- Amazon.co.jp ・電子書籍 (391ページ)
感想・レビュー・書評
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ここ数年、いまの自分が特に不自由することなく、世間的にも一応恥ずかしくない仕事にありつけていることは、全くの幸運、偶然の導きだったのではないかと漠然と感じていた(いる)。まだ読んでいる途中であるが、この本は、その漠然と感じていたことを、言語化して説明してくれるものに思える。
他方で、経済的には不自由なく、人が羨むような仕事に従事している者(例えばウォール街の金融パーソン)などが、自分のしている仕事を、ブルシットなものだと思い、疎外感を感じているとも聞く。このようなことが、なぜ起きているのか。資本主義の限界なのか。2022は、しばらくそんなことを考えながら読書することにしよう。時間が許すならば…ワシの仕事もまた…であるとは言わない、とても言えない。。。
そんなこんなは措いても、この本は、みんなよむべしの一冊だろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書を読んで、真っ先に上皇后・美智子様が仰った言葉を思い出した。
美智子様は昔のようにピアノが弾けなくなった際、こう言われた。
”今までできていたことは「授かって」いたもの、それができなくなったことは「お返し」したもの”
これほど本書の内容を表す言葉はない。
能力主義とそれが現代世界に与えた功罪を考察した内容で、メリトクラシーに対する疑義とエリートの謙虚さを説いた主張に納得するも、相変わらず共通善とは何なのか。曖昧なままピンとこない。
それより、能力主義がもたらす分断に処する適切な解は本当に見つかるのか不安になった。 -
大学を中心にして社会にもたらされている能力主義を批判する本。アメリカでは能力主義によって社会的に下位層に位置している人々に尊厳や保証が与えられておらず、それによってポピュリスト(トランプ)が大統領になるという事態が発生した。能力主義は全面的に悪いものではないが、能力主義によって上位層におごりが、下位層に屈辱が与えられてしまうことが分断を助長しているというのがサンデル教授の主張である。出世どうこうではなく、尊厳と文化のある生活さえ送ることができるのであれば、人間は幸せになれるはずである。そのためには苛烈な受験競争を辞めること、大学で共通善やリベラルアーツを学ぶ機会を増やすこと、共通善を果たさないのにも関わらず利益を奪い取る仕事からより高い税収を徴収することなどが施策として挙げられる。
難しい表現が多くあったため、1回目では完全に理解できなかった。もう1度読みたい。 -
正義の本からだいぶ時間がたったサンデルさんが今の世の中にどんなことを考えているのか興味をそそられ購入。
半分くらい読んだけど、なるほどと思う反面、以前と比べてサンデルさんの立ち位置的な違いを感じて、老婆心的な物言いが多いような気がしています。
能力の対価には謙虚になれ、運はお前だけのモノじゃない、感謝の気持ちを忘れるなってことですね。 -
2020年の大統領選挙を同質化した環境下で見続けてきた私の違和感をこれほどまでに的確に説明してくれた本があったとは。
Meritocracy(功績主義・本書では能力主義と訳す)が浸透しきった世界では勝者と敗者が明確に分かれ、功績によって勝ち上がったと信じ切っている勝者は敗者に目もくれない。グローバリゼーションの恩恵を受ける勝者は敗者のレトリックを理解することもできない。「もっとがんばればいいじゃん」「自分で選んだ道でしょう」と。
でも、敗者と看做される人々も生身の人間で、それぞれの人生を生きているのである。グローバリゼーションから取り残された上に自らの尊厳も軽んじられるような扱いに希望がある筈がない。ヒラリーにdeplorablesと呼ばれた人たちは必死に抵抗した。それがトランプ大統領を生んだ。
本書がオバマ大統領の「出世のレトリック」を何度も批判的に取り上げている点は見逃せない。「人種や出自に関係なくハードワークをして高い教育を受ければグローバル競争に勝てる人間になれるから頑張ろう」というレトリックは、勝者の胸を熱くして敗者を白けさせた。トランプ大統領誕生に至る伏線である。
Meritocracyを全否定することを筆者は推奨していない。でも、単純な富の再分配を超えた「尊厳」の向上こそが重要だと筆者は考えている。仕事に尊卑はない。賃金が世の中への道徳的付加価値を適切に反映している訳ではない。であるのなら、一人ひとりがお互いを尊敬する世界になれなければならないのである。
