岸』『道徳の系譜学』を読んだ後だったので、まだ理解はしやすい土台は出来ていると思う。ツァラトゥストラを主人公とした物語的進行で面白い。ただ、自分がそのニーチェの意図する表現ど真ん中を訳から読み取れているかというと全然だとおもう。面白いのだけどこんなに読んでいてわからんなと思うのは久しぶりなのだ。
”苦悩する者にとっては、おのれの苦悩から眼をそらせ、自分を忘れるのは陶酔に似たよろこびである。かつてわたしには、この世界には陶酔に似たよろこびであり、忘我であると思われた。”
上巻の中心は「超人」なのだ。神が死んだ後の必要な超人。おすすめは先に訳者のあとがきを読んでから読むこと。それが一番ブレない気がする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初めて挑戦してみたが、読むには読めたが「面白くないなあ」というのが第一の感想。教祖のような、カリスマ経営者の自己啓発本のような、「俺が言うんだから正しいんだ」とでも言うような強引な(ある意味では圧倒的な)文章。
ストーリーや会話形式で進むのかと思いきや、テーマごとの短い説教文(アフォリズムっていうんだっけ?)が連発されて、読んでいてちょっと退屈。
たとえ話を多用して抽象的に語るスタイルも、昨今では詐欺や誇張的に語る話術として多く使われていることもあり、かえって内容の薄っぺらさを想起してしまう。
ただ、キリスト教をこき下ろす部分はおもしろかった、「他人が作り出した宗教なんて信じちゃってバッカじゃねーの?」とひたすらdisっていくのは自分もそうと頷ける部分があったので、痛快だった。 -
ニーチェ自身が「私はこの書で、これまでになかったような人類への大きな贈り物をした。」といった本。神によって(主にキリスト教)、本来人が持つべき勇気を奪われて"人間"になってしまったことに怒り、作られた"人間"を没落・破壊して、勇気を取り戻し、超人になろう。というニーチェの意志は、真に人類の幸せを願った哲学者の叫びだったのではないか。
詳細は下記。
https://note.com/t06901ky/n/nf400065e40ba -
岸見アドラーの"嫌われる勇気"やamazarashiで批判されているニーチェのニヒリズムが如何なるものか興味があり購入。
本書の構成は聖書に基づいているようですが、馴染みがないため、言い回しや抽象的な表現がしっくりこず難解でした。
ツァラトゥストラという人物の語り口で終始抽象的な表現が繰り返されているため、理解するために何度も文章を読み直すことになりました。
最後に訳者の解説があり、そちらで分かりやすくまとめられているので理解するのに助かりました。
ツァラトゥストラの説教として、何度も出てくるのが
・創造への渇望
・神への批判
それが、ヨーロッパのキリスト教が力を失い、人々が意味と価値の究極のものを見失う時代に自らが意味、価値を創造する力をもつことが必要だとニーチェが考えたのだと思います。
私自身が特に注目した箇所は、
第一に
・戦争や闘争は必要悪である。徳どうしの妬み、不信、誹謗は避けがたい。
・犯罪者を「敵」と言うべきであって、「悪人」、「罪人」と言うべきではない。
創造こそ理想であり、戦争や犯罪さえも創造する力の発露と考えて肯定しているように思われ、狂気を感じました。
第二に
・わたしが愛するのは、人から感謝を求める気持ちもなく、返礼などを知らない者。
・「何もかも自分のため」は退化である。
とあり、これはアドラー心理学とも共通しており、共感ができました。
第三に現代の人に関して
・人間のかたちをした、信仰の否定そのものである。無信仰がふさわしい者である。
・何も産み出す力がない。
・一切は滅びるに値する。
このことは今の時代の人、自分自身にも思い当たる節がありました。まるで現代の無気力・無関心の社会を批判しているかのように捉えられました。 -
永遠回帰を受け入れれるかどうかで、ニーチェのいう「超人」とやらになれるかどうかが決まるな。