個人の行動レベルに落とせば、それは難しいことではない。日本でもコンビニ店員に不遜な態度を取ったり役所の窓口で怒鳴り散らしたり仕事内容で人を馬鹿にしたりする人は多い。私自身、帰国後半年間でそういう人を沢山見てきた。
そのような偏狭な態度は分断を生み分断を助長する。この本を誰もが手に取る必要はないが、「勝者」たちは今一度自分の胸に手を当てるべきなのだろう。「今の自分があるのは自分の能力と努力によってのみ得られたものか?」と。答えが否なのであれば、周りに優しくなるべきである。
私自身、ハードワークこそが人や社会を成長させるものだと信じて生きてきた。でも自分の境遇には常に謙虚にありたいと思っているしそう生きてきているつもりである。今後も常に自分の胸に手を当てて、謙虚に生きていきたい。そう改めて思わされる素晴らしい書であった。 -
サンデル教授、さすがです。どこか内にあったモヤモヤ感が解消された感じがする。なぜここまでの格差が生じるのか、そしてなぜここまでポピュリズムが広がるのか、そう冷戦が終わり世界がグローバル化したため、国内で完結していた仕事が賃金の安い国に広がり、ITによる効率化が起きる。本来であればそれにより生じた富はその国の国民に平等に還元されるはずなのに、一部の能力の高い人材に富が集中する。必然的に格差は生まれ、双方は分かり合えない。そしてその富を手にした人も個人のみの実力ではなく、その環境を与えてくれた人々がいることは感じにくい。国がある程度は富の調整を行うことも必要かと感じる。
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【2021年度「教職員から本学学生に推薦する図書」による紹介】
松本ますみ先生の推薦図書です。
図書館の所蔵状況はこちらから確認できます!
https://mcatalog.lib.muroran-it.ac.jp/webopac/TW00365942 -
原題は『The Tyranny of Merit: What's Become of the Common Good?』。
メリット、つまり能力の専制、本書の中では「能力主義の専制」と、何度も出てきた。
『能力主義の専制』を、『実力も運のうち』って、すごい意訳。でも、けっこう内容を言い当てている名訳じゃないかな。
勝負事でよくいうのは「運も実力のうち」。実力のある人間は、運すらも味方にして勝利を得る、なんて話だと思う。
実力、本人の努力によって勝ち得た能力みたいにゆうけど、それは本当に自分一人で勝ち得たものなの?それを得られたのは経済力や、まわりの人の助けがあったればこそであってさ。そういう環境に生まれることができた、運のおかげでもあるんじゃないか?
そんなことはわかっているという向きも、もちろんあるだろう。でも、「実力です」「がんばったから、自分はここまでできました」という思考には、それを支えてくれた環境に対する配慮がないんじゃないのか?
そんなことを考えさせてくれる。
で、本書。
アメリカの名門大学における、不正入試事件から話は始まる。
お金で推薦書を書いてもらったり、やってもいなかった部活動の活躍を入れてもらい、それで名門といわれる大学に入学する。
それが発覚したとき、アメリカ社会はこれほどまで、というほどの怒りを示した。
不正はもちろん、不正だが、大学入学に対する怒りはそれを越えて強いものだった。
なぜか。
それは大学入学というものが、アメリカという国で社会的に上昇するための強力な切符であり、職業や人々の尊敬まで集める重要なものだったからだ。
それを求めて、今多くの未成年は若い時間の多くを受験勉強のために投げうち、さらには親も金銭的時間的に多くのリソースを注いでいる。
似たような話は、先日読んだエマニュエル・トッドの『大分断』にもあったなぁ。
トッド自身の若い頃、勉強もしたけど、自由にする時間ももっとあった。その自由時間の中で友だちとバカやったり、語り合ったりしたことが、その後に大きな糧となっている。今の若者には、それが許されず、ひたすら詰め込み教育に耐えている。
なんかフランスやアメリカの話ではないみたいだ。
俺自身、そういう状況をくぐってきたはずではあるし、息子2人のいる身としては、立場を変えて現在進行形で降りかかってくる問題でもあるだろう。
サンデルの本は、より深く社会の成り立ちまで考えさせられる刺激的な本だった。
2020年に出たことから、コロナだったり、トランプだったり、今の事象も含めてくれていることも、わかりやすかったしね。
折を見て、読み返して、ノートを作りたいな。